第59話

 ナイトメアの言うとおり、死して一塊の夢になったバクは甘い。見た目は、ふわふわとした金色の綿飴。ほのかに漂うのは、ホットミルクのような優しくて甘い匂い。口にすれば、カスタードのような味が口いっぱいに広がる。


 だが、それを美味いと思ったことはない。


 流行り病で真っ先に倒れたのは祖母だった。病気が蔓延すれば、子供や老人から先に犠牲になる。人間も魔物も同じだ。

 両親は、八歳だった私を罹患しないよう魔術空間に隔離した。ノックをされたときだけドアを開け、置かれた食事を受け取る。絶対にノックなしにドアを開けてはいけない。そう言いつけられた。


 そんな暮らしを続けて、一ヶ月ほど経った頃。

 食事以外の時間に、ドアがノックされた。開けたそこで見たのは、皿に乗った金色の綿飴のようなものと、一枚のメモ書き。


 父の字で綴られたメモ書きで、私はそれが死んだ祖母だと知った。


 魔術空間に皿を持ち込み、一塊の夢になった祖母におそるおそる口をつける。


 このとき初めて、私はバクを喰らった。


 母の作るカスタードプリンに似た味が、ただ悲しかった。


 祖母を喰らったおかげで、私はようやく外の状況を知った。

 この病は人間も魔物も関係なく蔓延していること。

 治療は人間が優先されていること。

 祖母は、最期まで私を案じていてくれたこと。

 記憶の遺産を受け継いだおかげで急激に知恵はついたが、心の成長までは追いつかない。八歳の心しか持たない私にとって、家族の死というものは恐怖でしかなかった。


 次に食事以外でノックがされたのは、半年ほど経った頃だ。ひとりぼっちで九回目の誕生日を迎えた翌日、それはドアの前に置かれていた。


 皿に載った、金色の綿飴のような夢。


 父だった。


 体調を崩せば、誰しも悪夢を見る。特に満足な治療を受けられない魔物は酷い有様だったから、夢喰屋には少しでも苦しみから逃れようと、連日客が押し寄せたらしい。

 そんな状況で父が無事でいられるはずがなく、父は倒れた。

 そしてその結果が、一塊の夢だ。

 父の記憶の遺産を受け継いで更に賢くなった分、私はドアの向こうにいる母が心配でたまらなかった。


 まもなく私が十歳になろうかという頃。それまで一日三回必ず聞こえていたノックが途絶えた。

 ノックが途絶えてから三日。食事が差し入れられない不安よりも、ここにいたら誰も私を見つけてくれないのではないかという恐怖にかられて、私は初めて親の言いつけを破り外に出た。


 家の中は、無人。

 母を見つけたのは、店の中だった。


 ドアが施錠され、窓にはカーテンが引かれた薄暗い店内。


 そこに、母だったものがぽつんと落ちていた。


 父が亡くなった後、母はひとりで夢喰屋を続けたらしい。母はとても優しかったから、自分を頼る者を見捨てるなどできず、危険を承知で店を開けたのだ。もちろん父がそうであったように、母も罹患した。母の容態が急速に悪化し始めた頃、ようやく魔物たちも治療を受けられるほどの体制が整えられた。


 しかし、遅かった。


 一日の仕事を終えて閉店作業を済ませた後、母は力尽きたのだ。

 母の記憶の遺産の最後に刻まれた言葉は、「ごめんなさい」。

 謝るくらいなら、店など閉めて治療の手を待って欲しかった。そうしたら、母は助かったかもしれないのに。


 三人の家族を喰らって世間というものを知った私は、その日から本当にひとりぼっちになった。


 そんな思い出に結び付いている味を、どうして美味いなどと感じられようか。あれ以来私は、カスタードが苦手になった。体が受け付けないのだ。どんなに美味いからと勧められても、絶対に口にしない。

 事情を知らないキールがたまたま買ってきたアップルパイにカスタードが入っていたことがあったが、あのときはその場で吐くという醜態をさらした。

 私が母から受け継いだ記憶の遺産にはカスタードプリンのレシピもあるが、一度も作っていない。


「クソガキ、生きたまま食べるバクはどんな味がするんだろうね。アタシはバクが大好物だけど、生きたまま食べたことはないんだ。だからあんたを食べさせておくれよ。どうせ助からないんだから」


 ナイトメアの言葉は癪に障るが、完全に否定できない。

 他のバクを頼れず、自分でどうにかする方法も思いつかないのだ。「どうせ助からない」というこいつの言葉は、現実味を帯びている。


 体が沈んでいくかのような眠気に引きずり込まれそうになり、片手を動かす。ようやく血が止まった親指の傷をもう一度思い切り噛むと、鋭い痛みが脳内を駆け巡った。痛くないわけがない。だがそのおかげで、眠気が吹き飛ぶ。濡れた唇を舐めると鉄さびのような味がした。

 ずきずき疼く傷に治癒魔法をかける。急速に治せる代わりに、少し痒い。

 ほんの少し魔力を消費しただけなのに、ため息をついてしまうほどの疲労があった。


 だがこうしてぼんやり過ごしていても仕方ない。臙脂色の煙を押しのけるようにして、ロッキングチェアから立ち上がる。

 店は休みだが、やるべきことは残っている。私はキッチンへと向かった。日の出には早すぎるが、寝直すわけにもいかない。朝食を済ませてしまおう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る