エリート悪魔

 冬のある日のこと。

 男の子の目の前に、悪魔が現れた。


「わっ」

 驚いた男の子に、悪魔は落ち着いた様子で語りかける。


「よう、俺は悪魔だ。怖がらなくていい。魂はとらない主義なんだ」

 恐るおそる、男の子は悪魔に尋ねた。


「ぼくのこと、食べたりしない?」

「食べる? そんなことはしない」

「でも、絵本で見たよ。悪魔は人間を食べるんだ」

 悪魔はため息をついた。


「そうステレオタイプに取られちゃ、困るな。悪魔にも色々ある。俺は、そんな野蛮やばんな悪魔とは違う」

「じゃあ、どういう悪魔なの?」

「お前、今日が何の日か知ってるか?」

「うん。ぼくの誕生日」

「そう。今日はお前の、五つの誕生日だ。その誕生日プレゼントとして、俺は願いを叶えに来たんだよ」

「プレゼント? くれるの?」

「まあな。何でもいいぞ。お前がほしいものは何でも出してやる」

 悪魔は得意げに胸を張った。


「しかも、俺は優秀な悪魔だからな。願いは一つだけ、なんて、そんなケチくさいことは言わないぜ。なんと、年の数だけ願いを叶えてやれるんだ。つまり、お前の場合だと」

 男の子の目と鼻の先に、悪魔は手のひらを突き出した。


「五つだ。何でも五つ、お前は願い事をすることができる。どうだ、すごいだろう」

 男の子はぽかんと口を開けていたが、やがて目を輝かせた。


「本当に何でもいいの?」

「そう言ってるだろう。さっきも言ったが、俺はこう見えても、エリートな悪魔なんだ。叶えられない願いなんてない」

「じゃあ、ぼく、新しいゲームがほしい」

「ゲームか。お安いご用だ。そら」

 悪魔は指を振ってみせた。すると、そこにはゲーム機とカセットが現れていた。どちらも最新の人気作だった。


 男の子はしばらく目を丸くしていた。おっかなびっくりゲーム機に手を伸ばすと、それが夢や幻でないことを確かめた。


「すごい。本当に願いが叶うんだ」

 悪魔は鼻を高くした。


「さあ、願いはあと四つ残ってるぜ。次は何にするんだ」

「ぼく、でっかいケーキが食べたいな。一人じゃ食べきれないくらい大きな、おいしいケーキが食べたい」

「いいとも。そんな願い、俺にとっちゃ、朝飯前ア・ピース・オブ・ケーキってやつだね」

 悪魔は再びその指を振ってみせる。すぐに、まるでウエディングケーキのような、大きくて豪華なケーキが、パッと現れた。甘い香りがふんわりと広がる。


 男の子は、もう悪魔を怖がっていなかった。すっかり興奮した様子で、次の願い事を口にした。


「新品のサッカーボールがほしい」

「やっと調子が上がってきたな。そらよっと」

 悪魔が三度みたび指を振ると、すぐにピカピカのサッカーボールが出てきた。プロの選手も使う、本格的な公式サッカーボールだった。


 ボールを手に取って、男の子ははしゃいだ。嬉しくてたまらない様子だった。


「ねえ。願いって、物じゃなくてもいいの? 生きてるものでもいい?」

「もちろんだとも。ライオンだろうが恐竜だろうが、人間だろうがすぐに出してやる」

「それなら、ぼく、カブトムシがほしい。立派な角が生えた、強いカブトムシがいいな」

「簡単な願いだな。ほら、虫かごはサービスだ」

 今は冬だったので、カブトムシを飼うにはよくない季節だった。しかし、悪魔はそんなことには頓着とんちゃくしていない様子だった。


 男の子の手には、虫かごが収まっていた。その中を覗いてみると、たくましいオスのカブトムシが光沢を放っていた。


 それをうっとりと眺めてから、男の子はまた願いを言おうとした。


「次はねえ」

 それを見て、悪魔は注意した。


「おい、いいのか? 叶えられる願いは五つだぜ。もう四つ叶えてやったから、残りはあと一つだけだ」

「あっ、そうか」

 男の子は途端に元気をなくした。悲しそうな目で悪魔を見る。


「どうしても、一つじゃなきゃだめ? ぼく、ほしい物、まだまだいっぱいある」

 悪魔は首を横に振った。


「言っただろ。叶えられる願いの数は、年の数だけだ。お前は、今日五つになったから、願いの数も五つだけだよ」

 それを聞いて、男の子は泣き出しそうになった。


「そんなあ。もっとたくさんほしいのに」

 なげく男の子に、悪魔はやれやれとあきれてみせた。そして、男の子の頭に、ポンと手を置いた。


「まったく、馬鹿なやつだな。ちょっとは頭を使えよ。工夫すれば、願いはいくつも増やせるじゃないか」

「えっ、どういうこと?」

「いいか? 願いの数は年の数と同じなんだ。つまり、年の数を増やせば、願いの数も増えるってことだ。十才なら、願いは十個。二十才なら、二十個ってわけだ」

「年の数なんて、どうやって増やせばいいの?」

「まだ分からないか? 残った最後の願いで、年齢を増やすんだよ。例えば、『十才にしてください』ってな。そうすれば、増えた年齢の分だけ、また願い事ができるぞ」


 悪魔の話を飲み込んで、男の子の顔は再び明るくなった。が、すぐに表情が曇り始める。


「でも、ぼく、まだそんなに大きくなりたくない。十才になったら、小学校に行かなきゃいけないでしょ? 勉強なんてやだ」

「それも、工夫次第で、どうとでもなるのさ。好きなだけ願いを叶えた後で、最後に残った願いでこう頼めばいい。『五才に戻してください』って。こうすれば、元のお前に戻れるじゃないか」


 男の子はじっと悪魔の目を見ていた。悪魔の言ったことを、頭の中で繰り返す。成長して、願いを増やし、ほしいものを好きなだけ手に入れて、また元の姿に戻る……。


 男の子は満足そうに笑った。それを見て、悪魔もにやりと笑う。


「さあ、いつでもいいぜ。二十才でも、五十才でもいい。好きなだけ願いを増やせ」

 わくわくと胸を躍らせて、男の子は最後の願いを告げた。


「ぼくを、十才にしてください」

「あいよ」

 悪魔は指を振った。


 ところが、その瞬間、男の子の姿はパッと消えてしまった。手に持っていた虫かごが、音を立てて床に落ちた。


 驚いた悪魔は、あたりを見回した。が、男の子の姿はどこにもない。


「これは一体、どういうことだ? あいつはどこへ消えたんだ?」

 予期せぬ事態に、悪魔は首を傾げた。広くなった部屋で、腕を組んで考え込む。しばらくして、悪魔は一つの可能性に思い当った。


「そうか。きっとあいつは、五才から十才になるまでのどこかで、死んでしまう運命にあったんだ。だから、十才まで成長する前に、消えてしまったんだ」

 よかれと思って勧めた方法で、男の子を死なせてしまったと知って、悪魔は後悔した。


「悪いことをしたな。あいつの寿命なんて、俺はまったく考えに入れてなかった。たくさんの願いを叶えてやるつもりが、あいつの死期を早めてしまった」

 悪魔の足元では、カブトムシが虫かごから放り出されていた。冷たい床の上で、カブトムシはじっと固まったままだった。

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