友達の友達
@559080kyu
友達の友達
すーちゃんが転入してきたのはいつだっただったか覚えてない。気がついたらもう居た、と言うしかない。小学校低学年? いや、四年生くらいだったかもしれない。私は彼女と家の方面が一緒だったから自然と一緒に帰るようになっていた。すーちゃんには私の他にも大勢の友達がいた。明るくて、話が上手だった。そんな彼女を独り占めできるこの帰り道が、私にとってかけがえのないものだった。私の家の方面から学校に来ている子は少なく、友達と帰れるだけでもかなり嬉しかったことを覚えている。
すーちゃんが帰りながら話してくれたことはどれも面白かったが、一つだけ気に入らないことがあった。彼女はよく、彼女の友達の「るぅちゃん」について話した。「るぅちゃん」はすーちゃんの小さい頃からの親友で、今でもお話をするらしい。るぅちゃんについて話すときの彼女の声はとても楽しそうで、私は顔も知らないるぅちゃんに少し嫉妬した。あまりに彼女がるぅちゃんの話をするものだから、私は一つ質問をした。
「るぅちゃんって、どこに住んでるの? 最近も話したって言ってたけどさ、ここにくる前からの友達なんでしょ? 電話とかで話してるの?」
「ああ、それはね……」すーちゃんは答えようとしたが言い淀んだ。しばらく唸って、深刻に考えるような素振りをした後、何かを覚悟したような顔で言った。「この後ヒマ?」
「ヒマだけど……」
「じゃあ家来て、見せたいものがあるの」
「う、うん。わかった。でも、一回家帰ったからでいい? お母さんに言わないと……」
私はこの時かなり動揺していた。友達の家にお呼ばれなんて、今までにないことだった。冷静を装ってはいたがすごくドキドキした。しかも、あの人気者のすーちゃんの家にだ。「るぅちゃん」はどうだか知らないが、少なくとも同じ学校内で初めて彼女の家に呼ばれたのはおそらく私に違いないと思った。
走って帰って母に伝え、母から持っていきなさいと誰かからもらったお菓子の入った箱を渡されて、宿題もしないまますーちゃんの家に向かった。すーちゃんの家はマンションだった。私はあらかじめ聞いて置いた部屋番号を入力した。「はーい」という、いつものすーちゃんとは少し違う声がスピーカーから聞こえるとドアが開いた。これがオートロックか、と感心しながらエレベーターに乗った。目的地は三階だったからすぐについた。部屋番号を確認して、インターフォンを押そうとした時、突然ドアが開いた。
「そろそろ来ると思ってドアの前で待ってたら、足音がしたから」
すーちゃんだった。「お邪魔します……」と緊張している私にすーちゃんといつの間にか来ていたすーちゃんのお母さんは「いらっしゃい」と言った。私は「あの、これ、お菓子です……」と小声で言うのが精一杯だった。
すーちゃんの部屋は可愛かった。ベットにはぬいぐるみが何匹か同じ方向を向いて座らされていた。机の上には学校でもよく見る筆箱があって、ちょっと離れたところにシャーペンが転がっていた。
「それで、るぅちゃんのことなんだけど」
しばらく部屋の観察に集中していた私はすーちゃんの声で我に返った。肝心の目的を忘れるところだった。
「これ……」
すーちゃんは小さな手鏡を私に渡した。
「何? これ?」手鏡には私たちが小さい頃テレビで放送していたアニメのキャラクターが描かれている。ところどころ剥げているのも見ると、昔からあるものだろうと思った。
「鏡の面を見て」
私は鏡を覗き込んだ。すーちゃんも一緒に覗き込んだ。小さい鏡だから、二人の顔を映すのがやっとかっとだった。
「これがね、るぅちゃんなの」
私はすーちゃんが何を言いたいのか理解できなかった。そのことが伝わったのだろう。すーちゃんはもう一度口を開いた。「るぅちゃんは、鏡に映った私のことなの。イマジナリーフレンドとか、多分、そういうやつ」彼女は恥ずかしそうに言った。
「えっ、ああ、そうだったんだ。あはは……それは予想外だ……素敵なお友達だね」
完全に予想外。それが私の感想だった。自分がどんな表情をしているかわからなかった。すーちゃんを不快に思わせていないか不安だった。返答があっているのか怖かった。私は信じられなかった。友達の少ない子が架空の友達と話すならまだわかるのに、すーちゃんだったから意外だった。すーちゃんは社交的で、友達には事足りてると思っていた。
「意外だったでしょ……?」すーちゃんが恐る恐る聞いてきた。
「確かに意外だけど」「やっぱおかしいのかなぁ……こんな歳でこんなこと」
「おかしくないよ」私にはそう言うしかできなかった。それに、これは本心だった。私はもう落ち着いていた。おかしくないと伝えたい。その一心で私は言葉を発した。
「意外だから、友達の多いすーちゃんだから意外だった。それで驚きはしたけど、おかしくはないよ」
「本当に……? いや、ごめん。あたしから言い始めたのに、こんな雰囲気にしちゃって。もうやめよっか!」
すーちゃんは素早く手鏡を引き出しにしまった。その後何をしたのかもう覚えてない。多分、すーちゃんのお母さんが持ってきてくれたジュースを飲んで、一緒に漫画を読んで、他愛もない話をして、そうやって時間が過ぎっていって私は家に帰ったのだろう。
その後もしばらくはすーちゃんと一緒に帰って、話して、時々遊んだ。るぅちゃんについてあの日以降すーちゃんは口にしなかったから、私も聞かなかった。中学生になってからは広い校舎の隅と隅のクラスに引き離されて、最後の年に同じクラスになれたが私たちは属するグループが異なっていた。すーちゃんは比較的派手なグループに属していた。出席番号も遠く、話す機会はほとんどなかった。
だから、突然すーちゃんに話しかけられた時は家に誘われた時以上にびっくりした。
「久しぶりー」久しぶり、と口では言いつつも、すーちゃんはつい昨日も話したかのような気軽さと親しみやすさを纏って私の視界に現れた。
「ひ、久しぶりだね」
「ねーねー、久しぶりに一緒に帰らない? でさ、この後ヒマ? 塾とかあったりしない?」
「ヒマ、だけど」なんだか既視感のあるやり取りだった。
「わーい。よかった。ねぇ、ウチ来てよ。ちょっと話したいことあって」
「本当に小学生に戻ったみたーい」
「そうだね」
私は久しぶりに入るすーちゃんの部屋で緊張していた。小学生の頃とまた雰囲気が変わっている。机の上にはコスメと参考書が入り混じって置かれていた。
「よかったー。あたし、断られたらどうしようって思ってたの。あなたにしか、頼めないことだから」
「私にしか?」
「うん」すーちゃんはニコニコ笑ってる。なんだか楽しそうだ。「るぅちゃんって覚えてる?」
「るぅちゃん……あ、あの鏡の!」
「そう。実はね、あたし、そろそろあの子とお別れしようと思って」
「お別れ? なんで?」すーちゃんの顔は悲しそうだった。お別れしたいと思っているようには見えなかった。
「割れちゃったの、鏡」
すーちゃんは鏡を取り出した。その小さな鏡の真ん中に大きな亀裂が入っている。大きな亀裂の周りには小さな亀裂も入り始めていた。
「この鏡、元々小さいからこうやって割れちゃうともう綺麗に映んないし、割れた鏡ってなんだか嫌な感じがするでしょ。だからもう捨てようと思って」
「るぅちゃんは!」私は思ったより大きな声が出てしまった。「るぅちゃんはどうなっちゃうの? すーちゃんはこれでいいの?」
「うん、少し寂しいけど、もういいの」
すーちゃんは笑った。少し悲しそうだったけど、笑った。
「でも、このままゴミ箱にポイってするだけだと味気ないし、寂しいから、お別れ会をしようと思って。ただ、そのお別れ会もあたしだけだと寂しいから」
「それで私を呼んだの?」
「うん、るぅちゃんのことを知ってるの、あたしを除いたら一人しかいないからね」
そのあとはすーちゃんからるぅちゃんとの思い出を延々と聞かされ、私は相槌を打つだけの機械として働いた。空がオレンジ色になる頃、すーちゃんは小さめの黒いゴミ袋を取り出すと、泣き出した。捨てなくてもいいんじゃない、と私が止めると泣くのをやめ、「けじめをつける!」と叫んで袋に入れた。黒を選んだのは中が見えて悲しくなるのを防ぐためだったのだろう。これで終わったかと思うとまた泣き出した。もう埒が開かないと思って私はスマホで「鏡 修復」で検索をかけた。なるほど、修理会社があるのか……と考えているとすーちゃんは奇声を上げながら黒いゴミ袋をさらに大きなゴミ袋の中に投げ入れた。「もう! これで終わりにする!」
「ゴミ袋のマトリョーシカでもつくる気?」
私の質問にすーちゃんが笑った。つられて私も笑った。
すーちゃんと私は違う高校に行った。あの後、すーちゃんとは数えるくらいしか話さなかった。けど、あんな最高に面白くて、泣きじゃくるすーちゃんを知っているのは私だけだと思う。るぅちゃんという友達が彼女にいたことを知っているのも私だけ。そう思うたび、少し誇らしくなった。
今頃彼女は元気にしているだろうか、と思った次の日ぐらいにちょうど、町ですーちゃんを見かけた。流行りのシースルーバックというものだろうか。透明でビニル生地のバックを持っている。そのバックの中にある物を見て、私はズッコケそうになった。やけにはっきり見えた。
あの消えかかったイラスト。
あのサイズ。
あの色。
私はすーちゃんに手を振った。るぅちゃんの近況を尋ねようと思う。
友達の友達 @559080kyu
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