テン・リトル・ミステリマニア

小石原淳

第1話 新入部員

「ファイロ・ヴァンスです」

 我ながらいつになく明瞭な発声だったなと内心自己評価しつつ、先輩からの問い掛けに答えた。

 さして広くない推理小説研究会の部室をちらと見渡し、他の部員の反応はと伺う……。特に際立ったものはない。ふーん、てやつ。新入部員全員――といっても四名だけだ――に同じ質問をして、各自の個性を見ようということなんだろう。けど、僕にしても先に答えた他の三人にしても奇をてらった解答はしていない、多分。

「ファイロ・ヴァンスか。好きな名探偵として推す理由ってあるかい?」

 部長の加藤かとうさんが聞いてきた。あ、推理小説研究会なのだから会長と呼称する方がロジカルなのかもしれないが、大学側及び学生会の決まりで、認可の下りた集まりはすべて部・クラブであり、そのリーダーは部長と呼ぶ。

 僕は少し考え、まずは注釈を挟んだ。

「理由を言うと、好きな名探偵というよりも、好きな探偵小説のタイプになるんですけど、いいですか」

「別に構わないよ」

「それじゃ……あの過剰なぐらいの衒学趣味に、妙にはまっちゃって。最初は読みにくいなあと感じていたのが、読者を煙に巻いて新の手掛かりから遠ざけるにはいいテクニックだと思うようになったんです」

「なるほど、理解した。では次の問い、これを最後にしようか」

 加藤部長は壁の丸いアナログ時計を見上げてから言った。新入生歓迎コンパが今夜あるのだが、お店に繰り出す前に一旦部室に集合して、時間調整をしている次第。

「最も感銘を受けた本格推理、本格ミステリ作品を教えてもらおうかな。本格の定義はここでは問わない。話が長くなりかねないからね。独自の考えに基づき、作品名を一つだけ挙げてくれたまえ。今度はまた逆順に、君から」

 視線を向けられた。奇数番目の質問では最後に答え、偶数番目の質問では最初に答える。同じ段取りを三回繰り返しているので、もう慣れた。

「一つだけと言われたら迷います……が、最初に浮かんだのが印象が強かったってことでしょうから、『獄門島』にしておきます」

「ああ、いいよね、ダブルミーニングが」

 副部長の実光さねみつさんが応じた。続けて何か言いたそうに見えたんだけれども、意識的に口をつぐむのが分かった。ネタばらしになる恐れが頭をよぎったのかもしれない。

 その証拠に副部長は、僕の隣に並んで座る三名の新入部員に顔を向けると、「『獄門島』を未読の人、いたら正直に手を挙げて」と聞いた。どうやら諸先輩方は全員が既読のようだ。

「あ、私、読んでません。あの表紙絵が苦手で……すみません」

 肩の高さに右手を挙げ、首をすくめたのは中谷なかたにさん。丸っこい顔立ちに丸眼鏡で、おとなしそう。僕の勝手なイメージを述べると、漫画に出て来る漫画家志望の女の子って感じだ。

「謝る必要は全然ないわよ」

 実光副部長が微笑を浮かべた。長い黒髪がきれいな細面、まず間違いなく美女に分類される。再び勝手なイメージで述べるなら、おどろおどろしい推理物を好んで読むようなタイプには見えない。

「表紙の絵が苦手ということは、横溝正史よこみぞせいし作品全般だめってこと?」

「はい……」

「それはさすがに勿体ないから、気が向いたときに一冊、さっき出た『獄門島』でもカバーを外して読むことをおすすめするわ」

「分かりました。がんばってみます」

 がんばるという表現がおかしかったか、何名かの笑いを誘う。

「順番が違っちゃうけど、ついでだから先にあなたに聞くわ。中谷さんの好きな本格ミステリ作品は何?」

「えっと、赤川次郎あかがわじろうさんの三毛猫ホームズの最初の……密室の」

「『三毛猫ホームズの推理』、やな? シリーズ物でタイトルが似とると覚えるの面倒で、僕も苦労してるわ」

 特徴的な関西弁で口を挟んだのは、上岡かみおか先輩。関西弁・大阪弁のしゃべりを字にすると、怖いとか粗野といったイメージを持つ人もいるかもしれないけれども、少なくとも上岡さんの実際の話しぶりは、ソフトな印象を受ける。

「あ、はい、それです。『三毛猫ホームズの推理』と栗本薫さんの『ぼくらの時代』とで迷っています」

「ふふん、いかにもって感じだねえ。中谷さんの本格観も何となく分かるような気がする」

 加藤部長が短く評する。それ以上は本格の定義に関わってくると判断したか、残る二名への質問に戻った。

「じゃあ多家良たからさんはどうかな」

 僕の右隣に座る多家良虹穂にじほさんは、分かり易く何度か瞬きすると、念のための確認という風に、「好きな本格ミステリ、ですか?」と聞き返す。

「ああ。できれば一つに絞ってほしいね」

「うーん、私も迷うくらい多くて、長編と短編、国内と国外でそれぞれ選びたいくらいなんですが」

「まあまあ、細かい分類は、このあとの新歓で聞く機会があると思うから、敢えて一つに絞ると?」

「……『戻り川心中』にしておきます。幻影城の作家さんは全員好きなんですが」

「おお、いいね。ミステリしか読んでこなかった俺なんか、美文てものが何なのか、あれで初めて分かった気がしたな」

 彼女の返答にいち早く反応したのは、先輩の柳沢やなぎさわさん。部長と副部長および上岡さんが三年生であるのに対し、柳沢さんは二年生だ。細い目と額の左にある小さな“レ点”みたいな傷跡のせいで怖く見えるが、実際は極普通のようだ。目付きは視力のせい、傷は小学生の頃に電柱にぶつかってこしらえた物だという。

「その答だと、『戻り側心中』単品なのか、短編集なのか区別が付かないわ」

 副部長が指摘すると、多家良さんは「あ、ばれました?」と舌先をちょっと覗かせた。

「なるべく多く選びたかったので、短編集のタイトルのつもりでした」

「多家良さんて案外、計算高いと見た」

 副部長が言うのへ、多家良さんは勘弁してくださいとばかりに頭を両手で押さえて、お辞儀した。

 それにしても、彼女が連城三紀彦れんじょうみきひこ作品を挙げるとは、ちょっと意外だった。多家良さんと知り合ったのは入部希望でこの部室を訪ねたときが最初で、それ以来、学内や通学電車の中で見掛けることがあった。その際に彼女が読んでいたのは、いつも赤川次郎だったのだ。

 ひょっとすると、新入部員の女子同士ってことで、中谷さんと話を合わせるために赤川次郎作品を集中的に読破しているのかもしれない。

「じゃ、最後に王子谷おうじたに君のベスト本格は? 考える時間がたっぷりあったから一つに絞れた?」

 実光先輩の笑み混じりの問い掛けに、王子谷はほんのちょっぴりだけどどぎまぎする様を垣間見せた。男ならそれが正常だと思うよ、うん。次に答え始めたとき、王子谷の声は普段通りの朴訥とした口ぶりになっていたけれども。

「『そして誰もいなくなった』、です」

「クリスティの超有名作ね」

 わざわざ実光先輩がそう言ったのは、多分、『「そして誰もいなくなった」殺人事件』なる作品が存在するからだろう。

「てことは、本格ミステリにサプライズを期待する方かい、王子谷君は」

 部長の突っ込んだ質問に、王子谷は困惑げに首を振った。その振る方向も立てだか横だか分からない、曖昧としたものだ。

「い、いえ。ロジックで犯人をずばり指摘するタイプも、派手な物理的トリックが炸裂するタイプも好きです。ただ……最初に感動を覚えたミステリ作品が『そして誰もいなくなった』だから、というのが大きい訳でして」

「なるほどね、そうだね。最初ってのは印象が強い。好きな物の順位を決める大事な要素だ。――おっ。ではそろそろ出発と参ろうか」

 時計を改めて見やった部長は、いち早く席を立った。


 その後、居酒屋で始まった新入部員歓迎の飲み会は、カラオケボックスでの二次会も含めて大いに盛り上がった。

 あとで聞いたところによると、居酒屋でイッキをやっていた学生グループの中に死人が出たらしい。新聞種になっていたが、僕らB大学とは別の大学だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る