05:子犬、言葉を喋る
ある晴れた日。
ヒルッカは、フランと出会った寂れた果樹園を訪れて土をほじくり返していた。
フランはというと、尻尾をゆらゆらと宙に漂わせながら、土の匂いをすんすんと嗅いだりヒルッカの様子を不思議そうに眺めるなどしている。
その仕草の愛らしいことと言ったら!
(可愛過ぎる……!)と心の中で呟かずにはいられない。
少しでも仲良くなれるように手でもふもふの毛並みを梳いたり、たくさん添い寝したりしたおかげだろうか。最初よりずっと素直な反応を見せてくれるようになった気がする。
「フランが食べられる野菜の、種をもらってきたよ。今すぐに食べるんじゃなくて、土に撒いて大きくなったらたくさん獲れるんだって」
「ウゥ〜ッ!」
「喜んでくれてるの? 良かった」
「可愛い子犬のために」とお願いして、メイドの少女に食べ物を恵んでもらいながら、ヒルッカはかれこれ半月ほどフランとの日々を送っている。
フランは愛らしい見た目に反して、食べる量が尋常ではない。すぐにもらった肉類が尽きてしまうことを除けば順調な毎日だ。
……本当はフランの食べる量は大したことがなく、飯抜きが当たり前のヒルッカの基準が少な過ぎるだけなのだが、それはさておき。
いよいよこの日、自給自足の第一歩を踏み出した。
土いじりが意外と楽しいものだということ初めて知った。
少し湿った土の匂いも感触も心地良く、そして無心になれる。
果樹園によく足を運んでいたのに、今までは成っている実のことしか気にしていなかったのは損していたと今では感じる。もしもきちんと木たちの世話をしていたら、たくさん実らせられたかも知れない。今年からやってみよう。
「土いじりには体力が必要なのが困るけど……フラン、そのうち手伝ってくれないかな」
フランと一緒にできればきっと、もっと楽しいだろうに。
そう思いながらポツリと呟いた――その時だった。
「手伝ってあげても、いいけど?」
どこかから声がした。
ヒルッカとフラン以外には誰もいないはずなのに。どう聞いてもヒルッカより幼い響きをした声を持つ者は、この屋敷にはいないはずなのに。
ヒルッカは咄嗟に周囲を見回した。が、あたりはしんと静まり返って人の気配がない。
(こんなに気味の悪いことってある? 唯一の救いは、声が可愛らしいことくらい――)
「大丈夫、だよ。こっち見てこっち。君の足元だよ」
「えっ」
足元にはフランがいる。そしてフランは、じっとこちらを見上げていた。
何かを言いたげ……否、伝えたそうな目をして。
「フラン?」
「そうだよ、ヒルッカ」
フランが、喋った。
喋っていた。当たり前のようにヒルッカの名前を――ここ数年誰にも呼ばれることがなかった名前を当たり前のように呼んだ。
つい先ほどまで、唸るくらいしかできなかったフランが。
ヒルッカはあまりの衝撃に声を失った。
子犬というものは、喋るものだったのか。
知らなかった。知らないことが多過ぎるヒルッカなので、そのこと自体に驚きはないけれど、半月もの間そのことを隠していたフランに驚いたのだ。
「今まで黙ってたのは、ヒルッカがどんな人間か知らないと、せっかく助けてくれたヒルッカに嫌な思いをさせるかも知れないと思ったからなんだ」
少し舌足らずな甘い声音で、フランは続ける。
「だけどいつまでも黙ってちゃ、ヒルッカに申し訳ないなぁと思って、喋ってみたんだけど……驚いた?」
ヒルッカが激しく首を縦に振って見せると、「そうだよね」と笑われた。
牙を見せつつ、まるで人間のように口角を歪めるその表情は、間違いなく笑みだった。
「手伝ってあげる。俺は何をすればいい?」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
人語を解しても解さなくてもフランはフランだ。幸せにすると決めた以上、フランの全てを受け入れたい。
フランが喋るという事実を受け入れるまでに数分かかってしまったが、(話せないと思い込んだ私が悪いんだし)と思い直した。
土を掘り返す作業の続きはフランに任せ、それが終わったら二人で種まき。最後の薄く土をかけるのも一緒にやった。
協力するとやはり作業効率が上がる。疲れはしたが、これなら続けられそうだ。
「これからもよろしくお願いしていいかな?」
「もちろんだよ! 土いじりだけじゃなくて、他のことも手伝ってあげるよ。だって、俺のご主人様は君なんでしょ」
薄汚れ、雨に打たれていたあの哀れな姿が嘘のように、今のフランは輝いている。
決してご主人様になりたかったわけではなく、逆に私がフランのために頑張りたいからこそ拾ったのだが……フランが嬉しそうだからこれでいい。
「ありがとう、フラン」
ヒルッカは想像もしていない。まさか、普通は犬……というか動物全般が、信頼を寄せてる相手に対して出会ったとしても人の言葉を話さないだなんて。
そんなヒルッカが相手だからこそ、フランが秘密を明かしたなんて。
「他の人には俺のことは内緒だよ」
だから、そう言われても(恥ずかしいからかな)としか思わなかったのだった。
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