第65話

 聞き間違いかと思ったが、間違いない。こんこん、こんこん、と店の入り口のドアがずっとノックされている。

 夢喰屋に用事がある者ではない。たとえ私が無事で通常のように営業していたとしても、こんな時間に店を開けたことはない。だから客が来るわけがない。

 リザが訪ねてきたにしても、遅すぎる。


 であれば、誰だ。


 考える間も、ノックは絶えない。


「へえ、とんだ変わり者がいたもんだ。あんたなんかを訪ねてくるなんて。どんなやつだろうね。この世とお別れする前に会わせてやるよ」


 嗤い、ナイトメアが私の中に引っ込んだ。一瓶ぶちまけたような香水に似た臭気もあっという間に消える。何が起こるのか、隠れて愉しむつもりらしい。


 営業時間外の店を訪問してくる者など、面倒事の予感しかない。これ以上の厄介事に巻き込まれたくない。

 しかし、訪問者に興味がないわけではなかった。数日前に死期が近いという噂で町をざわつかせた私をこんな時間に訪ねてくるからには、それなりの理由があるはずだ。

 ロッキングチェアから立ち上がり、ドアへと近づく。


 透視魔法でドアの外をチェックして、私はぎょっとした。


 バケツをひっくり返したような雨の中、それは立っていた。


 顔にべっとり張りつく、乱れた黒髪。

 死んだ魚のようにどろりとした、陰気な目元。

 濡れそぼった痩せぎすの体にまとわりつく、白いワンピース。


 激しい雨が打ちつける石畳に裸足で立っていたのは、あのネネリアだった。彼女の顔を細部まではっきり覚えていたわけではないが、髪が短いバンシーは珍しい。

 人気のない通りで、ネネリアはドアをノックし続けていた。ホラーにもほどがある。

 ネネリアの悪夢は欠片も残さず取り出したが、それで絶対に悪夢を見なくなるわけではない。もちろん私のミスではない。別の何事かが原因で見る悪夢は、防ぎようがないのだ。また悪夢を見たネネリアがうちの店を再訪する可能性はゼロではない。

 人間も魔物も、生きていればたいていの者が様々な悪夢を見る。だからこそ、夢喰屋は商売として成立する。


 それにしてもこいつ、こんな時間に何の用だ。まさかまたナイトメア入りの悪夢を持ってきたんじゃないだろうな。


 一定のリズムを保ってドアをノックし続けるネネリアに、ついそんな視線を向けてしまう。思えばこの時間外の客を取ったのが、全ての始まりだ。だから時間外の客を相手にしたくないのだ。たいていろくなことにならない。

 亡霊のように立ちドアをノックし続けるネネリアに、どう対応すべきか悩む。


 暫し迷ってから、私はドアを開けることにした。


 先日私を脅迫したこの女は、応対しなければ今度こそ泣き叫ぶかもしれない。

 それに、圧倒的な筋力の持ち主だ。その細い体のどこにそんな力があるのかは不明だが、馬鹿力でドアを破壊して侵入しかねない。


 こんな日にドアを壊されるのはごめんだ。


 ドアを開けた私の前で、ネネリアが黒い瞳を大きく見開いた。バンシー特有の隈のような紋様のせいで相変わらず不健康そうな顔に、薄笑いを浮かべる。


「よかった……生きてた」


 雨音にかき消されそうな声で、ネネリアが言った。


「入れ。雨宿りくらいはさせてやろう」


 このままドアを開けていたら、風雨で私まで濡れてしまう。ずぶ濡れのネネリアを、店内へと招き入れた。


 ぺたぺたと濡れた足跡をつけながらネネリアが歩くたび、雫がぼたぼた滴る。見ているこちらが寒気を覚えるような姿だが、本人は気にならないらしい。特に寒がっている様子もなかった。

 それでもこれ以上床を水浸しにされてはかなわないので、いつも風呂上りに使う魔法でネネリアを乾かす。丁寧に乾かしたつもりだが、ネネリアの髪はぼさぼさでまとまらない。別に彼女の髪がどうなっていようとも私に不都合はないので、そのままにした。気になるなら手櫛で整えてくれ。


「それで? こんな時間にどうした。クレームか?」


 私の問いかけに、ネネリアがふるふると首を横に振る。


「あなたが……私のせい、で、死ぬかもって……」


 ああ、町に流れる噂を耳にしたのか。


「もしかして……死なせちゃった、かなって」

「このとおり無事だ。脅されはしたがな」

「ごめん……なさい……」


 一応悪事を働いた自覚はあるらしい。肩を落とすネネリアは、小さすぎる背のせいもあって、まるで怒られた人間の子供のようだった。


「用件はそれだけか?」


 ネネリアがこくりと頷く。こんな嵐の晩に、それだけとは。ご苦労なことだ。


「あの、それじゃ……さよなら」


 呻くように言い、ネネリアが店を出ようとする。人がせっかく乾かしたのに、また土砂降りの中を歩くようだ。魔物なんだから、魔法のひとつでも使って雨をしのげばいいではないか。それともあれか、バンシーにとって雨は水浴びのような扱いなのか。


 ネネリアの小さな背中を見送ろうとして、


「待て」


 私は彼女を呼び止めた。


「バンシーはどんな者の魂でも引きずり出せるのか?」

「え……うん。魔法とか、障害物とか、全部……関係ない……から」


 種族特性。全ての魔物が使える魔法とは違う、特定の種族だけが持つ能力。


 バンシーのその種族特性が私の考えるとおりのものなら、ナイトメアに対抗できる。


「眠っているバクの魂でも、きみの種族特性は有効なのか?」

「前に、やったこと、ある。どんな魂も、命は……平等……」


 バクの魂は特殊だが、問題ないようだ。しかもネネリアはバクの魂を扱ったことがあるのか。私が思っていた以上に経験豊富なバンシーだ。これはいけそうだ。


「ネネリア、時計の見方は知っているか?」

「時計……見ない……。なくても、時間……感じ取れるから……」

「なるほど。それなら今から十分後、ここで私の為に泣いてくれないか」


 ネネリアが息を呑む雰囲気が伝わってきた。


 当然だ。


 ネネリアが私の為に泣けば、私の魂は引きずり出される。


 他者の死期を感じ取る彼女がおとなしく店を出て行こうとしたからには、私は今夜死なない。そんな者に魂を引きずり出してくれと言われて、ネネリアが素直に頷くわけがないのだ。バンシーは心優しい魔物だから、無駄な殺生を好まない。


 だがそれを知った上で、私は頼んでいる。


「今から十分後だ。それまでここで待っていてくれ。頼む」

「でも……」

「構わない。私の為に、泣いてくれ」


 ネネリアにそう伝えると、私は店と家を繋ぐドアを開けた。暗い廊下を歩き、寝室を目指す。耐えがたい匂いが、ナイトメアの煙が私を包んでいるのを教えてくれた。


「坊や、どこへ行くんだい?」

「ここは私の家だ。どこに行くか答える必要はない」


 寝室に入り、クローゼットを開ける。白と黒のツートンカラーのローブを取り出し、マントのように羽織った。ローブの留め具を胸元で留める。


「おいナイトメア。よく聞け。私はバンシーに導かれることにした。貴様に喰われるくらいなら、その方がましだ」


 ローブのフードに手をかける。


「だが貴様にもチャンスをやろう。夢の中で私を捕まえられたのなら、喰らうがいい。もっとも、悪夢を見せるしか能のない貴様にできるとは思えないが」

「……なんだって?」


 私を包んでいた煙が、ぞくりとした冷気を帯びる。今まで私に見せた数々の行動から予想はしていたが、見事なまでに挑発に乗りやすいタイプだ。御しやすくて助かる。


「夢の中でどちらが優位か、世間知らずのクソガキはまだ分かっていないようだね」

「私の夢は、私が誰よりも詳しい。能無しでないというのなら、夢の中で私を捕まえてみせるんだな。できれば、の話だが」

「言ったね、クソガキ」

「若作り、威勢がいいのは口だけではないと証明してみせろ。ついてこい」


 バクのローブのフードを被る。これで私の姿は、本来なら誰にも見えない。

 今回は違う。私の体からナイトメアの煙が出ているせいで、どこにいるかもろばれだ。だがその方が都合がいい。追ってきてくれないと困るのだ。


 クローゼットの中に入り、ドアを閉める。

 暗闇の中で目を閉じ、嗅覚に集中する。

 静かに深く呼吸を続けていたら、その匂いは見つかった。

 果実のような、花のような、淡い匂い。それに混ざる、苦味がある粉っぽい薬に似た匂い。間違いなくこの闇の中に、ナイトメアが作り出した私の悪夢がある。

 この世の全ての夢と繋がる闇に踏み込む。体が溶け込むほど深い夢へ意図的に潜れる場所は、ここしかない。


 夢を渡ろうとした私の足を掴まれるような感覚。ナイトメアが釣れた。


 本来ならありえない、まるで階段を踏み外したかのような一瞬の浮遊感。


 私の体は、闇へと落ちていった。

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