落第悪魔

 ある男の子の目の前に、悪魔が現れた。


 男の子と目が合って、悪魔はぺこりと頭を下げた。


「突然すみません。こういう、急な現れ方しかできないんです、悪魔って。ああ、悪魔といっても、魂を売ったり買ったりする悪魔じゃありませんから、安心してくださいね」

 男の子は、物怖ものおじしない性格なのか、慌てふためく様子はなかった。何を言うでもなく、ただ黙って、まっすぐに悪魔の瞳を見ていた。


 男の子から質問されないので、悪魔は一方的に説明した。


「僕は、誕生日をお祝いする悪魔なんです。悪魔の中には、そういうのがいるんです。きみは、今日が誕生日だよね?」

 男の子はこくりとうなずいた。それを見て、悪魔も頷く。


「きみの五才の誕生日に、僕がきみの願いを叶えてあげます。例えば、おもちゃがほしいのなら、出してあげます。空を飛びたいのなら、ちょっとの間なら、翼を生やしてあげます。何がいいですか?」

 そこまで言ってから、悪魔は少しばつが悪そうに言った。


「といっても、あまり難しい願い事だと、僕の力では、叶えてあげることができないんです。僕は落ちこぼれの悪魔で、叶えられるのは簡単な願いばかりです」

 悪魔は人差し指を立ててみせた。


「願いの数も、たった一つだけです。先輩の悪魔には、年の数だけ願いを叶えられるというすごい人もいますが、僕にはできないんです。何才の誕生日でも、叶えてあげられるのは、たった一つきり」

 自分の未熟さを恥じて、悪魔は申し訳なさそうだった。


「それでもいいなら、願いを言ってくれませんか? 僕にできることなら、きっと叶えてみせます」

 悪魔が説明を終えても、男の子は黙ったままだった。ひょっとして、この子は口がきけないのだろうか。悪魔がそう思った時、男の子はようやく口を開いた。


「あのね」

 反応があったことを認めて、悪魔は嬉しそうだった。


「うん。何だい?」

 しかし、男の子はなかなか次の言葉を発しなかった。悪魔はじれったくなって、男の子をうながした。悪魔は、早く男の子の喜ぶ顔が見たかった。


「言ってごらん。さあ」

 男の子は願った。


「お父さんがほしい」

 その願いを聞いて、悪魔は固まった。


「お、お父さん?」

 悪魔はてっきり、おもちゃやゲームを求められると思っていたのだ。人間を要求されるとは、思いもよらないことだった。


「お父さんがほしいって。それは、一体どういう意味なのかな?」

 狼狽ろうばいする悪魔と対照的に、男の子は落ち着いて答えた。


「ぼく、お父さんがいないの」

「いないって、どこか遠くに行ってるってことかな? 仕事で、離ればなれに暮らしているとか」

 ううんと、男の子は首を振る。


「死んじゃったの。ぼくが、まだ赤ちゃんだった時に」

 悪魔はショックを受けた。


「亡くなられた……」

「お母さんが、そう言ってたの。車の事故だったって」

 幼い子に辛いことを言わせてしまい、悪魔は罪悪感を覚えた。


「そうでしたか。それは、なんと悲しい」

「だから、お父さんがほしいの。友達には、みんなお父さんがいるけど、ぼくにはいないから」

 男の子の想いを知って、悪魔は沈痛な面持ちになった。男の子に同情し、非力な自分に怒りを覚えた。


「願い事は、分かりました。ですが、ああ! 何と言ったらいいのか。僕には、できないんです。人を生き返らせるなんて、とても」

 男の子は、悲しむことも怒ることもしなかった。悪魔は必死に弁解した。


「それは、とても難しい願い事なんです。そして、僕には力が足りないんです。本当に、僕は悪魔失格です。きみの願いを、叶えてあげることができない」

 悪魔は、ほかの願いに替えてもらおうかと考えた。しかし、すぐにやめた。目を見れば分かった。男の子の願いは、ほかにはなかった。今更、ほかの願いを求めるわけにはいかなかった。


 いっそ責めてほしかった。泣きついて、暴れ回ってほしいと思った。そうされれば、聞き分けのない子供をさとす時のように、断ることができたかもしれない。


 だが、男の子は、ただ見つめるだけだった。悪魔も、男の子の瞳から、目を背けることができなかった。男の子が文句を言わないことが、悪魔にはかえって辛いことだった。


「ああ、僕はなんて、ダメな悪魔なんだろう。こんなに小さな子供の願い一つ、叶えてやることができないなんて」

 悪魔のくせに、自分には力がない。自分は悪魔の欠陥品だと、悪魔は心の中で泣いた。


 その時だった。悪魔の頭に、ある考えが浮かんだ。


「そうだ。僕はどうせ、悪魔失格なんだ。だったら」

 悪魔は、膝をついて、男の子に目線を合わせた。そして、思いついた考えを、男の子に打ち明けた。


「僕には、きみのお父さんを、生き返らせることはできません。本当に、ごめんなさい。ですが、きみの新しいお父さんになら、僕がきっとなってみせます。こっちも、とても難しい願い事だけど……。でも、きっと努力して、立派なお父さんになってみせます」

 悪魔として半人前なら、いっそ悪魔なんてやめてしまえばいい。悪魔であることにこだわるよりも、もっと大切なことがあるはずだと、悪魔はそう考えた。


「もちろん、きみさえよければ、ですが」

 受け入れてもらえるかどうか、悪魔は不安だった。そのままの姿勢で、男の子の返事を、悪魔はじっと待ち続けた。


 悪魔の目の前で、男の子はにっこりほほえんだ。そして、嬉しそうに頷いた。


 男の子の答えを受けて、悪魔は胸が熱くなった。


「おお……」

 悪魔の視界がぼやけた。いつの間にか、悪魔の目からは涙があふれていた。あたたかい涙だった。


 悪魔は男の子に約束した。


「ありがとう。必ず、一人前のお父さんになってみせます」

 そして立ち上がると、照れくさそうに涙をぬぐった。いつまでも泣いてばかりいられなかった。一人前の父親は、めそめそしないものだと、悪魔は思ったのだ。理想の父親への道のりは、もう始まっている。


 意気込みを胸にしたところで、悪魔はふと、あることに思い当たった。


「ところで、一つだけ、問題があることに気づいてしまいました」

 難しい顔をする悪魔を見て、男の子は不思議に思った。悪魔のいう問題とは、一体何のことだろうか。


 困った様子で、悪魔は言った。


「きみは、僕がお父さんになることを、許してくれました。しかし、果たしてきみのお母さんは、僕を気に入ってくれるでしょうか……?」

 男の子は笑った。




    ― 完 ―

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ショートショート「悪魔がささやく誕生日」 十文字ナナメ @jumonji_naname

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