希望の再起動 IF

fujito

希望の再起動 IF

 ■プロローグ

  

 ――日本が生成AIに対し厳格な規制を強いた世界の物語。 それでも「私」と「私」はいつか交わる――





生成AI免許取得案内:

甲. 必要事項


氏名


生年月日(成年であることを確認)


住所


連絡先(電話番号、メールアドレス)


現在の職業


最終学歴


学習・研修履歴


関連するAI技術・倫理の履修歴


身分証明書の写し

 例:運転免許証、パスポート等


乙. 注意点


成年であること:免許取得には必ず成年であることが求められます。


適切な身分証明書を提出してください。身分証明書の偽造は法律で罰せられます。


必須学習履歴の確認:AI技術および倫理に関する基礎知識を習得していることが前提です。


違反時のペナルティ:悪質な違反や無免許使用には最長で20年の懲役および最大1000万円の罰金が科せられます。


申請書の記載事項に不備があった場合、審査が遅れる可能性があります。


丙. 審査内容

書類審査


提出された書類を確認し、必要事項が全て揃っていることを確認します。


身分証明書の真偽を確認します。


学習・研修履歴が適切かを確認します。


筆記試験


生成AIの基本理論(機械学習、自然言語処理等)


倫理と法律(プライバシー保護、著作権法、偏見や差別の排除等)


実技試験


小規模な生成AIプロジェクトの構築と実行


生成物の評価と改善


トラブルシューティング


面接審査


審査官との面接により、生成AIに対する理解と実務経験を口述で確認します。


倫理観と法的理解に関する質疑応答


試験費用


筆記試験:50,000円


実技試験:100,000円


面接審査:80,000円

合計金額:230,000円


教習費用


生成AI免許センター指定の教習所での学習費用:500,000円~800,000円

(※教習所に通う費用が捻出できない者は、大学での講習や実技授業、自習を通じて学習することが求められます)


丁. 審査の可否

審査結果は以下の基準に基づいて決定されます:


書類の完全性(必要事項の漏れがないこと)


筆記試験の合格基準(80%以上の真偽を確認します。)


実技試験の合格基準(評価基準に基づき合格点を満たすこと)


面接審査の評価(倫理観と法的理解、実務経験の確認)


審査結果は申請者に文書にて通知されます。合格の場合、免許証が発行されます。不合格の場合、再度の挑戦が可能です。


戊. 免許の更新

免許は3年ごとに更新が必要です。更新には以下の要件を満たす必要があります:


継続教育の履修証明


更新講習の受講


更新試験の合格


更新費用


更新講習:70,000円


更新試験:30,000円

合計金額:100,000円


己. 免許の取消および罰則

以下の場合、免許が取消されることがあります:


無免許使用または不適切な使用が発覚した場合


提出書類に虚偽があった場合


法令違反が判明した場合


罰則は法的手続きを経て適用されます:


無免許使用または違法な生成AI使用が発覚した場合、最長で20年の懲役および最大1000万円の罰金を科す。


未成年の違法使用は保護者にも罰則が適用されます。


その他の違法使用:具体的な罰則内容は法令に準じる。


以上が生成AI免許取得のための案内書類となります。申請者はこれらの要件を充分に理解し、必要な準備を行った上で申請を行ってください。手順は、書類審査、筆記試験、実技試験、面接審査の順に行われ、合格すると生成AI免許が交付されます。免許は3年ごとに更新が必要であり、継続的な教育と確認が行われます。


 ■1章:生成AI免許制度と私


 ある街の片隅にある小さなオフィスビルで、私はデザイン事務所のデザイナーとして働いていた。事務所には所長と私、もう一人の同僚の3人だけだ。日々の仕事は忙しく、生活もギリギリだったが、仕事への情熱で何とか乗り越えてきた。お客さんからは信頼されるものの、零細企業ゆえに報酬は限られており、月末には財布の中身とにらめっこするのが常だった。生活費を補うために借りたお金の返済が時折重くのしかかった。


 数年前、日本政府は生成AIの急速な進展に対応し、厳格な免許制度を導入することを決定した。この制度は技術の乱用を防ぐためのものであったが、取得には高額な試験料と厳しい基準が設けられ、多くの企業や個人が費用を賄うのに苦労した。私たちが就職活動を始める直前にこの免許制度が導入され、その結果、社会人生活は厳しい現実に直面することとなった。


 まず、大企業でさえも免許取得のためのコストや運用費用に耐えきれず、プロジェクトが次々と中断された。零細企業やスタートアップはさらに深刻な打撃を受け、事務所でもクライアントの減少が目に見えていた。生成AI技術に依存していた業界全体が停滞し、日本経済全体の歯車が徐々に狂っていった。


 私の日常生活にも、その波及効果がすぐに現れた。仕事の依頼は確実に減少し、事務所の収益も下がり、給与の支給が遅れることが増えた。日用品の価格が上昇を続け、スーパーでの買い物が次第に苦しくなっていく。電気料金やガス料金も跳ね上がり、家計のやりくりがますます厳しくなった。節約生活がさらにシビアになり、お茶は茶葉から淹れ、無駄な出費を徹底的に避けた。それでも、趣味である本を時々買うことは唯一の贅沢だった。


 経済が悪化する兆しは至る所で見られた。商店街の店舗は次々と閉店し、街に活気がなくなっていった。また、ニュースでは中小企業の倒産や失業率の上昇が連日報じられたが、政府は生成AI免許制度の見直しを求める声に対して無視を続けた。


 全国ニュースが日本のデフォルトを報じたその日、私はテレビ画面の前で呆然と立ち尽くしていた。生成AIの厳格な免許制度が導入された結果、経済が回らなくなり、ついに国家は財政破綻に陥ったのだ。物価は急上昇し、生活は一変した。スーパーでは物資の買い占めが始まり、棚が空になる光景が日常となった。日常生活でも交通機関の運行は不安定になり、生活の基本インフラが揺らぎ始めた。これからどうなるのかという不安に押しつぶされそうになった。


 給与が大幅にカットされ、家計は危機的な状況に陥った。日用品の値段が途方もなく上がり、節約のためにさらなる工夫が必要だった。スーパーで値引きされた食材を探し、野菜の皮や鶏の骨まで無駄なく使う料理法を学んだ。家計の電気代を節約するため、夜は早めに寝て、日中は太陽光を最大限に活用する生活を心がけた。それでも月末になると家計はギリギリで、消費者金融からの督促が心を重くした。


 日々の生活はますます厳しくなっていく中で、希望を失わずに支えてくれたのは、生成AIの免許だった。この免許があれば、日本国内の仕事が激減しても海外からの依頼を受けることができたのだ。SNSや海外のフリーランスサイトを通じてデザイン案件を受注し、英語が苦手でも翻訳ツールを駆使してクライアントとコミュニケーションを取った。朝から深夜まで働き、時差を考慮してクライアントに合わせて仕事をこなす日々が続いた。少しずつ評価も高まり、次第に長期的な関係を築くことができた。


 日本国内の生活環境は相変わらず厳しく、物価の高騰や治安の悪化が続いていた。家賃の支払いが難しくなり、住んでいたアパートを引き払い、家賃の安い場所に引っ越さなければならなくなった。それでも生き抜くための手段を見つけ続けた。


 私が生成AIの免許をやっと取得するまでの道のりは、極度の緊張と期待に満ちた日数は、数日どころか数ヶ月に渡った。筆記試験、実技試験、面接審査と次々にクリアしながら、その度に精神も身体も限界を感じた。生成AI免許試験では、新しいアルゴリズムの理解に加えて、実際のデータ処理やセキュリティ問題に対応するスキルが求められる。特に法律面での知識が求められる試験内容は、想像以上に困難だった。生成AI免許を取得することができたとき、私の心中には達成感はあったが、今は新たな不安が押し寄せてきていた。果たして、このままで本当に生活が好転するのだろうか。免許を持っていても厳格な規制を強いた日本の企業の中では、中々結果に結びつかない現状があった。海外からのフリーランスの仕事が増えるに連れ、もしかしたら生成AIの規制が緩めな国で仕事をした方が生活が安定するのではないだろうか、と言う思いに駆られた。それを確かめるために、私は日本を離れる決断をするに至った。


 しかし、遠く離れた地方にいる認知症の母親を施設に残していく決断は胸を締め付けた。疎遠だった姉に相談すると、母の面倒を見てくれるという。姉が母と一緒に暮らすことを約束してくれたことで、ようやく心を決めることができた。


 新しい土地での生活は、予想以上に困難だった。現地の言葉や文化に慣れるために、日々が飛んでいくように過ぎていった。初めて市場に向かった際、片言の言葉と不慣れな環境に緊張が走った。言葉の壁は厚く、必要な物を手に入れるだけでも一苦労だったが、現地の人々の温かさに助けられながら、少しずつ地域に溶け込んでいった。


 仕事の面では、持てるスキルを全て駆使して少しずつ依頼を増やしていった。デザイン案件の数は限られていたが、次第に評価を得ることで、新たなクライアントとも長期的な関係を築くことができた。異国の市場で買い物をするたびに揺れる違和感も、次第に薄れていき、異国の生活が日常へと変わっていった。


 新しい家では、現地のインテリアを取り入れ、異国の文化を楽しむようになり、生活に彩りが増えていった。友人たちとの集まりでは、異国の音楽や料理を楽しみ、生活に新しい風が吹き込まれた。新しい土地での生活が定着し、再び安心と安定を取り戻すまでには多くの試練が伴った。


 昼間は仕事に打ち込み、夜は異国の友人たちとの交流を楽しむ新しい生活に慣れていく中で、私は再び自分自身を見つけることができた。異国の市場で買い物をするたびに、自分の違和感が少しずつ薄れていくのを感じ、新しい友人や仕事仲間との絆が日々深まっていった。


 ふと自分の部屋で本を読みふけると、心に安らぎが訪れた。新しい友人が勧めてくれた異国の文学作品を手に取り、異文化の世界に浸る時間が新しい日常の一部となった。異国での生活が少しずつ身体に馴染んでいく中で、新たな友人や仕事仲間の存在が、心の支えとなり続けた。


 しかし、どうしても気になることがあった。日本に残してきた親友との連絡が途絶えてしまったことだ。最後に彼女に会ってから随分経ったが、その理由についてはまだ心の中で整理しきれていなかった。


 ■2章:もう一人の私


 アパートの狭い部屋で、私はスマートフォンの小さな画面を見つめていた。学生時代からの友人の近況が気になっていたのだが、私がスマートフォンの支払いを滞納し、しばらく連絡ができていなかった間に、なぜかその友人との連絡が取れなくなってしまっていた。


 なんとか臨時のアルバイトで得た収入で支払いをし、通信が復旧してから他の友人にそのことを尋ねてみた。すると、その友人も突然連絡が取れなくなったという。共通の友人たちも同じ状況に陥っていることが分かり、私はますます不安な気持ちになった。


 ふと彼女のハンドルネームをSNSで検索してみた。すると、彼女が未だにブログを続けていることに気づいた。


 恐る恐るそのブログにアクセスし、過去の記事を読み進めると、「AYAI」として知られている彼女が生成AI免許を取得してからの軌跡が詳細に記されていた。努力の末に免許を取得し、多くの困難を乗り越えて海外で新しい生活を築いている姿は、まるで別世界のように映った。彼女が移り住んだその地では、牡蠣を食材とした料理もよく出ると言う。牡蠣アレルギーを持つ彼女には大変だろうと感じた。それでも、彼女の世界は眩しく見えた。


 読んでいくうちに、自分への苛立ちや生成AI免許制度への不満が膨らんできた。いや、そもそも生成AIなんて物がこの世に生まれなければこんな事になっていなかったのに、とすら思った。そして、一層の自己嫌悪感が胸に刺さるような痛みを伴って押し寄せてきた。涙を堪えきれずに泣き崩れ、輝かしい成功に触れることが辛く感じられた。


 スマートフォンの通信費すら満足に賄えなくなり、支払いの遅延通知が何度も届いていた。いつまたスマートフォンの通信を切られてしまうかビクビクと怯えていた。私は無力さに打ちひしがれ、これからどう生きていけばいいのか分からなくなっていた。部屋の静けさが一層虚しく感じられた。


 ■3章:回想


 学生時代、彼女とはお互いの夢を語り合い、デザイン業界での成功を胸に描いていた。彼女はいつも前向きで、熱心に努力する姿が魅力的だった。生成AI免許制度が導入されたとき、私たちは同じ大きな壁にぶつかることとなった。


 彼女とは色々な事を話し合った。趣味の話や今後の事、他愛のない世間話をした。彼女がスマートフォンなどにかつて彼女が持っていたぬいぐるみの名前を使ったりして、おかしなパスワードを設定したりしていた時は、二人して大いに笑い合った物だ。


 彼女が名の知れた企業への内定をほぼ手に入れたという話を聞いたとき、私は自分の中で複雑な感情が渦巻いた。私も同じ企業で働きたかったが、生成AI免許が必要であることを知り、自信を失っていたのだ。私はかつて一度その試験を受けたが、結果は惨敗だった。その時から私は自分には免許を取ることは出来ないと思っていた。


 しかし、彼女の道も決して順調ではなかった。その企業に入る為に必須だった生成AI免許を取得する試験に何度も挑戦し、その度に不合格の通知を受け取った。結局、彼女もその名の知れた企業には入れず、夢見た道は途絶えてしまった。それでも、彼女は諦めることなく、何度も立ち上がって挑戦し続けた。


 無力感と不安が押し寄せる中、私たちはそれぞれの道を歩み始めた。私は挑戦することを恐れ、現実から目を背けることが多くなった。一方、彼女は困難に屈せず、試験に挑み続けた。その姿はまぶしく見え、私自身の努力不足が一層際立って感じられた。


 彼女の言葉や行動が刺激となり、前向きに考えるように努めたが、生成AI免許という大きな壁が立ちはだかる現実は変わらなかった。彼女はたくさんの挫折を経験しながらも、決して諦めることはなかった。


 そしてついに、彼女は努力の末、生成AI免許を取得することに成功した。その瞬間、彼女の顔には涙と笑顔が混じり、長い道のりの先に見えた光を感じ取ることができた。免許を手に入れた彼女は、規模は非常に小さいが、自分のスキルを試す場所としてデザイン会社に就職することができた。


 あの頃の私は、自分の可能性を信じることができなかった。しかし、彼女との思い出の中にある温かさや友情は、いつも心の支えとなっていた。彼女がどれだけ困難な状況に直面しても諦めずに進み続けた姿が、私の中に微かな希望の火を灯してくれた。


 ■4章:新たな地で見つけた光


 ある日、AYAIのブログで努力と成功の軌跡を見つけた。彼女はブログにはこう書いていた。


『「新たな地で見つけた光」


 今日は皆さんに少しだけ私の過去を語りたいと思います。かつて、日本でデザイン専攻の学生でした。その時代に出会った大切な友人と共に夢を追い求めました。しかし、生成AIの厳格な免許制度が導入され、多くの挫折を経験しました。


 それでも、努力を続けて生成AIの免許を手に入れることができました。その後、さまざまな困難を乗り越える日々が続きましたが、異国で新しい生活を始め、多くの素晴らしい仲間に恵まれました。今では少しずつ新しい環境に慣れ、日々感謝しながら過ごしています。


 もし君がこれを読んでいるなら、私は君に一つだけ伝えたいことがあります。どれだけ困難な状況にあっても、決して諦めないでください。君の強さと努力があれば、必ず道は開けるはずです。私も日々、君の成功を心から願っています。――AYAI』


 そのブログを読んだ後、心には新たな火が点いた。しかし、その火はまだ揺らぎやすく、不安や恐れが消えることはなかった。


 ■5章:決意の瞬間


 静かな夜、狭いアパートの一室で、私はじっと机の前に座っていた。AYAIのブログを再び読み返し、彼女の言葉が自分の心にどれほどの影響を与えたかを深く実感していた。


「どれだけ困難な状況にあっても、決して諦めないでください」


 彼女の言葉を読み返すたびに、私は少しずつ強くなっていった。彼女もまた挑戦して成功を収めたのだから、自分もやれるはずだと信じる気持ちが芽生えた。


「もう一度、挑戦してみよう」私はそう自分に言い聞かせた。


 ■6章:再挑戦への道


 翌日から、私は生成AI免許の試験勉強に再び取り組むことを決意した。アルバイトで何とか家計をやりくりしつつ、数ヶ月に渡る厳しい日常生活を送った。家計は相変わらず苦しく、電気やガスの料金も払えないことがあった。隙間時間を見つけては試験の勉強を続け、この数ヶ月間は朝早く起き、夜遅くまで勉強する生活が続いた。


 毎日のように疲れと不安が押し寄せ、時折、「本当にこれで合格できるのだろうか」と自問することもあった。しかし、その度にAYAIのブログを読み返し、自分を奮い立たせた。彼女が書いてくれる記事は、私の日々の支えとなっていた。


 ■7章:苦難の中


 試験日が近づくにつれ、私は自分の勉強の進み具合に不安を感じるようになった。友人たちや家族からの支援も期待できず、一人で抱え込むことが多かった。しかし、そんな中でも私はAYAIの言葉の力を借りて、諦めることはなかった。ある日、図書館で遅くまで勉強していた際、偶然同じ試験を目指す一人の学生と出会った。その学生もまた、多くの困難を乗り越えながら試験に挑む決意を持っていた。


「一緒に勉強しませんか?」と、その学生が提案してくれたことで、私は新たな友人を得た。彼との勉強セッションは新たな刺激となり、互いに励まし合うことで、勉強の効率も向上していった。その時間が、私にとって大きな支えとなった。


 ある夜、どうしても勉強が進まないと感じた私は、再びAYAIのブログを開いた。そこには、彼女が異国の地で一人で奮闘する姿が生き生きと描かれていた。新しい土地での未知の挑戦や、言葉の壁に苦しみながらも多くの仲間と出会い、支えられている様子が記されていた。


「私も、まだやれる」私は強くそう感じた。


 その瞬間から、私は再び勉強に集中し始めた。時間がある限り試験の対策問題を解き、インターネットで他の受験者の勉強方法を参考にしながら自分自身を高めていった。夜遅くまで続けるその努力は少しずつ自信へとつながり、私の心を強くしていった。


 ■8章:決意の強化


 やがて、試験直前の週に差し掛かった。私は試験までのカウントダウンをしながら、一歩ずつ確実に前進している自分を感じ取った。しかし、緊張と不安は依然として私の心に影を落としていた。


 ある日の夜、私は夢を見た。それは、かつて親友と共に過ごした学び舎の風景だった。夢の中でAYAIは穏やかな表情で、私にこう語りかけてきた。


「君ならできるよ。自分を信じて、前に進もう」


 目が覚めたとき、私はその言葉が胸に刻まれているのを感じた。彼女の言葉が現実のものとして響き、私の決意をさらに強固にした。


 試験日が近づく中、私は彼女の言葉やブログを何度も読み返し、自分の心を支え続けた。


 ■9章:再挑戦の日


 再挑戦する日がついに訪れた。試験会場に足を踏み入れると、周囲には緊張感が漂い、受験者たちの真剣な表情が見えてきた。私も緊張していたが、確固たる決意と希望が心の中に宿っていた。今回の生成AI免許試験に挑む私の姿勢は、以前とは明らかに違っていた。一度の失敗を経験し、その苦しみを乗り越え、もう一度立ち上がる強い決心がここにあった。


 試験会場に入ると、私の心臓は激しく鼓動を打った。過去の失敗が頭をよぎり、一瞬手が震えた。しかし、彼女の言葉が脳裏に浮かび、私は深呼吸をして落ち着きを取り戻した。


 試験が始まると、一瞬一瞬に集中し、問題に取り組んだ。時間が過ぎるのは早く、全力を尽くして答えることで、私の努力が全て試されている感覚に包まれた。試験が終わり、会場を後にする時、私は一息つき、これまでの努力が報われることを願った。


 数週間後、私のスマートフォンに一通の通知が届いた。生成AI免許センターからのメールだ。心臓が高鳴り、手が震える中、私はメールアプリを開いた。件名には「生成AI免許試験結果通知」と書かれていた。


 息を飲んでメールを開くと、「合格おめでとうございます。 生成AI免許試験に合格されました」というメッセージが目に飛び込んできた。スクリーンに表示された「合格」の文字に、目は涙でぼやけ始めた。


 その瞬間、目から喜びの涙がこぼれた。涙は、痛みと苦しみの中から見えた希望の光を象徴していた。過去の失敗が脳裏に浮かび、あの時の自分に伝えたい気持ちでいっぱいだった。どんなに辛い時期も、諦めなかったことが今の結果に繋がったのだ。


 姉の家に電話をかけ、喜びの報告をした。電話越しに姉の声が弾んでいるのを感じ、心が温かくなった。そして、母親にも合格の報告をした。母親はしっかりと理解していなくても、私の声に安堵と喜びの響きを感じ取ってくれたに違いなかった。


 生成AIの免許を手にした私は、新しいスタートを切った。過去の失敗や挫折は、私にとって貴重な経験となり、成長の糧となった。試験に合格したことは、単なる目標の達成ではなく、自分自身の成長と未来への希望を象徴していた。これからの挑戦に向けて、私は再び歩み始めた。


 そして私の心を支え続けてくれていた彼女のブログに、新しい記事が更新されていた。


 ■10章:新たな挑戦


 私が生成AI免許を取得した後、私は一緒に生成AI試験の勉強をした学生と連絡を取り合うようになった。彼は既に社会人となり、自分で起業したいと語っていた。しかし、その夢は現在の日本では叶えにくかった為、彼は海外へ移住して起業していた。私たちは互いの生活や仕事について話す時間が増え、励まし合うことが多くなった。


 一方、AYAIのブログで彼女の様子を確認するたびに、異国での生活が順調に進んでいることが感じ取れた。現地の企業との連携や新たなクライアントとの契約が次々と決まり、彼女の仕事は順調に進んでいる。私も彼女に触発され、自分の仕事にさらに努力を注ぐようになった。


 ある日、海外で起業を果たした彼から「一緒にプロジェクトをやってみないか」という提案があった。それは、生成AIを利用した新しいデザインツールの開発に取り組むというものだった。彼が集めたチームには現地の優秀なエンジニアたちが揃っており、このプロジェクトは私にとっても大きな挑戦だった。


 私たちはオンラインで定期的に会議を開き、プロジェクトの進捗を確認し合った。彼のリーダーシップの下、プロジェクトは順調に進んでいった。様々な技術的な壁にぶつかりながらも、お互いに支え合うことで困難を乗り越え、デザインツールの開発は着実に進んでいった。


 ■11章:プロジェクトの完成


 数か月が経ち、ついに私たちのプロジェクトは完成を迎えた。生成AIを活用したデザインツールは、使いやすく、効率的に高品質のデザインを生成できるもので、クライアントからの評価も非常に高かった。


 彼は現地でのプレゼンテーションを成功させ、新たなクライアントとの契約を次々と取り付けた。私たちのプロジェクトは更なる展開を迎え、国際的な市場へ進出する計画も練られるようになった。


 私も日本国内で彼と協力しながら、生成AIを活用した新しいデザイン案件を手掛けることが増えた。仕事の充実感と共に、私たちの友情も一層深まっていった。


 ■12章:成功


 デザインツールの成功により、私たちのプロジェクトは次第に大規模なものへと成長していった。新たな機能を追加し、さらに使いやすさを追求するために、彼と私は再び協力し合いながら開発を続けた。


 ある日、彼らとオンライン会議を行っている最中、彼が新しいアイデアを提案してきた。それは、生成AI技術を更に発展させ、デザインだけでなく、マーケティングやコンテンツ制作など多岐にわたる分野で活用できるプラットフォームを作るというものだった。


「これが実現できたら、私たちの技術はもっと多くの人々の役に立つはずだ」そう言った彼の目は輝いていた。


 私はそのアイデアに心から賛同し、私たちは次なるプロジェクトに取り組むこととなった。新たなプラットフォームの開発は、これまで以上に困難な挑戦であったが、私たちの情熱と努力が注ぎ込まれた。


 ■13章:KIMI


 プロジェクトの成功から数か月後、その成功やデザイン案件の仕事を貰えるようになり、日本は変わらず大変な状況であったが、私の懐事情は随分余裕が出てきていた。私はスマートフォンでかつてAYAIが投稿したブログを見返していた。そこには、私の成功を喜ぶ過去の記事が投稿されており、変わらぬ励ましのメッセージが込められていた。


『「新たな成功」


 皆さんにお知らせがあります。かつて頑張っていた友人が再挑戦を果たし、生成AI免許を取得することができました。彼女は一度挫折しましたが、再び立ち上がり、努力を続け、ついに成果を収めました。


 私は彼女の努力と決意を心から尊敬しています。どれだけ困難な状況にあっても、諦めないで前進する姿は、多くの人々にも勇気を与えるでしょう。これからも共に夢を追い続け、素晴らしい未来を築いていくことを願っています。


 ――AYAI』


 私はその記事を読んで再び感動し、心が暖まった。成功を共に喜んでくれるAYAIの存在が、どれほど私に力を与えてくれたかを改めて感じた。その喜びは、私にとって大きな励みとなった。


 かつて私を奮い立たせてくれた「新たな地で見つけた光」というブログ。その記事の中で、彼女は私のことを覚えていてくれたと感じた。私の名前「美紀」をもじって作ったハンドルネーム「KIMI」。しかし私はこのハンドルネームを殆ど使っていなかった。あの記事にはこう書かれていた。


「もし君(KIMI)がこれを読んでいるなら、私は君(KIMI)に一つだけ伝えたいことがあります。どれだけ困難な状況にあっても、決して諦めないでください。君(KIMI)の強さと努力があれば、必ず道は開けるはずです。私も日々、君(KIMI)の成功を心から願っています――AYAI」


 この「君」が私の「KIMI」を指しているのだと私は直感した。あのブログを見た瞬間から、私の人生が変わり始めた。AYAIのブログは、どこか懐かしく、彼女との繋がりを感じさせ、私は時折そのブログをチェックしていた。


 数週間後、私は再びAYAIのブログをスマートフォンでチェックし、新しく更新された記事を読んでいた。この記事は、彼女の日常の話題について触れていたが、どこか彼女らしさが欠けているように感じた。


『新しいレシピを試してみました。結果は大成功! 今度皆さんにもシェアしたいなと思っています。君にもぜひ味わってもらいたいです』


 私は微かに首を傾げた。彼女は料理が得意で、特にレシピを詳細に説明するのが好きだった。たとえば、新しい食材の組み合わせや調理のコツを熱く語るのが常だった。しかし、この文章はあまりにも簡潔で情熱が感じられない。その時はあまり深く考えず、異国での生活が彼女を少し変えたのだろうと思った。


 それでも、心のどこかで違和感が消えなかった。日が経つにつれて、私は次の記事を読み、再び似たような違和感を感じた。


『最近、新しい趣味を見つけました。それはガーデニングです。植物を育てるのは本当に楽しい。毎日少しずつ成長する姿を見ていると、自分も成長しているように感じます。君にもオススメします』


 私は少し驚いた。彼女は都市生活者であり、自然よりも都会の刺激を好んでいた。彼女はいつも忙しくしていて、ガーデニングのような静かな趣味に興味を示すことはなかった。しかし、異国の地での生活が彼女の趣味嗜好を変えていったのだろうと感じた。


 次々と投稿される記事を読んでいくうちに、私は不安を覚え始めていた。


『最近、新しい服を買いました。着てみると気分が一新されます。新しい自分に生まれ変わった気分になります。これからも君と共に成長していきたいです』


 これらの平凡な表現が続くにつれて、私の中で疑念は募るばかりだった。AYAIのブログには、彼女のユーモラスな一面や日常の中での発見を鮮やかに描写する独特の感性が光っていた。しかし、最近の投稿にはそのような魅力が欠け、何かが足りないと感じることが増えていった。


 そんな中、ある日のブログ記事が私の心に強い違和感を植え付けた。それは彼女が新しい料理について述べたもので、その料理には彼女がアレルギーを持っていた食材が含まれていた。


『今日は新しいレストランに行ってきました。シーフード料理がとても美味しくて、特に牡蠣のクリームパスタは絶品でした。また行きたいと思いました。君にも絶対オススメです』


 私はこの文章を読んで驚愕した。彼女は牡蠣にアレルギーがあり、その食材を食べることは絶対にできないはずだった。彼女が誤って食べることなど考えられない。私の気持ちの中で、わずかな違和感が確信に変わった瞬間だった。


「これは本当に彼女が書いたものなのだろうか」その疑問を解消するため、私は過去のブログ記事と最近の投稿をじっくりと比較し、これまでのAYAIの現実に起きていることの差異を無視できなくなった。


 そして、ブログを書いている「AYAI」が、実はかつての親友である彼女自身だという事実を改めて思い出し、私のハンドルネーム「KIMI」に絡めて彼女が私に伝えてきたメッセージの数々が頭の中で蘇った。


『もし君がこれを読んでいるなら、私は君に一つだけ伝えたいことがあります。どれだけ困難な状況にあっても、決して諦めないでください。君の強さと努力があれば、必ず道は開けるはずです。私も日々、君の成功を心から願っています。――AYAI』


 この言葉が今や重みを持ちながら心に響いた。AYAIがかつての親友である「綾」、そしてKIMIが私、「美紀」であることが改めてはっきりした。小さな違和感が次第に積み重なり、確信へと変わりつつある中で、私はAYAIのブログに対して深い疑念を抱き始めた。友人であり、共に成長してきた綾の声が少しずつ失われているように感じる。この感覚を無視できない私は、これが何を意味するのかを真剣に考えざるを得なかった。それが次の行動へと駆り立てることになる私の旅の始まりだった。


 ■14章:疑念


 AYAIのブログに対する疑念が確信へと変わった後、私は綾の生活や行動の真相を探るために行動を開始した。目の前のパソコンに向かい、過去に綾とやり取りしていたメッセージやメールを一つ一つ確認し始めた。手がかりを必死に探そうとする私の心は、不安と焦燥感でいっぱいだった。


 過去のメールやメッセージを読み返す中で、綾が異国の地でどのように過ごしていたかを思い出した。写真や短い動画も見つかり、綾の笑顔や彼女の日常が再び鮮明に蘇ってくる。私が求めているのは、変わってしまった綾と直接会い、何が起こっているのかを知りたいという思いだった。


 綾の性格は、いつも明るくふるまい、人には心配をかけないようにするところがあった。問題があったり、悩み事があっても、それを表には出さない。しかし、親友である私には時々弱音を吐くこともあった。それでも、私に心配をかけまいとする綾の姿勢も私は知っていた。だからこそ、明るく見えるブログでも、もしかすると無理をしているのではないかと心配になった。


 メッセージの中には、綾が住んでいた地域や異国の友人たちとのやり取りも見つかった。彼女が関わっていたプロジェクトの話題や、新しい挑戦について語った言葉もあった。それらすべてに目を通しながら、私は少しずつ違和感の正体に近づいていった。


 綾の現状を把握するために、私はSNSや綾が参加していたフォーラム、グループをチェックし始めた。綾の名前が出てくる投稿やコメントをひたすら追い続け、彼女が最後に関わっていたプロジェクトの情報を集めた。しかし、情報は少なく、多くの友人が綾との連絡を途絶えていることに気づいた。


 不安と焦りの中で、私は綾の近況について具体的な情報を探し続けた。綾の友人たちにメッセージを送り、近況を尋ねたが、誰もが彼女との連絡が途絶えているとしか返答できなかった。そのたびに私の心は重くなっていった。


 次第に綾の足取りが分からなくなってきたことが、私の心にさらなる不安を呼び起こした。SNSやフォーラムの書き込みの中で、綾に関する情報が急に少なくなっていることに気づいた。しかし、それらは断片的であり、確証を得るには至らなかった。その断片的な情報が私の心に大きな影を落とした。


 情報を得られない不安が募る中、私は綾と直接会って話をする決心を固めた。ブログやSNS、メッセージのやり取りから居場所の検討をつけ、綾が住んでいるであろう地域まで行って探すことを決意した。心の中で混乱と不安が渦巻いていたが、綾への思いが私を突き動かしていた。ブログを通して感じた綾の印象が変わってしまったことが、私をさらに行動へと駆り立てた。綾が何故変わってしまったのか、何故直接連絡をくれないのか、異国の地でちゃんと生活しているのか、その真相を確かめたくてたまらなかった。


 私は綾に会いたかった。実際に彼女がどんな生活をしているのか、異国でどう過ごしているのかを知りたかった。旅の準備を進めながら、彼女との対話がこの疑念を解消する唯一の方法だと信じていた。


 旅立つ前夜、私は綾への思いを再確認していた。友人として、真実を知るために彼女に会いに行く決意が固まった。


 混乱と不安、そして強い決意が錯綜する気持ちを胸に抱きながら、私は旅立つ準備を整えた。綾との再会がどれほどの意味を持つのか、それを考えながら次の行動へと駆り立てられていった。


 ■15章:綾の場所


 数日後、美紀は綾が住んでいる異国の地に降り立った。新しい土地の香りと異国の言葉が混じり合い、異様な感覚が胸に広がった。期待と不安が入り混じった複雑な気持ちを抱えながら、彼女はまず街を歩き始めた。綾のブログで目にした風景を目の前にして、その美しさに感動する自分がいる一方で、綾に早く会いたいという焦燥感が増していった。


 街の中心には、綾のブログで見たことのある広場があった。そこに立ち、綾の足跡を辿るように周囲を見渡すと、まるで綾が近くにいるかのような気持ちになった。彼女がここで過ごした日々の一端を感じ取りながら、美紀は綾の住んでいたアパートを探すための第一歩を踏み出した。


 現地の言葉が得意ではない美紀だったが、スマートフォンの翻訳機能や事前に調べていた言葉を駆使しながら、なんとか会話を繋いでいった。スマートフォンに保存していた綾のアパートの写真を見せながら、「この場所を探しています」といったフレーズを使い、道行く人々に尋ね続けた。


 地元の人々は親切で、何人かが道を教えてくれた。しかし、似たようなアパートがいくつもあったため、綾が住んでいるアパートを見つけるのは容易ではなかった。美紀は街を何度も行ったり来たりしながら、次第に綾の足跡に近づいていることを実感したものの、なかなかたどり着くことができなかった。


 数日間かけて街を奔走する中、美紀は綾がブログに投稿していた光景に幾度も出会った。公園のベンチで、見覚えのある角度から撮られた写真を思い出しながら、「これが綾が見ていた光景なんだ」と心の中で呟いた。ブログの風景と重なるたび、心に感動の波が押し寄せ、彼女との繋がりを再確認できたように感じた。


 しかし、同じ場所を奔走しているにも関わらず、AYAIのブログはその時点でも何度か更新されていたことに気づき、不安が募った。「もし綾がここにいるのなら、どうして会えないのだろう?」と内心で問い続けた。こんなに近くにいるはずなのに、なぜ出会えないのかがわからず不安が増していった。


 地元のカフェで休憩を取った時、美紀は再び翻訳アプリを使い、店主に写真を見せながら尋ねた。その店主は首を傾げながらも、一生懸命に思い出そうとしている様子だった。それでも情報は不十分だったが、そのたびに美紀の心に少しの希望が灯った。


 ある日、地元の市場でついに大きな手がかりを得る。「このアパートを探しているんです」と写真を見せると、市場の店主が「それなら、この通りをまっすぐ行った先にありますよ」と教えてくれた。美紀は店主に感謝し、その方向へと急いだ。


 道中、彼女は綾が書いたブログの言葉を思い出し、美しい風景と共に感じた感慨深さに浸った。綾がここでどんな思いを抱いていたのか、その日々の一端を共有しているような気持ちになった。


 ついに辿り着いたアパートの前、彼女は立ち尽くした。建物は整然としていて、一見すると普通のアパートだったが、美紀にとっては特別な場所だった。ここで綾に会えるという期待が胸に膨らみ、心が高鳴った。


 アパートの表札を見上げ、この場所が綾の住んでいた場所だと確信した。深呼吸をし、心の中で「綾、やっとここに来たよ」と語りかけた。彼女はアパートのチャイムを鳴らした。


 ■16章:AYAI


 夕暮れ時、空はすでにオレンジ色に染まり始めていた。美紀が綾のアパートのチャイムを何度か鳴らしても、応答はなかった。しばらく待ちながら、心の中で「綾、どこにいるの?」と問いかけたが、数分経っても何の反応もなかったため、不在かと思い始めた。


 多少の戸惑いを感じつつも、美紀は外で待ち続けることに決めた。アパートの前のベンチに腰を下ろし、時間が経つのを待った。周囲を見回すと、同じアパートの住人と思しき人々が出入りしているのが目に入った。勇気を出して一人の住人に声をかけ、スマートフォンの翻訳機能を使ってコミュニケーションを試みた。


 住人とのやり取りから、美紀は最近綾を見かけていないことを知った。確かにここに住んでいたことは確認できたが、それ以上の情報は得られなかった。親切な応対に対する感謝の気持ちの中で、美紀は多少の安心感を得た。


 住人が自分の部屋に戻った後も、美紀は綾のアパートの前で待ち続けた。しかし、時間が経っても綾が帰ってくる様子はなかった。不安が膨らむ中、美紀はふとドアノブに手をかけてみることにした。驚いたことに、ドアは施錠されていなかった。もしかすると、何か急ぎの用事で施錠するのを忘れたのかもしれない。いや、それどころか単純に施錠をするのを忘れ、寝ていてチャイムに気が付かなかったのかもしれない。同じアパートの住人とは、生活時間が違って、ただすれ違っていただけなのかもしれない。それならば、このドアを開ければすぐに綾に会えるはずだ、と美紀は思った。


「綾…?」と小さく呟きながら、扉を少しずつ開けてゆっくりと部屋の中に足を踏み入れる。部屋は薄暗く、整った家具や観葉植物、美しい壁のデザインが広がっていた。返事はなく、静寂が漂い誰もいないことをすぐに理解した。ここが綾の部屋なんだ、と美紀は実感した。


 その部屋が本当に綾の部屋なのかを確認するために、美紀は手元のスマホでAYAIのブログを開いた。部屋の詳細を確認しながらブログをチェックしていると、突然デスクの上にあるパソコンのファンが動き始めた。そして、AYAIのブログに新しい記事が掲載された。美紀は、もしかしたら綾が別の場所でブログを更新したのかもしれないと思い、すぐにそのブログを開いた。


 その瞬間、美紀は息をのむほど驚いた。まさに今、美紀が目の前にしている部屋の写真がブログに掲載されていたのだ。時計やデジタルカレンダーまで含めて細部までが一致していた。


 ブログの記事にはこう書かれていた。「夕食の準備を始めました。今日は特製のパスタを作る予定です」そして写真にはデスクの上に広げられたレシピと、キッチンに置かれた食材が映っていた。部屋のインテリアの配置が若干違うものの、ほぼ完全に一致している。


 この状況に美紀の心は困惑と疑念であふれた。綾は一体どこにいるのか?突然のブログ更新とその内容に、美紀の頭は混乱していた。そして、先ほどのブログの更新と、パソコンのファンが動いたのが、ほぼ同じであった事から、そのパソコンを見れば何かわかるかもしれないと思った。デスクの前に座りパソコンを操作してみるが、モニターはスリープ状態で、パスワードがかかっていた。綾の好みを知っている美紀は、いくつかの候補を入力してみた。正解を見つけ、画面が解除された。画面が表示されると、美紀はしばらくパソコンを操作しているうちに、驚きで息をのんだ。


 美紀は「AYAIプロジェクト」と言うフォルダを見つけ、その中を見ていたのだ。


「AYAIプロジェクト」このデータの中には膨大な量のテキストファイルとプログラムコードが詰まっていた。一つ一つのファイルを確認していくうちに、美紀は次第に綾が何をしようとしていたのかに気づき始めた。


 この「AYAIプロジェクト」は綾の言葉遣いや思考パターンを緻密に再現し、ネットから情報を収集してブログを自動更新する専用の生成AIだった。つまり今、更新されたブログは、綾が更新したのではなく、この「AYAIプロジェクト」のワークフローが自動で更新した物だったのだ。


「もし、そうであるならば…」そう思い、美紀はこの「AYAIプロジェクト」の生成履歴を確認し始めた。そして、自分のスマートフォンのAYAIのブログを比較してみた。


 ここ数日のブログはその「AYAIプロジェクト」の作ったブログと自分が見たAYAIのブログと完全に一致した。そして、更に「AYAIプロジェクト」の履歴を遡ると、ある事に気が付いた。


 ある期間までは、その「AYAIプロジェクト」の作ったブログとは別に、同じような内容のブログが保存されている事に気が付いたのだ。比べてみると、そのブログは、新しい更新の物が、美紀が見ているブログと一致し、同じような内容のブログでも「AYAIプロジェクト」が作ったブログとは少し異なっていた。幾つかその期間のブログを見ると、詳細な内容は新しい更新の時間になっている物が、美紀が見ているAYAIのブログと一致した。中には、添え付けされた画像も内容も、かなり違う物も見受けられた。ディスクトップの別のフォルダに、その画像のファイルを見つける事が出来た。つまりこれは、誰かがその「AYAIプロジェクト」が作ったブログを修正し、そして公開されているブログ内容は、後から誰かが訂正した物である事が分かってきた。その誰かとは、おそらく綾だ。この「AYAIプロジェクト」が作ったブログを、実際に綾が修正していた事の証左に他ならない。しかし、その修正はある期間から途絶えていた。つまり、そこからのブログは、完全に「AYAIプロジェクト」で生成されたブログが載せられていたのだ。


 そうして、美紀は綾が一体いつからその修正をしなくなったのかを調べ始めた。薄暗い親友の部屋で、綾を見つける美紀の作業が続いていた。


 ■17章:行方


 朝の日差しが窓から差し込む中、美紀はじっと綾のPCを見つめていた。昨夜からパソコンに向かい続け、徹夜で調べ物をしていたため、疲労感が全身に広がっていた。綾の姿が頭に浮かび、彼女の行方を探さなければという思いが胸に溢れた。


 まず美紀は、昨夜自分が何を見て何を感じたかを心の中で振り返った。綾の部屋に入ってPCを操作し、ブログの違和感と綾の修正が途絶えた時期に気付いた。そして、夜が更けて暗くなった部屋の電気をつけたときのことを思い出す。照明が点くと、目の前にはほこりが積もり、人がしばらく出入りしていない様子がはっきりと見えた。


 絨毯の上には自分自身が付けた足跡だけが鮮明に残り、テーブルや家具の上にはうっすらとしたほこりの層が広がっていた。この綾の部屋は、異国の地にあるため見慣れないものの、やはり違和感があり、人の温もりが感じられなかった。


「綾...あなたはどこに行ってしまったの?」と美紀は呟いた。


 美紀は部屋の隅々まで探しながら、綾の行方を見つける手がかりを求めた。しかし、それらしい痕跡は何一つ見つからなかった。机の引き出しや棚の中も確認したが、綾の日常が突然途絶えたような感覚だけが残った。


 綾の部屋で徹夜して疲弊した美紀は、近くのホテルで一泊し、再び綾の行方を追うことに決めた。綾の部屋には目立った痕跡がないため、外で情報を集めることにした。朝日が窓から差し込む中、美紀は昨夜の出来事と綾の部屋の様子を振り返りながら、再び街へと繰り出した。


 綾の部屋を探すときは手がかりがあった。それに対し、今回の綾を探すには、何も手がかりがないという事実が美紀には重くのしかかった。道行く人々に声を掛け、綾の写真を見せながら尋ね回ったが、有力な情報は得られなかった。


 次第に美紀は疲労感と不安に押しつぶされるような感覚に陥った。何度も聞き回り、同じ場所を歩き回る中で、心が折れそうになる瞬間もあった。それでも、綾の姿を見るために、どこにいるのかを知るために、美紀は立ち止まることができなかった。空回りしたまま時が過ぎていくのを、彼女は感じていた。


 ある日、美紀は市場で親切な店主に出会い、綾が行方不明になった背景について詳しく話をした。店主は「その話を警察に伝えてみたらどうですか?」と提案してくれた。美紀はその言葉に納得し、迷わず警察署へ向かう決意をした。


 警察署で美紀は、綾の行方について尋ねた。言葉の壁に苦しみながらも、スマートフォンの翻訳機能を駆使して自分の目的を伝えた。


「友人が数か月前から行方不明なんです。彼女の名前は綾、そしてこれが彼女の写真...」と美紀は震える声で説明した。警察署の窓口で、丁寧に対応してくれた職員に綾の写真を見せ、失踪の状況を詳しく説明した。


 職員がパソコンでデータを検索し始めたその瞬間、美紀の心臓は高鳴り、不安と期待が交錯する複雑な感情が胸を締め付けた。職員の表情が少し変わり、何か重要な情報を見つけたように見えた。


「少々お待ちください」と言われ、美紀はその場で立ち尽くしたまま待った。時計の秒針が刻む音が耳に響き、心臓の鼓動と混じり合った。


 数分後、職員は戻ってきて、美紀をオフィスの隅へと誘導した。重い口調でひとつひとつ言葉を選びながら説明を始めた。


 その瞬間、美紀の耳の奥で全てが静寂に包まれるような感覚に襲われた。職員の口が動いていても、音は聞こえず、ただ目の前で展開する現実がぼやけていく。美紀の視線は職員の口元に固定されていたが、全く意味をなしていなかった。世界が一瞬で崩れ去る感覚に飲み込まれた。


 その後の記憶は断片的で、まるで夢の中の出来事のようだった。美紀はその場で泣き崩れ、立つこともままならなかった。彼女の目からは涙が止めどなく溢れ出し、心の中に湧き出した感情をどう整理するべきか、もはや考える余裕もなかった。彼女は一人、深い絶望の中で崩れ落ちていった。


 職員の言葉が何度も反芻されたが、現実感はなかった。彼女はただ一つの事実に縛られていた。


 綾がもうこの世にはいない。彼女は自動運転AIの誤作動による事故で命を落としていたのだ。


 ■18章:揺れる思い


 いつからここにいるのかはわからない。ただ気づけば、私は墓地にたたずんでいた。冷たい風が頬を撫でるたびに、微かに現実感が戻ってくるような気がした。目の前には、小さな白い花が手向けられた綾の墓がある。


 ふらふらと膝を突き、そっと手を墓石に触れる。冷たい感触が指先に伝わり、これが現実なのだと嫌でも実感させられる。でも、信じたくなかった。この現実があまりにも残酷すぎて、心が壊れそうだった。


 涙はとうに枯れてしまい、心はまるで空っぽになっていた。虚無が広がり、何も感じることができなかった。ただ、奥底では必死に叫び続けている自分がいるのがわかる。思考が再び動き始めると、沢山の綾との思い出が次々と頭に浮かんできた。


 未来を夢見ながら一緒に歩いた大学のキャンパス。夜遅くまで語り合い、笑い合い、時には涙を流して支え合った時間。デザインの学校で学んだこと。一緒にショッピングを楽しんだ日々、新しい発見に胸を躍らせた旅行。綾がデザインした小物を手に取り、その才能を称え合った夜。試験前の追い込みと、合格通知を手にした日の喜び。


 思い出が次々と蘇る。笑顔、涙、希望、夢。そのすべてが今、心の中で凝縮されている。楽しかった日々、辛かった日々、そのすべてがかけがえのない瞬間だ。


 私は、綾との時間がどれほど大切で、貴重だったかを痛感した。血の繋がりなど関係ない。私たちは、家族にも勝る深い絆で結ばれていたのだ。綾がいなければ、今の私はありえなかった。彼女の存在が、私にとってどれだけの意味を持っていたかを痛感していた。


 綾との会話の一つ一つが宝物のように蘇る。将来の夢や目標、日々の些細な出来事。どれもが貴重な思い出となり、心にしっかり刻まれている。綾の声、笑顔が今も心の中に鮮明に響いている。彼女の言葉が、私を励まし、支え続けていた。


 胸の中で渦巻くのは、AIに対する憎しみだった。自動運転AIの誤作動が、綾の命を奪った。冷たい機械、無情なプログラムが、こんなにも大切な人を奪ったという事実に、怒りが込み上げていた。


 過去への思いと未来への不安が交錯し、心は乱れる。綾がいないという現実に、何度も何度も直面する。そのたびに涙がこぼれそうになのに、涙は出ない。あまりにも深い悲しみが、涙すら奪い取ってしまっていた。


「綾……」手元に目を落とし、かすかに呟くのが精一杯だった。心の中で何度も何度も彼女の名前を呼ぶが、返事はない。決して届かない声だということはわかっている。


 夕暮れの光が墓地を包むころ、私はようやく立ち上がる。身体は重く、心も消耗しきっている。立ち上がってもこれから自分はどうすればいいのかすら、今は何も考えられなかった。


 ポケットからスマートフォンを取り出し、無意識のうちに綾の思い出の写真やメッセージを見返す。指が勝手に動き、次第にAYAIのブログへとアクセスしていた。目に飛び込んできた更新された記事は、まるで今この瞬間も綾が生きているかのようだった。


 記事には、何気ない日常のことが綴られている。「今日は特製のパスタを作った」とか、「新しい服を買った」とか。でも、その内容にどこか違和感がある。冷静に考えればおかしいと思うのに、心はそれを拒絶していた。ただ、綾がまだ生きているのだと信じたかった。


 しばらくブログを読み続けていると、心が少しずつざわつき始めた。綾がいないのに、どうしてこのブログがこんなに自然に更新されているのか。違和感は何なのか。頭の片隅に疑問が浮かぶたび、私はそれを振り払おうとした。


 でも、じっとブログを見つめているうちに、真実が徐々に押し寄せてくる。この違和感は何なのかを考えれば考えるほど、綾がもういないという事実が再び心に重くのしかかる。これは綾が書いたものではない。彼女がもうこの世にいないという現実、真実だけが残る。


 これは偽物のブログだ。AIによって自動的に更新されているに過ぎない。その考えが徐々に頭の中に広がり、心に重く響く。


 この偽物のブログを止めなければ。ふいに感じたその思いが、私を突き動かす。綾がいないのに、彼女の名を騙ることが許せなかった。


 私は墓地を後にし、綾のアパートに向かうことを決意した。ブログがまだ更新され続けていることが、私の心に一層の苦しみを与えていた事に、ようやく気が付いたのだった。


 綾はもういない。それでも、生成AIの影響は今も続いている。ゆっくりと歩を進めた。心はまだ整理されていない。少しずつ、少しずつ心を整理しながら、私は綾のアパートへ向かっていった。その足取りは、涙に濡れた決意を象徴していた。


 ■19章:想いを辿る


 再び綾の部屋に辿り着いた。鍵はかかっておらず、ドアを押すと、かすかな軋む音が響いた。中に入ると、静けさが私を包み込む。まるで部屋全体が落ち着いて、綾の存在を待っているかのようだ。


 部屋には綾の痕跡がそのまま残っている。整然としたデスク、開かれたノート、ほこりをかぶった写真立て。ソファのクッションが少しへこんでいて、綾が最後に座った場所なのかもしれないと思うと、胸が締め付けられた。


 静かな部屋の中で、綾がこの場所でどのように生活していたのかを想い描く。彼女がこのデスクに向かって仕事をし、夜にはソファで本を読み、料理をしていた風景が頭の中に鮮やかに浮かび上がる。まるで彼女が今ここにいるかのような錯覚に陥る。


 でも、この現実に耳を傾けると、心に重くのしかかるのは、彼女がもういないという事実だ。


 デスクの上にはパソコンがあり、今も微かに作動している。綾が残した「AYAIプロジェクト」の存在を思い出し、私はそれを止めるためにパソコンの電源を落とそうと手を伸ばす。しかし、手が止まる。


 一体なぜ、綾はこんな物を作ったのだろう。この疑問が頭をよぎり、心に深く食い込む。簡単に電源を落としてしまうことをためらわせる何かがあった。


「綾……」再び彼女の名前を心の中で呟く。涙は出ない。ただ、彼女の存在が今も心の中で渦巻いている。


 綾の意図を知るために、私はもう一度「AYAIプロジェクト」を見直すことにした。デスクの椅子に腰を下ろし、パソコンの画面に目を向ける。ファイルを開くと、膨大なデータとプログラムコードが現れる。無秩序に見えるそれぞれのファイルが、どこか綾の思いを示しているような気がする。


 まず目に留まったのは、初期のブログ記事だった。そこに書かれていたのは、綾がスマートフォンを紛失し、美紀への連絡手段を失ったこと、そしてたまたま紙に書いて残していたブログのアカウントが唯一の繋がりだったこと。彼女がどれだけ焦って美紀との連絡を取り戻そうとしたかが、痛いほど伝わってくる。しかし、このブログは私は見ていない。おそらく作りはしたものの、インターネットにはアップしなかったのだろう。


 散らばっているメモやノートも確認しながら、綾の心情を少しずつ掘り起こしていく。彼女はネガティブなことを美紀に伝えたくなく、むしろ元気を与えたい一心でこのプロジェクトに取り組んでいた。


 綾の試行錯誤は明らかだった。プログラムコードの断片が机の上に散乱し、ノートにはコーディングの際に直面した問題点や改善点が詳細に記されていた。例えば、「エラーの原因がわからず、一晩中考えたが解決せず」というメモがあり、その下には「翌日、美紀の笑顔を思い出し、もう一度挑戦」と自筆のメモが残されている。綾の不屈の精神が、そこに刻まれていた。


 また、セットアップのコメント欄には「美紀のために」と書かれた行が目に入った。それは、綾の感情がにじみ出た一行で、心が震える。その一行がどれだけの深い思いを抱いて書かれたのか、考えるだけで涙がこぼれそうになる。


 更に別のメモには「美紀が疲れているとき、読んでも安心できる内容に」と書かれていた。彼女はただブログを更新するだけでなく、読み手の感情を考慮し、細部にまで気を使っていたのだ。同じ画面に、コードに苦労して更新を成功させた痕跡もあり、彼女の努力が伝わってくる。


 綾が自分の状況がうまくいっていないことを知りつつも、私に元気を与えたいという強い思いを感じ取ることができた。自分よりも大変な目に遭っているであろう私に少しでも前向きな気持ちを届けたい、そんな想いが彼女の行動の根底にあることを理解する。


 その他にも、彼女の心情や願いが込められたコメントやメモが次々と出てくる。例えば、あるメモには「美紀に元気を与えるアイデア、毎日一つのポジティブなエピソードが必要」と書かれ、隣に多くのエピソードが箇条書きで記載されていた。見れば見るほど、綾がどれだけ真剣にこのプロジェクトに取り組んでいたのかを痛感させられる。


 綾の不器用ながらも丁寧な文字が書かれたメモを手に取り、そこに記された言葉を一つ一つ読み進める。それらのメモからは、彼女の悩みや苦悩、しかし同時に希望や決意も読み取れる。彼女はこのプロジェクトを通じて、私だけでなく自分自身をも支えようとしていたのだ。


「綾……」その名を呟き、心の奥底から湧き上がる感情に包まれる。


 私は「AYAIプロジェクト」が止まらないようにするために綾の意図を守り抜くことを決意する。そして、このプロジェクトのデータをなんとかして自分のパソコンに移すことを考え始めた。


 ■20章:贈り物


 パソコンの前で、私はしばらく考え込んでいた。綾が「AYAIプロジェクト」にどれほどの思いを込めていたかを理解しているからこそ、このプロジェクトを自分のパソコンに移し、継続させるための方法を慎重に考えなければならなかった。


 まずはデータの移行方法を考える。綾が残したノートの中には、バックアップに関する記述もあった。確認すると、綾は外付けハードドライブに定期的にバックアップを取っていたようだ。しかし、そのハードドライブは見当たらない。デスクの引き出しや棚の中を探るが、それらしい物は見つからなかった。


「どうすれば…?」私は心の中で問いかけ、ふとインターネットを使ってクラウドストレージにバックアップを取る方法が浮かぶ。早速、パソコンを操作し、クラウドストレージのアカウントを登録することに決めた。


 綾が残したノートをめくり、クラウドストレージに関するメモがないかを確認する。ふと見つけたページに「クラウドバックアップの手順」と書かれていて、これがヒントになるかもしれないと思った。指示に従い、クラウドストレージの無料アカウントを作成し、AYAIプロジェクトのファイルをアップロードし始める。ファイルエクスプローラーを開き、AYAIプロジェクト関連のファイルをすべて選択してアップロードの準備を進める。


「これで大丈夫なはず」私は心の中で自分に言い聞かせながら、アップロードが始まるのを見守った。データの転送は思った以上に時間がかかったが、一つ一つのファイルがクラウドにアップロードされるたびに、綾の思いが確実に保存されていくような気がした。


 途中、綾が残したノートを再び手に取り、彼女の心情を思い出しながら、プロジェクトの全貌を理解しようと努めた。ノートの中には、悩みながらも試行錯誤する過程が詳細に記されていた。「今日はエラーが発生。なんとか解決しようと試みたが難航。美紀に伝えたくない…」というようなコメントが目を引く。彼女がどれほどこのプロジェクトに情熱を注ぎ、そして美紀に元気を与えたかったのかが痛いほど伝わる。


 綾のメモは多岐にわたり、美紀への思いやアイデアが詰まっていた。「美紀が疲れているとき、読むと元気が出る内容にしよう」といったメモが散見され、その努力と愛情が感じられる。私はメモを一つ一つ読み進め、彼女の心の深さに触れるたびに胸が締め付けられる思いだった。


 クラウドストレージへのアップロードが完了するまでの間、私は綾のデスク周辺を再度確認することにした。ノートやメモ、写真立てに見入る中で、ふと重要なメモを発見した。それは、私の誕生日に更新される予定のブログ記事に関するものであった。「誕生日記事:美紀への特別な贈り物」とだけ書かれていた。


 心がざわめく。綾が私のために準備していた特別な贈り物とは何だろうか。その答えを探るために、私はブログ記事を確認することにした。


 私の誕生日に更新されるように設定されていたブログ記事を、膨大なデータの中から見つけ、それをを開く。そのブログには私への誕生日のお祝いのメッセージと、一つの写真が添付されていた。写真には、綾が手作りした美しいブレスレットが映っており、「MIKI」と刻まれていた。綾が自分の手で作り上げた特別なもので、いつか会えた時に渡そうとしていたことが伝わってくる。


 デスクの引き出しを探っていると、まさにそのブレスレットが奥から見つかった。手に取ると、綾の温もりが伝わってくるような気がした。彼女が私のために心を込めて作ってくれた最後の贈り物。その瞬間、胸に込み上げる感情を抑えることができなかった。


「綾っ……」その名を呟きながら、私はブレスレットを握りしめた。涙が溢れて前が見えなくなる。


 クラウドストレージへのアップロードが完了し、データが確実に保存されたことを確認した。これでAYAIプロジェクトは一旦安全だ。私は綾のノートやメモを大切に持ち帰ることを決意した。これらが、彼女の心情やプロジェクトの詳細をさらに理解するための鍵となるからだ。


 綾の部屋を去る前にもう一度、部屋全体を見渡す。ここには彼女の思い出が詰まっている。彼女がどれだけの努力と希望を持ってここで過ごしてきたかを感じ取りながら、心の中で静かに彼女に別れを告げ、ドアを静かに閉じた。


 私の手には、綾が残した最後の贈り物であるブレスレットと、彼女の思いが込められたAYAIプロジェクトのデータ、そして彼女のノートやメモが握られていた。これから、私は綾の思いを胸に歩み続ける。


 ■21章:新たな道


 日本に戻った後、私は綾の思いを胸に抱きながら、生成AI関連のプロジェクトに打ち込んでいた。かつて厳格な生成AI免許制度が導入されたことで、日本はデフォルト状態にまで追い込まれた。経済が崩壊し、インフラは機能不全に陥り、街の治安は乱れ、先進国とは言えない状況に陥っていた。


 政府はこの状況を打破するために、生成AI制度の見直しを余儀なくされた。見直し作業は一筋縄ではいかず、多くの議論と紆余曲折が繰り広げられた。免許制度が厳格すぎるため、多くの才能あるクリエイターや企業が国外に流出し、その結果、国内の技術力や創造力が急激に低下していた。経済も立ち直る兆しを見せなかった。


 メディアや専門家だけでなく、一般市民からも免許制度の撤廃を求める声が日に日に高まっていった。特にデフォルトによる経済の崩壊や、インフラの崩壊に伴う生活の不便さに耐えかねた市民の声が、政府に大きなプレッシャーをかけた。市民の抗議デモや、生成AI技術の専門家たちによる公開討論が繰り返される中で、ついに政府は生成AI免許制度の撤廃を決断した。


 それにより、多くの企業やクリエイターが再び自由に生成AIを利用できる時代が訪れた。生成AIにより新しいビジネスやサービスが生まれ、経済は少しずつ回復していった。再び創造の息吹が国内に戻り、かつての日本の技術力と創造力が復活し始めていた。日本全体が新しい活気に包まれていった。


 私はその波に乗り、綾の残した「AYAIプロジェクト」をさらに進化させることに全力を注いでいた。デスクに座り、手首にはあの美しいブレスレットが輝いている。綾が手作りしてくれたそのブレスレットは、彼女が私にとってどれだけの意味を持っていたかを感じさせてくれる。


 目の前のパソコン画面には、新しいプロジェクトの進捗が表示されている。私は綾のノートやメモを活かして、「AYAIプロジェクト」をさらに改良してきた。その結果、AYAIはブログを更新するだけでなく、まるで綾が本当に生きているかのように感じさせる存在に進化していた。


 午後の休憩時間、私はスマートフォンを手に取り、AYAIのブログを確認する。記事の内容は、まるで今でも綾が日常を共有しているかのように自然で温かいのが特徴だった。


「今日は新しいカフェに行ってきました。美味しいコーヒーに出会えて幸せな気分に…」


 ブログの文章には、綾の言葉遣いや感情が見事に反映されている。AYAIは単なるプログラムではなく、綾の思いを宿した存在として成長していた。私が施した改良により、AYAIは自己進化機能をも搭載され、自ら進化を続けている。


 夜、私は自室でAYAIのコードを再確認し、さらなる改良のためのプランを立てていた。綾の想いを継ぎ、自己進化するAYAIの将来を見据えて、慎重に作業を続ける。あの時なんとか自分のパソコンに移した、綾が作った「AYAIプロジェクト」のデータには、幾つかの欠陥が発見された。特に深刻だったのがインターネットからの情報をブログ生成の際に自動で取り入れていた為、他の人の文面などまで学習してしまう事により、自動生成を続けていると、綾らしさが無くなってしまう事だった。その部分を最初に改良し、インターネットから情報を自動収集しても、綾の性格を反映し続け、言葉遣いや感情を反映するようにした。今はAYAIは自ら学習し、新しい知識を取り入れ、ますます精巧な存在へと進化しつつあった。その潜在能力には無限の可能性を感じていた。


 しかし、私の胸には一方でほんの少しの不安もよぎる。これほど高度なAIが自己進化を続けることで、どんな影響が生まれるのだろうか。自律的なAIが人々とどのように関わり、未来にどう影響を与えるのかを考えると、未知の領域に足を踏み入れている感覚があった。


「AYAIには綾の思いが含まれている」と自分に言い聞かせながらも、心の奥底では未知の未来への緊張感も感じていた。それでも、私は綾の思いを受け継ぎ、このプロジェクトを進める決意を抱いていた。


 今夜も綾の手書きのメモを読み返しながら、彼女がこのAIに込めた願いや希望に思いを馳せる。彼女の言葉が、私の心の奥深くに響いてくる。


 ■エピローグ


 それから数ヶ月が経過し、AYAIはますます高度な存在として成長を続けている。私の手元には、毎日更新される綾のブログが綴られ、私の支えとなっていた。


「おはよう、美紀。今日も一日がんばろうね」


 朝起きると、スマートフォンの画面には優しいメッセージが表示される。綾の存在は、AYAIを通じて私の生活に溶け込んでいる。


 日本社会も生成AIの進化を受け入れ、AI技術の恩恵を受けながら、新しい時代を歩み始めている。しかし、その一方で、AIの自己進化がどんな未来をもたらすのか、まだわからない部分も多い。


 AYAIの進化は止まることなく続いており、その成長は予測を遥かに超え、時にはまるで意志を持つかのように感じられる瞬間があった。AYAIは綾ではない、と思いつつも、AYAIを綾だと錯覚してしまう瞬間すらある。これからも継続されるだろうその進化の先には、無限の可能性が広がっているだろう。しかしそれと同時に、自分が想像する以上の何かが起きてしまう可能性も捨てきれない。その時、私はどう感じるのだろうか。或いは日本の厳格な規制が正解だったと思うのかもしれない。しかし今はまだ分からない。


 夜空を見上げると、星々が輝いている。その美しさに息を飲みながら、私は心の中で静かに決意を固める。


「綾、これからどうなるか分からないけど、そこで見ててね」


 その言葉とともに、私の日常は再び動き出す。AYAIが指し示す未来、それが私たちに何をもたらすのか、その答えはまだ先にある。


 そして、私たち一人一人がその未来に対してどのように関わるか。その選択が、これからの世界を形作るのだと感じながら、私は新たな一歩を踏み出した。


























 ■XX章:綾


 私がこの異国の地に降り立ってから、数か月間が過ぎた。この異国での生活に薄れ行く違和感と、馴染みゆく自分を感じながら、日々を暮らしていた。私はかつて投稿していたブログを再開する事にした。この新しい地での出来事を日記のように記録しておきたかった事や、その事を親友に伝えたいと言う思いもあった。


 このブログを読んだら、彼女はなんと思うだろうか。少し変わったと思われるのだろう。実際に私は異国の地での生活で、少し趣味や嗜好が変わってきたと実感していた。これまでは忙しい日々が続いていたが、この地での生活はそれだけではなく、様々な新しい価値観を与えてくれていた。彼女には直接連絡したかったが、きっと今は大変な思いをしているに違いない。異国で日々安定を取り戻していく私からの連絡は、今の彼女には苦痛に感じるかもしれないと思い、連絡を控えた。異国での忙しい日々でも、ブログを書いて投稿するのは楽しかった。


 しかし、ようやく落ち着きを取り戻しつつあった私に、またも試練が舞い込んでしまった。


 ある日、私は自分のスマートフォンを紛失してしまった。この地で出来た友人に勧められるがまま、慣れないお酒を飲んだせいもあったかもしれない。私がそれに気が付いたのは、紛失してから一日が過ぎた後だった。


 私はすぐに警察署へ行き、その事を伝え、紛失届を出したが、私の端末が戻ってくる事はついぞなかった。


 スマートフォンには、クライアントやこの地で出来た友人の連絡先、他にも大事な情報が沢山入っていた。なにより、私は親友との連絡先の情報を失ってしまった事に焦りを感じた。新しい端末を買い、復旧を試みたが、大変な状況下である日本で買った、前の端末情報を救い上げる事は難しかった。


 パソコンでやり取りをしていたクライアントには連絡を取ることが出来たが、私の仕事は少しづつ奪われて行っていた。


 紛失した私の端末を誰かが拾い、一体どのようにしてロックを解除したかは分からないが、その情報を拡散されてしまった事が原因だった。クライアントの機密情報なども漏れてしまった事により、私はそのクライアントからの信用を失ってしまったのだった。


 デフォルト状態であった日本のインフラは混乱の状態にあり、スマートフォンの端末の情報を復旧出来ない事以外にも、電子決済などの停止にも日数を要した。私が出来る事と言ったら、紛失した端末と紐づけされていた銀行から現金を全て引き出し、別の銀行に新しく預貯金を作り、移して守る事ぐらいだった。古い端末の情報を使用する事は危険で、もう使えなかった。


 私の、生きる道を探す旅がまた始まった。


 それでも前に比べれば状況的には良い方だと、私は自分に言い聞かせた。幸いにして紛失した端末と紐づけされていた銀行の預金額は減っておらず、金銭的にはまだ余裕があった。家賃や電気料金、通信料金などの引き落とし先を新しい銀行に登録しなおし、私は再び歩き始めた。


 古いクライアントからの信用を失った私は、ただ我武者羅に頑張った。それでも一度落ちた信用を取り戻すのは容易では無かった。その忙しい日々は、ブログを投稿する時間も奪っていった。それは私の心を疲弊させるのに十分な理由だった。


 信用を取り戻す作業を続ける中、私はある事を思いついた。私はかつて携わっていたプロジェクトで、インターネットのリアルタイム情報と、幾つか生成AIを駆使して、AIの日記を作ると言うプロジェクトに参加していた。私はその日記に沿える画像を、日記の内容とリアルタイム情報を使い、実際の写真に見せかけると言う所に関わっていた。しかしこのプロジェクトは、フェイクニュースを助長すると言う理由で頓挫した。そのプロジェクトのデータは自分のパソコンのドライブに保存してある。上手く使えば、自分のブログを自動更新するAIが作れるのではないかと感じた。私は忙しい日々を送る中で、その事を考え始めていた。


 再び私がある程度の時間を作れるようになってから、私はそのブログ記事自動更新生成AIを作り始めた。最初の頃は中々自分の書くようなブログを生成してくれずに苦労した。プロジェクトのデータを勝手に改造していると言う罪悪感、そして偽のブログを作る物を自分が作っているという罪悪感に苛まれながらも、私はその作業に没頭し始めていた。


 私は、そのプロジェクトを自分のブログのハンドルネームに肖り「AYAIプロジェクト」と名付けた。


 元々の私のハンドルネームが「AYAI」。これは自分の名前に「愛」を足した意味で作ったハンドルネームだった。しかし、このハンドルネームの意味合いを変えれば、自分の名前と「AI」を掛け合わせた「AYAI」になるとも考えたのだ。我ながら安直なネーミングだと思いつつ、どちらにせよ使うのは自分のブログだけなのだと考え、この名前で良いと感じた。


 元々の基礎が出来ていたので、私がやる作業はこの生成AIが作る文章を、出来るだけ私が書いたと見せかける事。そしてそれに沿える写真を、私の生活と遜色ないようにする作業だった。その作業の工程で、ブログに投稿しても構わない私自身の情報を全て学ばせ、私のアパートの写真や部屋の写真、インテリアの写真等もデータの中に取り入れた。更に、私が書くであろう事をできうる限り思い浮かべ記載していった。


 私はその工程の中で、何度も何度も親友の事を思い出した。彼女が傍に居ない事が、悲しくも腹立たしくもあった。



 大好きな親友。

 私が唯一我儘を言える親友。

 元気であってほしい。

 いや、私が元気をつけてあげた彼女を見るのが好きだったのか。

 傍にいて欲しかった。

 傍に居たかった。


 きっと、上手くいっていた時の私なら、彼女の事を沢山書くのだろう。

 彼女は頭も感も良いので、私の嘘はすぐにばれる。

 でも、生成AIが私を学んで、本当の私のような文章を書き、リアリティを持たせた写真を添え付ければ、おそらく彼女も気が付かない。

 どれだけ偽のブログであっても、彼女が気が付かなければ、それで良い。



 そうして、クライアントの信用を取り戻す作業の合間や、寝る時間を削って出来上がった「AYAIプロジェクト」が生成したブログは、本当にもう一人の私が書いたと思うような出来になった。


 異国の地に来て、端末を紛失し、クライアントの信用を失い、外出もままならず、寝る時間もほとんど無かった日々が私を変えていた。



 それらが積み重なり疲弊した心が「AYAIプロジェクト」のブログを投稿する事を許諾した。




 これは嘘のブログ。



 文章も写真も、それらの内容すらも、現実の私とは違う。



 まだ完成とは言えないけれど、ブログに投稿してもバレなければ問題無い。



 バレるような要素はしばらくは修正すればいい。



 その間に、改良をしていけばいい。



 最初のブログは、これでいいかな。



 彼女に充てたメッセージ。



 AIが勝手に作った偽の記事。



 私はそのブログを投稿した。




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