深き夜へと朝方に
風鈴はなび
深き夜へと朝方に
ガラガラガラ…と、戸が開く音がした。
廊下の軋む音、窓から見える木陰で涼む小鳥の唄、初夏の香りが頬を撫でる。
「…ただいま帰りました。」
「あぁおかえり、明日から帰省するのだろう?そうならしっかり休んで万全の状態で帰りなさい。」
「はい、2ヶ月間もの休暇を許して下さり誠にありがとうございます。」
「いいのさ、君は頑張ってもらってるし何より家族に会うならできるだけ長い時間居たいだろ?僕のことは気にせずに楽しんでおいで。」
「ありがとうございます。」
そう言うと彼女は頭を下げ、部屋を後にした。
少し無愛想ではあるが家事全般をこなせる優秀なメイドだ。こんな僕に付きっきりでお世話をしてくれる彼女を少しでも労わってやりたいと思う気持ちに嘘は無い。
「さぁて明日からは忙しくなりそうだ」
自分しか居ない屋敷、というのは5年ぶりぐらいだろうか。彼女が来るまでは長らく1人だったものだから…当初はあまり会話をしなかった。
しかし彼女の寡黙さ、誠実さを見て信用に値すると感じたのだ。
…"あの人"ともどこか似ているし。
「屋敷から出るつもりもないし、明日にでも掃除しようかね」
僕以外が立ち入ること禁じている部屋に溜め込んだ洋服やら靴やらを捨てるとしよう。
売れば高いんだろうけど、僕はあまりお金に興味がない。食事や娯楽にお金をかける事もあまりしないタチなんだ。
「明日からこの料理が食べられないと思うと少し寂しいね。」
ザ・日本の食事
焼き魚に味噌汁、白米に漬物。
一見質素に見えるかもしれないが味は一級品である。日本人に生まれたからさらに美味しく感じれているのかもしれないな。
「旦那様…この2ヶ月間の食事ですが、作り置きしておきましょうか?」
「ん?あぁ大丈夫大丈夫、僕だって一応料理ぐらいは出来るから。僕のことは気にしないでいいよ。」
「…わかりました。食材の買い出しは済ませておりますので。」
「うん、ありがとう。」
なんて気の利くメイドなのだろうか。
僕にはもったいないぐらいの使用人だと改めて気付かされる。
「ご馳走様でした。とても美味しかったよ。」
ご飯も食べ終え自室に戻る最中に声がかかる。
「旦那様─────いえ、なんでもありません。失礼いたしました。」
「………」
床の軋む音がやけに鮮明だったのは僕の気のせいだろう。
ガチャリ…
僕は部屋に戻った。
「ん…んぅ…」
朝日が部屋に差し込み僕の布団を照らす。
暖かく優しい光に包まれ身体を起こす。
時刻は午前5時、彼女が発つのは6時と言っていたから間に合ってよかった。
見送りぐらいはしなければ、それが僕のできる彼女への恩返しである。
「おはよう。準備はバッチリかい?」
「おはようございます旦那様。準備はしっかりと済ませておりますのでご安心を。」
「うん、なら良かった。心置き無く休んでおいで、家族との時間は大切だからね」
わざわざあの片田舎からこの屋敷に招いた時から約5年。長いようで短かったなぁ、と子供のような感想が胸の中にある。
「はい……少し早いですがそろそろ出ようと思います。」
そう言うと彼女は立ち上がり荷物の入った少し大きめのトランクケースを持ち玄関に向かう。
「うん、それじゃあ行ってらっしゃい。しっかり休んできなさい。」
コクリと頷き彼女は引き戸に手をかけた時、こちらを振り返り少し溜めてから…
「旦那様もお元気で。──────それでは行ってまいります。」
"あぁやはり彼女は僕にはもったいない人だ"
この瞬間ほどこう感じたことは無い。
ガラガラガラ…
戸が閉まる音がもう僕しかいない屋敷に染みていく。
「さぁ、掃除…の前に、手をつけてない小説でも読もうかな。」
夏の匂いを残した玄関に背を向け、自室へと足を運ぶ。あそこには買った時の状態で埃をかぶった小説が幾つも眠っている。
僕が唯一嗜む趣味と言えるものだ。
「………」
頁をめくる音と夏色の風だけが部屋にある。
ありふれた展開の恋愛小説に時間も忘れて魅入ってしまう。机に積み重ねた小説が本棚に全て戻ったのは水面に月が笑った頃だった。
「…ふふ、月が綺麗だね。」
丑三つ時の月を見上げまるで"あの人"が隣にいた時のように洒落たことを言ってみても、返答は虫の音だけだった。
「ふぅ…掃除は明日でいいや」
寝室で呟く。眠りにつくのは早い方だと自負しているが、今日はまったく眠れない。
きっとあの小説を読んだからだと推測する。
"男と女が結ばれて幸せになる"なんてどこにであるような内容にひどく心を揺さぶられたのだろう…今夜は眠るのにかなり時間を要してしまった。
「ふぁ…ん…」
目を擦り視界を少しばかり鮮明にしてから洗面所に向かう。歯を磨き、顔を洗う。
しっかりと目を覚まし脳を働くようにしてから今日の予定を進める。
「掃除を終わらせてから昼食を取ろう。」
そう呟いて洗面所を後にする。あの部屋は行くことはあっても特段手もつけずに出ることが多い。そのため、埃などの汚れが溜まっているのだ。
「……ふふ」
なんだか気分が上がる、なぜだろうか?
ドアノブに手をかけ、部屋に入る。
案の定埃っぽい。
「…始めようか」
この部屋には様々な物がある。服や靴、カバンに香水…その他にも懐かしいものが山のようにある。
一つ一つ丁寧に埃を払い綺麗にしていく。まるで昔の思い出を掘り起こしていくかのように。
「…これ懐かしいな」
目線の先にはとある香水があった。別に高級品でもなんでもない市販の香水。
…プシュ
手首にかけ顔の近くに持っていく、スモーキーで重厚感のある独特な香りが鼻腔をくすぐる。
「あぁ…これは…」
香水を眺め優しく微笑む。
…その顔は多分悲しさに満ちていたと思う。
これは昔、僕の恋人がつけていた香水であり、あの人は僕の誕生日にこの香水をくれたのだ。
"私とお揃い"なんて鈴が転がるような声で微笑む彼女の姿が脳裏によぎる。
ここにある物は全てあの人のための物だ。
彼女の隣を歩く者として少しでも相応しい人間になれるようにと買い込んだ服や靴。
「結局…全部見せる機会はなかった…」
今となっては必要のないものに囲まれてそんな独り言を零す。
───────まぁどうせ………
「…一通り掃除も終わったからお昼でも食べようかな」
香水と何着かの服を手に取り部屋を後にする。
自室のそれを置き台所へ向かい冷蔵庫を開ける。買い込んでおいてくれた食材を使って、夏らしく冷やし中華を作りそれを食べる。
自分のために料理を作るのは久方ぶりであるもののかなり上手に出来たと思う。
「ご馳走様でした」
お昼を食べ終え自室に向かう、足取りはやけに軽かった。
「はぁ…なんか疲れたな」
まったく寝付けなかったせいもあるだろうが、かなり身体が重く感じる。元々夜更かしなぞあまりする方ではないから余計にそう感じるのだろう。
瞼を閉じて何度か深呼吸をする。
日差しの暖かさと心地よい風、まだ微かに残る香水…僕はあっさりと眠ってしまった。
「…はっ」
起きたのは午前3時、ここまで長い昼寝をしたのは初めてである。
くぁ…と欠伸をしながら背筋を伸ばす。
「夢なんて…いつぶりだろうか」
そう僕は夢を見た。あの人との夢…
僕には似つかわしくないほど可愛らしい人だった。文字や言葉では表せない、そんな素敵な人だった。
「…いっそのこと眠り続けていたかったなぁ」
親の遺産で一生遊んで暮らせるようになり、こんな無駄に広いだけの屋敷を引き継いだ僕にたくさんの女性が擦り寄ってきた。
金、権力、地位…僕と入れば全てが手に入ると思った女性が大勢いた。
でもそんな見え透いた感情を持つ人間と一緒に暮らしたくはないし、なにより1人が好きだった僕にとっては相手がいないというのもそこまで苦ではなかったのだ。
「また逢えるかな…」
僕を愛してくれたあの人はもう僕の隣にはもういない。損得勘定抜きに僕と本気で話してくれて、"月が綺麗だね"なんて僕が言うべきはずのことを太陽にも負けない優しい笑顔で言ってくれたあの人。
「…手紙でも書こうかな?」
そう思い立ちペンを執る。白紙はどんどん埋まっていき、書き終えた手紙は封筒に入れる。
"しっかり届くといいけれど"などと心配混じりに封筒を手に取る。
「………ふぅ」
深い深呼吸をした後に"ある場所"に行くために着替える。鏡の前で服装を整え、香水をつける。
あの人の思い出を身にまとい、最後に履かされたような靴を履き屋敷を後にする。
"いってきます"
空はもう朝を映し出していた。
「さて、花でも買っていくか」
道中、花屋に立ち寄りあの人の好きな花を手に取る。
「カランコエですか?」
「はい、これから逢う人に渡したいと思っていまして…」
「素敵ですね、きっと喜びますよ!」
花屋の店員と少し話した後、カランコエを1輪だけ購入しまた歩き出す。
バス停に座り、次のバスが来るのをじっと待つ
あと少しで─────
「夏でも朝方は涼しいな、もっと早く知っておけば散歩でもしたのに」
つい思ってることが口に出てしまったが、幸い人は全く乗っていなかったためこの独り言が聞かれることはなく、程なくしバスは止まった。
バスの運転手に会釈しバスを降りる。
「…潮風が気持ちいいな」
目的地まであと少し、気持ちが高揚しつい早歩きになってしまうのを堪え、目的地に赴く。
「ここが君の──────」
見晴らしの良い崖にたどり着く。
ここはかつてあの人と来たことのある隠れた名所だ、波の音に潮風の心地良さ…色々な海の良さを楽しめる僕の隠れ家のような場所。
「懐かしいなぁ…」
寂寥感があるものの何故か不思議と安心感もある。まじまじと水平線を見つめる。
太陽は海に沈み、月もまた海へと沈む
「君とここに来た時のこと覚えてる?太陽と月の話をしたんだ…」
「月は太陽が無いと輝けないって君は僕に言ったけどそれは違う。太陽だって月がなければダメなんだ。」
「誰かを照らすために陽は昇る、でも夜は必ずやってくる。月は太陽がない時に太陽と人を支える役目があるんだよ。」
「君は僕の太陽で、僕はそんな君に夜が来た時に君を支えるための月でありたかった。」
長々とあの人に伝えたかったことを伝える。
誰もいないところだし、もし人がいたところで変わらないけれど。
「うん…今行くよ」
花を置き、僕は崖から飛んだのだ。
──────そうあの時君が飛んだように
あぁ、深海という深い夜にいる太陽(きみ)を支えるために月(ぼく)も海に沈むよ。
朝方、月は海に沈んでいった…
─────────────────────
ガラガラガラ…ピシャ…
「ただいま帰りました…旦那様…」
夏も終わり秋の静かさが辺りを包む頃、彼女は帰ってきた。
玄関に置かれた"遺書"と書かれた封筒を手に取りその中の手紙を読む。
「おかえりなさい。これを読む時にはもう僕は屋敷にはいないだろう。僕は恋人の元へと行くことにした、君は気づいていたのだろう?止めないでくれてありがとう。この屋敷は君と君の家族に使って欲しい。遺産は君宛にしてあるから心配しないで。本当に今までありがとう。」
「……こちらこそ今までありがとうございます。"私たち"も心よりあなたに感謝しています。私のことは気にせずゆっくり休んでください。」
「いってらっしゃい…
お姉ちゃん、義兄さん。」
カランコエが腕の中で微笑んだ。
深き夜へと朝方に 風鈴はなび @hosigo_s
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