第十八話 「毒薬」

 ──あぁ、良かった。


 ロベルは悪い笑みを浮かべる老人二人を見ながら、そう思った。


 絵に書いたような人格者。

 それが村長アヒムに対するロベルの印象だった。子供である自身を侮ること無く、それどころか敬う姿勢すら見せ、余所者である自分に優しく、勿論家族や村人にも優しく接する人間。

 ここまでできる人間は中々いないだろう。真贋に限らず。


 この場を見ることができなければ、信用していたことだろう。

 裏の世界で培った心の防波堤が崩れ去るところだった。


 だからこそ、感謝しているのである。


 ──善人など、居ない。存在してはならない。


 ロベルは静かにその場を後にした。



◇◇



 ロベルは一人の老婆を組み敷いていた。

 この老婆こそ、先程老人の一人が「婆さん」と言っていた薬屋の真似事をしている人間である。


「これか?」

「あ、ああ、そうさね。その拮抗薬を飲めば──」

「分かった。それ以上喋らなくて良い」


 適当な布で作った猿轡で老婆を黙らせ、他の薬剤を見比べる。


(劇薬や毒薬、それに強壮剤、後は⋯⋯あぁ、そうだ)


 液状の拮抗薬を飲み干したロベルは、思いついたことを実行すべく、早速行動に移した。

 この老婆にも使がある為、殺さずに放置した。


 怯える老婆は只管に、感情の抜け落ちた能面のような表情のロベルを見続けた。

 それはさながら、処刑台の階段を上る死刑囚のような、ある意味でロベルとは対比的な、絶望に染った表情をしていた。


 ロベルはそんな老婆のことを気に留めもせず、部屋を去った。その手に、容易に人間を殺害できる毒薬と劇薬を持って。




 時刻は十時。

 ロベルは中央の広場に村人全員を集め、金縛りの洞窟へ向かうことを告げた。

 この場に薬屋の老婆が居ないことを不審に思う人間は居ない。この狭い村で最も偏屈であると言われる程の老婆だ、このような集まりに参加しないのも日常茶飯事なのだろう。


 ロベルの発言を素直に喜んだのは、まだ年端もいかない子供たちばかりであり、大半の大人たちは侮辱とすら受け取ることができる冷めた目で見ていた。

 しかしその中には約二名程、驚愕したように、怯えを孕んだ視線をロベルへ向けるものたちが居た。──ロベルを嵌めようとしていた村長と老人である。


 何故、どうして。

 そんな言葉がありありとその表情に並べられている。それもその筈で、本来であればロベルは今頃、村長宅から一歩たりとも動けずに居るはずなのだ。


 筋弛緩剤、所謂いわゆる

 常に日の差すことのない土壌でのみ生息する、リラックス効果のある薬草と、麻痺鼠の体液を適当な配分で混ぜ合わせた薬剤である。

 その効果は、文字通り筋肉の緊張や強ばりを緩めるというもの。

 混ぜ合わせる配分量によって、即効性か遅効性かを選択できる優れた代物だ。

 一般的には、緊張時の筋肉の硬直を和らげる為であったり、不眠症を打ち消すリラックス効果を期待する為に投与される。


 しかし、医療目的に扱われることが多い反面、その特性故に毒薬や劇薬、それに類する麻痺薬等よりも暗殺に使用されることが多い薬剤でもある。


 そんな薬剤が正に、ロベルへ投与された。──にも関わらず生きている。


「ば、馬鹿なっ!?」


 そう声を荒らげたのは、やはりと言うべきか村長であった。


「お前の飯には確かにっ」

「──薬を盛った筈、⋯⋯か?」


 引きつったように表情を歪めた彼は、何かに気がついたかのように周囲を確認しだした。


「婆さんはどこだっ!」

「あ、ああ、そうだ! 婆さん、婆さんはどこだ!? 店に居るのか!?」


 鬼気迫る勢いの村長に触発されたのか、奸計の老人も声を荒らげて老婆を探し始めた。しかし当然のように見つからない。


「⋯⋯そろそろか」


「何がだ! それよりもなぜお前がこの場に居るのか答えろ!」

「そうだ! お前は依頼を受けてこの村に来た以上、この村の生活を助ける義務がある! 大人しく死ね!」

「そ、そうよ! それかその短剣を置いてここから去ってちょうだ──」


 村長と老人に触発された女性が、声を荒らげてロベルへ迫ったその時、彼女は崩れ落ちるように膝をついて正面から倒れ込んだ。

 小さく呻き声を上げたが、それ以上喋ることは無かった。彼女の口元からは、唾液と泡の入り交じったものが吹き出していた。


 それと時を同じくして、他の村人たちも倒れ込んでいく。勿論村長や老人も例外では無い。

 数分後には吐瀉物のオンパレードと化した広場がそこにあった。

 誰も彼もが白目を剥いて泡を吹いている。この場で真面に心臓が機能しているのは、ロベル唯一人である。


(毒薬と劇薬がここまで効くとは)


 辺鄙な村の薬屋でも侮れないものだな、とロベルは思った。


 村人全員も毒物塗れにした。──しかし本当の本番はここからある。

 ロベルは村人たちの死体を一人一人引き摺って洞窟の前に置いていく。未だ筋力の無いロベルでは両足を持って一人を引き摺っていくのが限界だ。

 暫くして村人全員の死体を運び終わると、余った毒薬や劇薬の内、臭いの少ないものを上からかけて村へと戻った。

 後は獲物が引っ掛かるのをただ待つだけだ。




 ロベルの眼前には十四体の小鬼の死体があった。

 そう、罠に引っ掛かったのである。


 爆発的な繁殖には、生物である以上当然、相応の栄養が必要になってくる。

 特にその本能に任せて子を増やす小鬼たちには、親の分にしても、子の分にしても、必要不可欠なものだ。

 しかし、戦闘においてこれと言って特筆すべき特性を持た無い小鬼たちでは、毎日必要分の獲物を狩ってくることはほぼ不可能。


 毎日毎日食料不足に悩む、そんな折に、住処の入口に何故か大量の食料が置いてあるでは無いか。

 頭の弱い小鬼たちは、何も疑うことなく食料を住処へと持ち帰り、まるで自分たちが狩ってきたのだと誇るように仲間へと振舞った。


 嗅覚が多少発達した普段の小鬼たちであれば、毒薬の存在に気がついたかもしれない。しかし、食料不足に悩む小鬼たちでは、それは正に神の天啓のように思え、一切疑うことは無かった。

 できるだけ臭いの少ない毒薬や劇薬を選んだことも成功の要因だろう。


 兎も角、ロベルはこれで依頼達成である。


 ロベルは小鬼たちの耳を削ぎ落とすと、麻袋へ詰めた。

 それから村の中を改めて物色して何か金目のものがあるかどうかを確認し、村に火をつけた。


 燃え盛る村を背に、新たに得た何枚かの銀貨や銅貨、貴金属を弄びながらその場を去った。

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