僕が先に好きだった学年一の美少女が、髪切りデスマッチに参加した

よこづなパンダ

僕が先に好きだった学年一の美少女が、髪切りデスマッチに参加した

佐田さだくん、まだ残ってたの?」


 日直の仕事で、放課後も教室に残って黒板を消していた僕に、彼女は声を掛けてきた。


「あ、ああ……」


 それはあまりに突然のことで、思わず口ごもってしまったが、仕方ないことだったと思ってほしい。


 沫霧まつぎり 鈴音すずね

 彼女は僕のクラスにおいて―――いや、学年で一番の美少女として有名な子だ。


 165 cmくらいだろうか、女の子にしては少し高めの身長で、すらりと伸びる手足。さらに、出るところは出て、引っ込むところは引っ込んだ、抜群のスタイルの持ち主。

 普段どんな手入れをしているのだろうか、艶やかな黒色のロングヘアがとても似合っている彼女は、そして当たり前の如く目鼻立ちも整っており、まさに完璧な女の子である。


「私、黒板消すから、佐田くんは学級日誌、書いちゃいなよ?」


 そんな彼女はその名前の通りに、鈴のように鳴る綺麗な声で、こんな僕にも優しく話しかけてくれたのである。

 陰キャである僕は、同じクラスであるとはいえ、当然ながら彼女との接点など持ち合わせているはずもなく、普段は僕が授業中なんかに一方的に綺麗な人だな、となんとなく眺めているだけの関係だった。

 それなのにあの日、たまたま教室で居合わせた彼女は、少しの躊躇いもなく、僕の仕事を手伝おうとしてきたのだ。


「私、女子にしては身長があるから高いところでも消せるよ?」


 そう言って、黙っていた僕の目をじっと見つめたまま首を傾げる彼女の仕草に、僕の胸はどくんと高鳴り……




 僕はあっさりと恋に落ちた。




 これで性格まで良いとか、もう反則だろ。

 彼女は僕の締まらない返事にこくりと頷くと、嫌味の1つも言わずに僕の日直の仕事を手伝い始めてくれる。


 だけど、彼女の折角の好意を無下にして申し訳ないとは思いつつも―――僕の日誌を書く手はすぐに止まってしまい、視線は黒板を消す彼女の後ろ姿に釘付けになる。


 彼女が背伸びをする度に、スカートの裾と……そこから覗く、傷1つない白くて細い脚が小刻みに震える。黒のハイソックスに包まれた小さなふくらはぎは、ひょこひょこと動いて。高いところの文字を消すときに、背中で上下に揺れるサラサラの黒髪は―――妙に色っぽかった。


 ……ちょっと優しくされたくらいで、自分でも馬鹿だと思う。

 だけど、普段異性とはまともに話す機会すらもない、チビで根暗な陰キャの恋心なんて、決して知られることはないのだから、それくらいは、誰の迷惑になるわけでもないし、どうか許してほしい。


 ただ、あの後ろ姿を見て、あの華奢な背中を抱きしめられる男が将来もし現れるのだとしたら、そいつのことを心の底から羨ましいな、と思った。




♢♢♢




 あれから2ヶ月が経った。

 今日も、いつも通りの朝だった。

 朝食も食べずに電車に飛び乗ると、1人で急いで学校へ向かう。

 しかし、扉を開けた先の教室の雰囲気は……いつもとは全く異なっていた。


 遅刻寸前で来たんだ。もうすぐ朝のHRホームルームが始まるであろうこの時間なのに、どういうわけか教室に大きな人だかりができていた。

 皆、どこかざわついている。

 そんな彼らの視線の先には……




 僕の片想いの相手である、沫霧さんが立っていた。


 そして、彼女と向かい合うようにして仁王立ちしているのは……


 華宮はなみや 紗憐されん

 我が学年で沫霧さんと肩を並べて綺麗だと噂されている、もう1人の学年一の美少女。


 少し気が強く、沫霧さんと比べてやや冷たい印象を受けるが、そこが良いという男子も多い。

 彼女のトレードマークともいえる美しい茶髪のツインテールは、あれで地毛だというのだからすごい。

 身長は155 cmくらいで、沫霧さんと比べると胸が小さいのは残念だが、細い脚を包み込む黒のニーソが、膝下のハイソックスより良いとかなんとか……


 要するに、アレなファンが多いということだ。……まあ、僕が言えたことじゃないけど。

 表面上の声だけを拾えば、普段の華宮さんファンの勢いは凄まじい。裏で大きなファンクラブができているのも、有名な話だ。そして実は、その内部では醜い権力争いが繰り広げられている……とさえ、聞いたことがある。


 とまあ、そんなわけで、日頃から男子たちより絶大な人気を誇る彼女たちだが、普段は友人、とまでは言わないが決して互いに仲が悪いということはなく、そのおかげもあってこれまではどちらかのファンである男子たちがもう一方の悪口を言う、みたいな醜い展開は起こらず、なんだかんだで平和に過ごしてきた……


 はずだったのだが。


「いい?……今日という今日は、覚悟、できてるわよね?」


 どこかツンツンしたところのある華宮さんが、いつにも増してトゲのある物言いで沫霧さんに突っかかる。

 僕は沫霧さん推しだから、あまり華宮さんには詳しくないけど……今日の彼女はいつもとは大分様子がおかしいってことくらい、すぐにわかった。


 持っていた荷物をその辺に放り出し、すぐに人だかりへと移動した僕は、たまたま隣に立っていた華宮ファンクラブの一員と思われるデブで眼鏡のクラスメイトに声を掛ける。

 ―――悲しいかな、自分のようなコミュ障陰キャは、同族の臭いがする奴にしか話しかけることができないのである。


「なあ……これ、どうなってるんだ?」


 僕が素朴な疑問をぶつけると、名前も知らない冴えない彼は、鼻の穴を大きくして少し興奮した様子で、こう言ってきた。




「……どうやら今から、髪切りデスマッチをするらしい」




 聞き慣れない言葉に、思わずスマホを手にする僕。

 検索したところ、どうやらプロレスとかで負けた方が髪を切られることを指すようだ。




 ……は?




 状況が全く整理できない。脳が追いつかないというべきだろうか。


 髪が……え……なんで……




 そんな僕を置き去りに、あの鈴のように綺麗な声を少しだけ震わせながら沫霧さんが華宮さんに言い返す。


「覚悟は、できてるよ。……貴女こそ、そのツインテールを失わないよう、精々頑張ることね」


 あの、2ヶ月前の放課後の優しい彼女はどこへ行ってしまったのだろうか。冷たい声色で彼女はそう言うと、華宮さんを睨みつける。

 美人の怒った顔は迫力があるっていうけど、2人とも物凄い形相で、今にも殴りかかってしまいそうな雰囲気だ。




 ……まずい。

 状況はよくわからないが、何とかしてこの2人のことを止めないと。




 咄嗟にそう思った僕は、とりあえず周囲を見渡して現状把握に努める。……と、そこで、1人の男子がオロオロと挙動不審になっていることに気づく。


 あれは、1ヶ月前に転校してきた凡田ぼんだくんだ。確かにこの状況に戸惑うのは無理もないが、それにしてもあのキョドりっぷりはどうしたんだろう。


 そう疑問に思った、次の瞬間―――


 凡田くんが発したその言葉に、僕は一瞬耳を疑った。




「2人とも、もうやめて……、争わないで!」




 ……ポカンと口を開いたまま、僕が固まってしまったのも無理はないだろう。


 意味がわからない。

 凡田くんは勉強も運動も普通で身長も高いわけではなく、こう言っちゃアレだが女の子にモテる要素は特に持ち合わせていない、名前の通りに平凡で、普通の男子生徒だ。

 そんな彼が、まるでモテ男のような台詞を……


 なんで吐いている???


 しかし、そんな疑問を抱いた束の間、華宮さんの言葉によって今のそれは幻聴なんかではなかったことを思い知らされる。


「―――ルールは単純。お互いに顔は狙わない。勝った方が凡田くんの彼女になる。負けた方は、髪を切って凡田くんのことは諦め、今後一切干渉しない。これで文句ないわよね?」


「うん。そっちこそ、覚悟はできてるよね、華宮さん」


 ……これは、信じられない、信じたくないが。

 どうやら2人は、凡田くんのことを巡って喧嘩しているらしい。


 そして、この瞬間をもって、僕の淡い恋はあっさりと終わりを告げた。

 わかっていたよ。沫霧さんは、僕のことなんか何とも思っていないって。

 だけど、だけどさ……




 どうして凡田なんだよ。




 もっと良い男を選べよ。何であんな平凡な、冴えない男が良いんだよ。

 そもそもあいつは1ヶ月前に転校してきたばかりだろ。何のフラグが立つって言うんだよ。

 あいつは漫画かラノベの主人公か?


 どうせ負けるなら、手の届かないくらいのイケメンが良かった。

 モヤモヤした気持ちが、僕の胸を渦巻いている。


「……嫌だ」


 気づけば僕は呟いていた。


 沫霧さんには悪いけど、僕は彼女に勝ってほしくない。

 自分勝手だとわかってるけど、僕は彼女があんな男と結ばれるところなんて、見たくないんだ。

 だって僕にももしかしたら……僕がもし、恋心を隠さずに彼女にぶつけていたら、可能性があったんじゃないかって、思わずにはいられないから。


 でも、でもだ。

 もし、沫霧さんがこの勝負に負けてしまったら……

 あの艶やかで枝毛の1本もない、綺麗な黒髪が……




 バッサリ




 ―――僕は、あの髪が好きだ。

 背中で揺れるストレートの長い黒髪にどうしようもなく惹かれてしまう僕はやっぱり童貞で、気持ち悪いかもしれないけど、それでも、眺めているだけで良かったアレが失われてしまうと思うと……


 想像しただけで吐き気がする。

 胸が苦しくなる。




「うわあああああ!!!嫌だアアアアアアアアアア!!!」

「キーンコーンカーンコーン」




 僕の絶叫が木霊するとともに、チャイムが鳴る。

 そして、朝のHRの開始を告げるその音を合図ゴングに……


 ―――彼女たちの『闘い』は、始まってしまった。






「あっあっあああ……!!!痛いっ!!!」


「あんたなんかに、凡田くんは絶対に、渡さな、うぐっ」


 2人の美少女が苦悶の表情を浮かべながら、膝で互いのお腹を蹴り合っている。

 そして、その様子を観戦する、僕たちモブ。

 非日常を極めた、何ともシュールな光景が、そこにはあった。


 女の子のお腹は弱点だって、聞いたことがある。

 僕は童貞だからよく知らないけど、将来子供を産むための大事なものが、そこにはいっぱい詰まっているって聞く。

 それをあんな……あんな風に……


 綺麗な長髪を振り乱しながら、時々苦しそうにお腹を押さえる2人を見て、僕は今すぐにやめてほしいと切実に願う。


 だけど、陰キャでモブに過ぎない僕に、その勇気はなかった。

 あの空気の中に割って入り、2人のことを止める勇気が。


 そもそも、止めるべきはこの状況を作り出した凡田ではないか?

 そう思い、僕は彼の方を見る。


「ゔおくうの、ためにい、たたかわないでえ、ふたりともお~~~~~!!!」


 ……確かに、凡田は止めようとしていた。両手を広げて、少し大げさなボディランゲージを繰り返している。

 しかし、全く効果はないようだ。それもそのはず、凡田もまた冴えない男の1人に過ぎないのである。

 そして、なんかムカつく。少しスローモーションのような喋り方をしているが、あれはわざとだろうか?


 そんな凡田の様子に強い苛立ちを感じていたところ、突如「きゃっ!」という悲鳴に近い声が聞こえた。

 見ると、彼女たちは互いの細い脚を絡ませ合い、大きくバランスを崩しているところだった。


 ―――そして、次の瞬間。




 鈍い音が響き、2人は縺れるようにして教室の床に倒れた。




 その状態で取っ組み合い、互いの胸を殴る。

 沫霧さんの豊満なそれが、形を崩す。華宮さんは……まな板に直接食らうので骨が痛そうだ。


 とにかく、彼女たちはこんなことをするべきじゃない。

 あんな風に乱暴にされて、綺麗な彼女たちの身体が傷ついて、取り返しのつかないことになってしまったらと思うと、居ても立っても居られなくなる。


 まるで、出来たての料理がそのままシンクにぶちまけられたときのような感情がこみ上げてくる。

 綺麗に盛り付けされたのに誰にも食べられないまま、ぐちゃぐちゃになって……




 あああ……




 もう、声にもならない。……これ、普通の寝取られよりも辛いんじゃないだろうか?


 好きな子が別の男のものになって、それを遠くから眺めているだけの人生が、どれだけ幸せだっただろうか。

 このままでは、眺めることすら許してもらえそうにない。


 冴えない男のために身を削って喧嘩して、いったい何が残るというのだろう。

 たとえ沫霧さんがボロボロになったとしても、僕の彼女への想いは変わらない。

 だけど、だけどさ……


 好きな子には、やっぱり綺麗でいてほしいと思うのは当然のことではないだろうか。


 あーくそっ……


 もう誰でも良いから、この状況を何とかしてくれ。

 隣を見る。デブで眼鏡のあいつは、彼女たちの闘う様子に釘付けになっていた。


 これだからオタクは……

 お前みたいな奴は、どうせ美少女バトルアニメのフィギュアでも買ってるんだろ。

 オタクの男というものは、どうも戦闘になると熱くなりがちで、本当にどうしようもない。


「ああ……あと少し、あと少しだ……」


 そして、よく耳をそばだてると吐息とともに微かな声が聞こえ、奴の視線の先をたどると。

 ―――信じられないことに、その先には苦しそうにもがく華宮さんの……絶対領域があった。


 こいつ……こんなときに、まさか……


 パ〇チラに期待してんのか?


 ……救いようのないクズだった。フィギュアで我慢しとけよ。

 こいつに華宮さんを救うという選択肢はないのかよ―――そう思うも、確かに美少女アニメの戦闘シーンで一定数、そういうシーンに期待している奴がいるのも事実。


 僕には無理だ。この状況を、少なくともエンターテインメントとして楽しむ余裕なんて、持ち合わせていない。


 誰か……もう誰でも良い、この状況を何とかして止めてくれ……




 ガラガラ


「おう。朝のHR始めるぞー……って、何だ、この状況は?」




 そんなときだった。我がクラスの担任である剛田ごうだ先生が、教室に入ってきたのだ。


 ……助かった。

 心から、そう思った。


 先生は教室に入るなり、目を丸くしている。それもそのはず、いったい誰が入室前にこの状況を想像できるだろうか。

 僕は、藁にも縋る思いで、すぐに先生のもとへと歩み寄った。


「先生!今、大変なことになってて……」


 僕は彼女たち2人を指差しながら、剛田先生に今のあり得ない状況について説明する。

 見ると沫霧さんは内出血でうっすらと赤く染まった膝を震わせながら、華宮さんと立ったまま押し合っているところだった。そして、髪を引っ張り合った瞬間、2人の重心が大きく傾くと、再び短い悲鳴とともに膝を打ち付け、傷を更に悪化させる。


 事態は一刻を争う状況になりつつある。このままでは勝っても負けても、2人とも見る影もなくボロボロになってしまうだろう。


 だから、僕は先生に必死に訴えかけた。

 だが……




「……ふっ、青春だなあ」


 剛田先生が口にした言葉は、僕の想像していたそれの斜め上に向かっていった。


「いやあ、俺も昔は、よく妻とプロレスごっこをしたものだよ」


 ……いや、聞いてねえよ。

 しかもごっこって……先生のその状況はともかく、今のこれはごっこと呼ぶにはあまりに無法地帯すぎて、危険すぎる。


「最近もな、妻と口論になってな、そこから発展して」


 そして、何故か次々と語り出す剛田先生。


「俺の浮気がバレてな」


 いや、こいつもクズかよ。

 先生の古典の授業はわかりやすくて好きだったのだが……どうやら人間性には問題があるようだ。

 そういえば、授業中の教科書の題材が、すれ違って出家する女性の話のときは、妙に熱が籠っていたような……


 まあ、今は一旦忘れよう。知らない方が良いことというのもあるものだ。


 しかし、今のこれは知らないと片付けて良い場面じゃない。


 気の強い性格の華宮さんが、沫霧さんの腰に向かってタックルを仕掛ける。

 沫霧さんは右足で片足飛びをし、何とかバランスを保とうと必死になるが……


「ひゃあっ!!!」


 耐えられなくなるのも時間の問題で、すぐに鈍い衝撃音が響くと、地面には艶やかな黒髪がふわりと広がった。

 そのまま、華宮さんは寝技に移行する。首を絞められた沫霧さんからは、あの鈴のように綺麗なものとは程遠い、掠れた声が僅かに漏れる。


 ―――ああ、なんてえっちな声なんだ

 じゃなかった、沫霧さんのことを早く助けないと……


 華宮さんは沫霧さんに身体を密着させた状態で、彼女のことを何度も踏みつけるように蹴り続けており、いつの間にか沫霧さんの白い左太股には華宮さんの靴の裏の跡がくっきりと浮かんでいた。


 体格差でいえば身長のある沫霧さんの方が有利かと思っていたが……

 勝てば凡田の彼女になってしまうのだから、僕からすれば負けてくれた方が良いはずなのだが、僕はどうしても沫霧さんのことを応援してしまう。

 だって、このままでは沫霧さんの身体が取り返しのつかないことになってしまいかねないのだから。


 もう、やめてくれよ。見ていて辛すぎるんだよ。

 あんなに綺麗だった彼女の変わり果てた姿に、思わず目を背けたくなった……


 そのときだった。




「いい加減にしなさい!!!」


 凛とした声が、教室に響き渡る。

 声のする方を振り返ると、そこには先生の手伝いでプリントを抱えて戻ってきた、学級委員長の和名瀬わなせ 香子こうこさんがいた。


「何があったのか知らないけど、今すぐやめなさい!」


 そう言うと、かけている眼鏡をくいっと持ち上げて、彼女は2人の元へと近づいていった。


 ……すげえな、って思った。

 僕には、あんな真似はできない。

 僕が十数分、何もできずにただ見ているだけだったのに対し、彼女はこの現場に来るなり、すぐにそこへ立ち向かっていったのだ。


 流石は委員長、といったところか。

 普段、遅刻寸前の僕のことをガミガミ言ってくる和名瀬さんのことは正直苦手だったが、今回ばかりは彼女に感謝すべきかもしれない。


「華宮さん!どういうことか説明しなさい!」


 しかし、彼女の怒りの矛先は―――何故か、に向かっていった。


 ……ああ、そうか。

 彼女は今、この教室に来たのだから、状況を完全には理解できていないのか。

 確かに、この瞬間だけを切り取れば、華宮さんが沫霧さんのことを一方的に痛めつけているように見受けられる。


 だけど……だけどさ……




 違うんだよ、和名瀬さん。


 そして、その言い草は……やはり、というべきか。

 華宮さんの感情を更に増幅させ、和名瀬さんにとってはそれが命取りとなるのだった。


「あんたに……」


 華宮さんの声が上ずった。


「あんたに、何がわかるっていうのっ!恋愛経験皆無のくせにっ!!!」


 そう叫ぶと―――華宮さんは、和名瀬さんに襲い掛かっていった。




 ―――僕には、その瞬間がまるでスローモーションのように映った。

 心ここにあらず、といったところだろうか。死ぬ間際の走馬灯って、こういうのを指すのかもしれない。


 女って、怖いなと思った。

 女性不信になってしまいそうだ。

 これ、普通の女性不信よりも辛いんじゃないだろうか?

 浮気されたり冤罪吹っ掛けられたりして、ヒロインたちに誤解されて罵られる方が、ずっといい。

 

 もっと、女の子には理想を抱いていたかった。

 華宮さんの目は、何かに取りつかれたかのようにギラギラと赤く光っていた。あれはもう美少女なんてものじゃない、ただの野獣だ。

 あんな姿を見たら……たとえ推しじゃなくても、幻滅どころじゃないだろ。


「そのこわあ、かんけい、ないじゃないかあ~~~~~」


 そして相変わらずイラつく喋り方の凡田くんの目を見ると……


 彼の目もまた、華宮さんと同じ赤色に光っているように見えた。




 これは……まさか、魅了……!?

 いや、まさか、な……ハハハ……




 ここは現実世界だぞ、ファンタジーの要素を持ち込む場じゃない。


 華奢な身体でしかし、中身は野獣と化してしまった華宮さんが、防戦一方の和名瀬さんを攻め立てる。

 和名瀬さんも細身でスタイルだけは良いが、今の状況ではそれが完全に裏目に出ている。

 今の華宮さんの圧力を真っ正面から食らっては、立っているのもやっとというところだろう。


 そして、ともすれば僕もあんな痛い目に遭っていたのかと想像すると、彼女たちを止めに入らなくて本当に良かった、なんてほの暗い感想が脳裏に浮かぶ。


 だって、痛いのは嫌じゃないか。防御に極振りするというのには、ただの傍観者として生きる道も含まれているのだ。




 ―――え、僕がクズだって?

 仕方ないじゃないか。

 僕は、モブだ。彼女たちを救うなんて、そんな主人公みたいな真似、できっこないじゃないか。

 剛田先生に掛け合っただけ、褒めてほしいくらいだ。


 ほら、今だって……


「……ん、んんんんんっ!!!」


「「えっ……!?きゃあああああ!!!」」


 ボロボロになって倒れていたはずの沫霧さんが、最後の力を振り絞って、揉み合う2人の元へと突っ込んでいったところだ。

 そして、それと同時に、悲鳴をあげる華宮さんと和名瀬さん。




 うわあああ……




 もう、やめてくれ。


 見たくないんだ、可愛い女の子が傷つけ合うところなんて。


 なのに、どうしても目を離すことができない。

 ここまで来たらどのような結末を迎えるのか、見届ける義務があると思ったからだ。

 ……勿論、決してパ○チラなんかに期待したわけではない。当たり前だ。髪にだって誓おう。


「もうやめて!あらそわないで……」


 そして、その様子を見ていた凡田が、皮肉にも僕が思っていたことと同じことを口にするとほぼ同時に……




 3人の女の子の華奢な身体は、勢いよく教室の硬い床へと崩れ落ちていった。




 倒される寸前に思わず大きな悲鳴を上げてしまうほど、倒されるのは痛いし、怖いはずだ。

 それなのに、こんな……


 これが、愛の力というやつなのだろうか。

 知りたくなかった、そんな力。


 転倒のはずみで、和名瀬さんの眼鏡が飛んでいき、激しくバウンドしてひびが入った。

 その様子は、今の転倒の衝撃を物語っていてゾッとする。


 正義感のせいで、2人に潰された格好になっている和名瀬さんを見ると……本当に辛くて……




 ん?




「……!?か、可愛い……!!!」


 ―――思わず僕は、そう呟いてしまった。


 僕は初めて見た。眼鏡を外した和名瀬さんのことを。

 思わず見惚れてしまった。普段はその言動もあって厳しい印象しかなかったが、実はこんなに……


「「「うおおおおおおおおおお!!!!!」」」


 そして、他の男子たちも同様の真実に気づいたらしく、彼らもまた、熱狂していた。

 ―――何ということだ。こんな身近なところに、学年3大美女になり得る逸材が、眠っていたというのか。


 しかし、今まさに、その美しい原石が、理不尽な喧嘩に巻き込まれたせいで傷つけられようとしている点については……みんな気にならないのだろうか。




 ああっ、もう、やめてくれ……




 そんな風にボロボロになる前に、もうこの際誰でも良いから僕に1人くれよ!!!




 3人の身体が重なり、揉み合ってもう滅茶苦茶だ。

 美少女だった何かが、1つの塊となって右へ左へと転がっていく。

 そして……




 バキッ




 ―――とうとう、聞こえてはならない音が響いた。


「あああああっ!!!うう……」


 直後、華宮さんからとても苦しそうな声が漏れる。

 塊をよく見ると、彼女の身体は、ちょうど和名瀬さんと沫霧さん2人の下敷きになっており……


 これは、腕の骨でも折ってしまっただろうか。




 あああ……




 だから、言ったじゃないか、取り返しのつかないことになるからやめろって……




 腕を抑えて苦しそうにもがき、戦闘不能となった華宮さんを確認すると、剛田先生は傷だらけの生足で今にも再び倒れそうになっている沫霧さんの身体を支え、彼女の腕を持ち上げた。




「勝者、沫霧!!!」


「「「うおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」」」」




 ―――今日一番の歓声が上がった。

 おい、僕の好みではないけど、華宮さんが……


 華宮さんは、良いのかよ……


 この異様な状況に困惑し、周囲を見渡せば……


 気づけば周りのモブたちも、凡田と同じ赤色の目をしていたのだった。




♢♢♢




「えー、これから、ルールに従ってですね……」


 剛田先生が、どこからか自分用と思われるバリカンを持ってきた。

 まさかとは思うが、おっさんに似合わないツーブロック、自分でやってたのかよ。

 どこかノリノリな剛田先生には、心の底から失望した。




 そして、とうとう……悲劇は始まった。




「あああああ……いやっ、いやああああああああああ!!!!!」


 保健室で腕を固定して戻ってきた華宮さんは、椅子に座らされた状態で悲痛な叫び声を上げつつ、バリカンによって無情にも丸坊主にされていく。

 その声は、先ほど腕を痛めた際の悲鳴よりも何倍も大きくて……


 彼女の失望が、ひしひしと伝わってきた。

 あの茶髪のツインテールは、類を見ないほどに美しかった。きっと毎日手入れを欠かさず、大切にしてきたことだろう。そんな彼女がリボンで髪を結ぶ、朝の何気ない日常だった日々のことを、僕は勝手に想像してしまう。


 僕は華宮さん推しではないけど、流石にこれは堪えるというか、色々とこみ上げてくるものがある。


 気づけばデブで眼鏡のアイツも、華宮さんファンは全員、それに沫霧さん推しの面々も含めて、みんなが泣いていた。




「「「あああああ、あああああ!!!うううううわあああああ!!!!!」」」




 ―――それはまさにカオスというべき、今日という日を象徴する瞬間であった。


 華宮さんの声に混ざって、男共の言葉にならない重低音の叫び声が、そこら中から聞こえてくる。

 中には儚く散っていった華宮さんの髪を、1本1本拾い集めているものさえいた。

 ……いや、甲子園の土じゃないんだから、そんなことしてないで今すぐ彼女を救えよ。




 え?僕はって?


 ―――僕は、ただのモブだから。どうすることもできないのさ。






「……ひっく、私の負けよ、もう……うっ、ぐすっ、どうとでも好きにしなさいっ!……ぐすっ」


 瞳に大粒の涙を浮かべながら、華宮さんは声を絞り出す。

 このシーンだけ切り取ると、まるでメ〇ガキがわからされたって感じだけど、流石に辛いぜこれは……


 沫霧さんはそんな彼女の敗北宣言を受け取ると、泣き崩れる彼女に背を向けて歩き出す。

 そして、その先には……


 凡田が立っていた。




「……好きです。私と、付き合ってください」




 そして、沫霧さんの凡田への公開告白。


 ―――あまりに衝撃的なことが多すぎて、僕はすっかり忘れていた。

 そういえば勝者は、凡田と結ばれるんだったか。


 勝っても負けても地獄というこの現実を、今になって突き付けられる僕。

 ……くそ、沫霧さん……


 だが、凡田はそんな沫霧さんの一世一代の告白を……






 まさかの聞き流すと、華宮さんの頭をじっと見つめて、しみじみと呟いた。






「綺麗だ……本当に綺麗なをしていたんだね、華宮さん」






 ―――開いた口が塞がらないとは、まさにこのことか。

 何が起こっているのか、今日一番で理解できなかったと言っていい。

 だって、これはつまり……






「……言ってなかったけど、僕、実は髪が短い子の方が好きなんだよね」






 僕の脳は、その言葉の意味を理解することを激しく拒絶していた。

 だって、そうだろ……


 ―――いったい、何のための闘いだったのだろうか。

 彼女たちの想い人である凡田は、あの綺麗な長髪には少しも興味はなく、むしろ坊主頭のほうが好感度が高かった、というのだから。

 こんな真実、誰が想像できただろうか。

 しかしながら、互いに身体を傷つけあったあの時間が、全くの無駄であったということを示されてしまったのだ。


 あんなに、痛いのを我慢したのに?

 あんなに、怖いのを我慢したのに?

 あんなに、辛い思いをしたのに……


 全て、茶番だったというのだろうか。




 僕は、圧倒的なまでの無力感に苛まれた。


 ―――そしてそれは、当然ながら沫霧さんにとっても同じことだった。




「……だから、争わないでって言ったのに」




 とぼけたような締まらない表情で淡々とそう呟く凡田を前にして、途端に泣き崩れる沫霧さん。

 すまんな、僕も理解が追いつかない。

 今から全国の女の子に髪がなくなっても彼氏ができる事、伝えます。

 髪は乙女の命って思ってる子も沢山いるんです。




 ―――そして僕は、僕は凡田アアアアア!!!!!





 お前を絶対に許さない!!!!!!!!!!






「だ、だったらわたし……私も、坊主にするっ!!!」






 ―――そしてそれは、一瞬の出来事であった。

 状況が状況なだけに、気が動転してしまうのも無理はない。

 沫霧さんは使い終わったバリカンを拾い上げると―――それを、頭に押し当てたのだった。











 バリバリバリバリバリ
















 ああああああああああああああああああああああああああああああ









































 ―――僕の部屋には今でも、沫霧さんのあの美しい黒髪が奉られている。

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