第2話
【牡丹姫】或いは【机下姫】という、彼女への呼び名は、敬意と、また侮蔑の込もった通称である。
彼女、ここではファーストネームの愛称よりリッツと呼ぶが、リッツは後天性の脊髄損傷による下半身不随なのである。
彼女の実姉である第一王女がライフル銃による暗殺の危機にあると察知したリッツは、小さな体躯を張り凶弾から姉を守った。この時、齢6つである。
それ以来、英雄と称されたリッツだが、凶弾の傷が癒えることはなく、下半身不随のままの生活を余儀なくされた。
そこで生まれたのが、先の二つの通り名である。
【牡丹姫】は、『立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花』というこの国の都都逸に起因している。先に述べたようにこの都都逸は、三様、立ち姿、座り姿、歩き姿の所作・出立ちの美しさを花に例えた有名な詩だ。ここでの牡丹というのは、事件以来車椅子でしか生活できなくなったリッツに対する、『それでもなお気品の溢れるお方』という意味が込められていると共に、『歩くことはおろか立つことだにできない癖に威張っている奴』という侮蔑が乗せられることもある。先の場合は後者であった。
一方【机下姫】はと言うと、机下という敬称に意味がある。机下とは、医師や弁護士など、俗に先生と呼ばれるような職種の人に対する敬称で、ここでは『医療に精通している人』『医療魔法に長けた人』『知識に秀でた人』といった意味である。リッツが失った脚の機能を取り戻すべく励んできた研究の成果が、世界的に評価されての呼び名ではあるが、同時に、本来は殿下と呼称されるべき立場でありながらそう呼ばれている、『王族としての役割を全うできない人』という悪意ある解釈がなされることもある。これまた、先程は後者の意味で用いられた。
どちらも次期女王たる第一王女を身を挺して守ったリッツに対する明らかな侮辱であり、メイドが殺意を抱くことも至極当然に思うが、このお見合い中幾度かこの名が聞こえてきた。
というのも、リッツはこのお見合いに最初から乗り気では無かったし、呼び出された側にしてもリッツの軽薄な振る舞いは好ましくないものだったのだ。
「はぁ……」
実に158人目のお見合い相手を追い返して、リッツは大きくため息を吐いた。
(悪態を吐いた奴が69人、最後まで足掻いた奴が52人、こっちの態度を見て呆れたように帰った奴が37人。父上はお見合い相手を見繕うセンスが無さ過ぎるのじゃ。お姉様も同じ目に遭ってるかと思うといたたまれないのじゃ。)
「次で最後かの?」
「はい。一応先にご紹介します? 最後くらいは。」
メイドの言うことが良く分からないかと思うが、本来リッツのように高位の存在に多数の低位の存在が見合う時には、先にある程度の情報を高位者に伝えて、見合うかどうかをその場で決める場合がある、というのがこの国の慣習である。その場合、追い返された低位者は屈辱を負う事になるので、リッツは敢えて自身の目で判断することにした。
……という建前だが、実際には一々聞くのが面倒くさかっただけである。リッツは正直なところ、このお見合いには反対の立場であった。
「そうじゃな。父上にせっつかれるようじゃったらそいつを婿候補って言っておくかの。」
リッツは、しょっちゅう父であるアルジェスター国王に婿を取らないかとせっつかれていた。故に、彼女は研究の邪魔をされないよう、手頃な相手を婿候補にして放置しておくつもりであった。
「えー、シルヴィア皇国の……」
その名前だけで、メイドの顔は恐ろしく軽蔑のものに変わった。
「そういやな顔をするな。彼の国の長の程度は知れておるが、その民が国を支えておるという解釈も出来よう。それで?」
続きを促すリッツ。ティーカップを左手に、彼女は王国の植民地であるエルシェド共和国のバルーニャ高原産の紅茶を味わいつつ、目線はメイドの方を向く。無論蟹股である。
「シルヴィア皇国の、アーレリオ将軍家の三男、ヴィスティオ・シア・アーレリオ様ですね。お父上は彼の国の内乱を平定し、天皇陛下の下に皇国を再興したエルッツェン・シア・アーレリオ将軍です。ご当人は現在18歳であらせられます。」
(聞いておる限りではあの内戦で成り上がった将軍の嫡子かの。エルとは会ったこともあるが、息子は初めてじゃの……。それなりに腕が立つなら研究助手として雇っても良いかの。まぁ、使えそうなやつじゃったらの話じゃが。)
リッツはヴィスティオ、以下ティオと愛称で呼ぶが、彼の事を知らなさ過ぎた。せいぜい彼女が接見したことのある将軍、エルことエルッツェンの子息ということでそれなりの人間ではないかと予測していた程度である。
故に、メイドに通されたティオを見たリッツは、正しく刮目し、驚愕した。
「ご機嫌麗しゅう、殿下。」
その子息の秀麗たるや、正に薔薇の如くあったのである。
牡丹は薔薇に憧れる 鹿 @HerrHirsch
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