06:子犬との初めてのお散歩

 フランが言葉を喋るようになってから、さらに毎日が楽しくなった。

 だってヒルッカは今まで、独りきりだった。納屋に押しやられてからずっと。誰かが――それがたとえ人間ではなかったとしても、傍にいてくれるだけではなく会話までできるなんて楽し過ぎる。


 しかも、犬がどうやったら幸せな気持ちになるか、ヒルッカに丁寧に教えてくれた。


 遊んでくれること。褒めてくれること。名前を呼んでもらうこと。

 フラン曰く、それだけでいいらしい。


 (それくらいなら私にもできる!)と思ってやってあげたら、本当に嬉しそうな笑顔を向けられ、ヒルッカの胸がなぜかきゅっとなる。

 それがときめきというやつだと彼女は知らなかったが、全然嫌な感じはしなかった。


「フラン、今日は何してほしい?」


 今日もヒルッカはフランの毛並みを梳かしながら訊いてみる。


「そうだなぁ、この小屋で遊ぶのも好きだけど、そろそろちょっとお散歩してみたい」

「……お散歩?」


 思わず首を傾げてしまったのは、のんびりとお散歩なんていう経験は彼女の中にはなかったからだ。


「俺を連れて、歩いてくれるだけでいいんだ。あっちの森……いや、ヒルッカは柵を越えられないから、この屋敷の敷地内をぐるっと、さ」


 楽しみで楽しみで仕方ない、というのを隠そうともせず、フランの尻尾がぶんぶん揺れる。彼の様子を見て、ヒルッカもなんだか行きたくなってきた。

 敷地内と言っても、お屋敷に入れないからヒルッカが連れて行ってやれる範囲は少ないけれど――。


(可愛いフランがいるなら、もし誰かに見つかってしまってもひどいことをされないかも)


「本当に私なんかと一緒でいいの?」

「俺は敷地内のことをよく知らないから、教えてもらわないと困るな」

「わかった。じゃあ、行こう」


 大した準備は要らなかった。

 フランの毛並みはバッチリだし、ヒルッカもいつものドレスに着替えるだけ。

 せっかくのお出かけだから綺麗な服を着ていきたいところだが、贅沢は言えない。


 二人で並んで納屋を後にし、どこへともなく歩き始める。

 目的もなく、ぶらぶらと、色々なことを語らいながら。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「ヒルッカは外に出たいと思わないの?」

「私は、出たくても出させてもらえないよ。だって私が、勝手なことをするのは許されない」

「俺を飼うために色々頑張ってくれたのに?」

「…………」


 納屋の周囲、鉄柵に囲まれたあたりをぐるぐると行く。


「風が気持ちいいね」

「ヒルッカの口からそんな言葉を聞くと思わなかったな」

「フランがいてくれるからかな。お母さんが死んでから、誰かとちゃんと話すこと、少なくて」

「ふーん」

「別に心配してくれなくていいからね。私の分までフランには幸せになってくれたら、それで充分だから!」


 やがて、納屋近辺を離れて屋敷の方までやって来た。

 豪華な建物を見て驚くだろうと思っていたら、フランの反応は少し意外だった。


「あの納屋はボロボロなのに、屋敷は普通なのか……」

「普通? すっごく綺麗なところだと思うけど」

「そっか、そう見えるのか」


 そんな風に話していると誰かが走ってきた。

 厨房で優しくしてくれた使用人の少女だと気づいて、ヒルッカは手を振る。


「ああ、いつもの子じゃないです……えっ、あ、その犬!」

「こんにちは。今日は犬を連れて、お散歩してるの。可愛いでしょ」


 少女は困ったような顔になった。


「確かに可愛いですけども。今は奥様も旦那様もくつろいでいらっしゃいますが、見つかったらどうなるかわかりませんよ」

「この子が、お散歩したいって言うから」

「……わかりました。じゃあ今日のことは内緒にしてあげます。でも、どうしてもこのお屋敷の中を歩き回りたいなら、本当に気をつけてください。わたしは、もし貴方に何かあっても助けてはあげられないので」


 使用人の少女と別れる。

 フランは何も言わず、お屋敷を一通り見て回り、遠ざかってからやっと口を開いてくれた。


「充分楽しんだし長居するのも危ないみたいだし、そろそろ帰ろうか」

「うん、そうだね」


 「ちょっと足が疲れたから抱き上げてくれる?」とフランが可愛く小首を傾げる。

 そのあざとい仕草にヒルッカはころっとやられた。元々フランのための散歩なのだから、抱き上げてはあまり意味がないのだが。

 ふわふわの体を抱いて、帰路を行く。


「ヒルッカは俺が幸せになること、全部やってくれるんだよな」

「何をすればいい?」

「俺の頭、撫でて。ヒルッカの手、気持ちいいから撫でてほしいと思ってたんだ」

「わかった。じゃあ、これから毎日撫でてあげるね」


 首元のもふもふの毛をくすぐると、心地良さそうに小さく唸り声を上げる。

 その様子が可愛くて、ヒルッカは納屋に帰るまでの間、ずっと撫で続けてしまった。


 これが二人の初めての散歩――そして、ヒルッカにはそんなつもりは微塵もなかったものの、デートとも言えるのかも知れない。

 この日から、ヒルッカの日課にフランの散歩と彼を撫でることが加わったのだった。

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虐げられ令嬢が幸せにされるまで 〜拾って育てたワンコ殿下からの愛が重過ぎます〜 柴野 @yabukawayuzu

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