第十二話 「感情」
金髪の少女、フリーダは、物憂げに豪奢な椅子へと腰掛けていた。
傍らには獣族の侍女が控えている。
獣人は他の種族と比べて比較的寿命が短い。しかしその反面で性欲は旺盛で、女性一人あたりの平均出産回数は非常に多く、母体が耐えられるようその肉体も頑強である事が多く、また成長速度も異常に早い。
多産多死が日常である獣族たちは、その特性の為、雇用されるとなると、人件費削減の為、給金を安く済ませられる事が非常に多い。
獣族たちの多くが発展途上国で生を享ける為、教養のあるものが少ないのもその理由の一つだろう。
フリーダの後ろで控えている彼女もまた、そういった理由ではあったが、彼女の場合は仕える相手が相手なだけに、普通とは異なる理由でもあった。
「遅いっ! 何でアイツはいつもいつも遅刻をするだ!」
フリーダは怒り心頭に発し、そう叫んだ。
侍女は何も言う事は出来ない。それを許される立場では無いのだ。
フリーダは机の引き出しから鞭を取り出すと、振り返って立ち上がり、侍女へ向けて放った。
「っ、ぁあああ゙あ゙あ゙っ」
「この! このっ! 何で私を優先しないっ!? 私は辺境伯家長女のフリーダなのに! この!」
侍女への折檻は、フリーダがこの場に呼びつけていたロベルが来るまで続いた。
その頃になると、侍女は襤褸雑巾のような姿になっていた。身体中から流血をして、肉が抉れていた。
「これ、捨てておいて」
フリーダは開口一番にロベルへそう言った。
指さされた先には、息も絶え絶えの侍女が転がっていた。
◇◇
フリーダ・フォン=ヴィーゼルは思い悩む。
最近自分の家に訪れたロベルと名乗る少年についてだ。
歳はそう変わらないだろう。恐らくはフリーダが何歳か年上だろうが、飽くまでも数歳差である。
加えて、ロベルの達観した精神性を加味すれば、身長はフリーダの方が高かろうと、誰もがロベルの方を年上だと考えるだろう。
男にしては良く伸びた髪、男にしては低い身長と体重。そして、年不相応な程に昏く濁った、珍しい黒瞳。
服装は何だか少し違うような気がするが、似合っていない訳では無い。
むしろ、冒険者が着るにしては上等なものだ。
良く言えば、小綺麗。
悪く言えば、
そんなロベルは、この数日で驚く程に無礼を重ねてきた。それはもう、平民の首で小さな山を作れる程に。
これまでフリーダを取り巻いてきた人間たちは皆、彼女の機嫌を損ねないよう慎重に、まるで爆発物でも取り扱うように接してきていた。
だがそれも当然の話である。
彼女は他でも無い、稀代の傑物アルフォンス・フォン=ヴィーゼル辺境伯の愛娘であるフリーダ・フォン=ヴィーゼルなのだから。
彼女の機嫌一つで冗談ではなく千の命が散る。そこに平民だから、貴族だから、といった結末の差異は存在しない。
第二の王都と名高い領都ペルンを持つヴィーゼル辺境伯領、その王たる辺境伯に今最も近い存在、それが
しかし、しかしだ。
恐れ知らずにも彼女に教養の無い言葉遣いをし、
そう、ロベルである。
裏の世界の出身者であるこの少年に教養等という高尚なものは存在しない。
平民が恐れ戦く事を平然とやってのけるのである。無知とは怖いものだ。
だからこそ、彼女は悩まされているのだ。
ロベルの処遇について。
同年代と触れ合う機会の少ない彼女にとって、ロベルはいい
しかしロベルを生かしておく理由としては少し弱い。
貴族は体面や面目と言ったものを何よりも大切にする生き物である。舐めた事をしでかした平民一人を態々生かしておく理由は、本来存在しない。
にも関わらず彼女はロベルを殺せないでいる。
その理由は、先に挙げた利潤とは別枠の理由だ。
しかしここまで分かってはいても、彼女自身にはそれを推し量る事は出来ない。何故ならば、これまで経験した事の無い、生まれて初めて抱いた感情をロベルへ向けてしまったからである。
それは友情や劣情と言った単純なものでは無く、もっと複雑な何か。
憧憬、嫉妬、敵愾心、様々な感情が入り交じった心と言う名の器を前に、彼女は立っていた。
その器は、ひっくり返したように中身を彼女へぶち撒け、それはやがて、会って間もないロベルへ執着という形をとって渦巻いていった。
閉じられた世界で生きてきたが故に、それへ名前をつける事も確かめる事も叶わない。
ただ、今は少しだけ、流れに身を任せてみるのも悪くないかもしれない。
──そうフリーダは考えた。
そして、思考を棚上げした彼女の前に、母親のお付きの老執事が現れた。
「失礼致します」
「何だ?」
「⋯⋯カザミーナ様より、伝言を仰せつかりました」
「──っ!」
「内容は!?」
「『ロベル君をうちで雇うことにしたわ。暫くは貴女の所へ預けておいてあげる』とのことございます」
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