第53話

 翌日は再び朝からの雨。


 マルセルのところに顔を出したおかげか、午前中は客が二人来た。どちらも人間の客だ。恐々店に入ってきたおかげで緊張がなかなかほぐれず、悪夢を取り出すのに少々手間取った。

 ちなみに午後の客はゼロ。皆バンシーを避けている。


 噂の原因であるバンシーを待ちながら、ロッキングチェアに揺られて過ごした。

 長い午睡にはちょうどいいが、毎日これではさすがに困る。人里での生活には金が欠かせない。野山の自給自足は耐え難いものだ。ゆえに、私には安定した収入が必要だ。


 第一、私はこのイリュリアで生まれ育った。今更野生に戻れといわれても無理だ。

 生活がかかっているからには、問題のバンシーをなんとかしなければならない。


 今日もバンシーは来るだろう。待っている間、たっぷり時間をかけて閉店作業をする。昨日領主が来たせいで念入りに掃除をした後だから、ごみなんてほとんどない。それでも隅々まで掃除をした。

 いよいよやることがなくなり、仕方なくランプを消す。


 そのとき、あのノックが聞こえた。


 来た。


 入り口のドアに鍵はかけていない。だが今までのように、向こうから入ってくる様子はない。あくまでも私が開けるのを待つつもりらしい。


 そっとドアに近づき、透視魔法で向こう側を確認する。


 細い雨が降る中、ひとりのバンシーの女がドアをノックしていた。

 他者の未来を視て、死を感じ取るとその者の為に嘆き悲しみ、その魂を冥府へと導く魔物バンシー。そんな魔物である女が、沈黙を保ったままドアをノックし続けている。


 彼女が泣かないからには私は死なないのだが、その容姿はあまりにも目立つ。雨で人通りが少ないとはいえ、これは噂になっても仕方ない。


 バンシーは私と同じで、人型の魔物だ。しかし死とともにある彼女たちの見た目は、お世辞にも人間受けするとは言い難い。

 足首あたりまで届きそうな乱れた長い黒髪。その間から覗く青白い顔。目の下にある隈のような青黒い紋様が、余計に不健康そうな印象を作る。バンシーは男女ともにシンプルな白い服を好む。目前の女のバンシーは、袖なしの白いワンピースを着ていた。ワンピースから伸びる四肢は、折れてしまいそうなほど細い。


 極めつけは、いかなる天気でも変わらない裸足というこだわり。


 死期が近い者を求めてさすらうバンシーは、常に地脈を感じ取り対象者の位置を確認する為に裸足なのだ。しかし不思議なもので、靴を履かないというだけで人間はさげすむ。


 死に関する種族特性に加えてこういった見た目のせいもあり、バンシーは人間から疎まれていた。


 何の用かは知らないが、とりあえず私の魂を求めているわけではない。もしその気があるなら、このバンシーの女はとっくの昔に泣いている。

 ならば、追い返すだけだ。バンシーだって生きているからには、家を間違えたりもすると思う。


 ドアを開けると、バンシーの女と目が合った。


 この種族は概して背が低い。彼女の背は小柄なクーアよりも低かった。頭の高さは、私の腹あたりだ。人間でいえば、子供のような背丈。そんな彼女が、不健康そうな顔で私を見上げている。


「あ……」


 薄く開いた彼女の口から、まるで絞り出すような声が漏れる。

 バンシーというと、黙っているか泣き叫んでいるかという両極端な印象だ。おそらく泣き叫ばないようにすると、こんな声になると思われる。バンシー同士の普段の会話はどうしているのか、少し気になった。まさか叫び合っているわけではなかろう。仮にそうだとしたら、お互いやかましくて仕方ない。


「あなた、が……バクの、エルクラートさん……です、か?」

「そうだ」


 クーアのようにいきなり愛称で呼び捨てにしないだけ、このバンシーの女は常識がある。人里に住まうバンシーなどいないが、様々な場所を訪ね歩くからには、ある程度そういった常識を知っているのかもしれない。


「何の用だ?」

「私の、悪夢を……」


 バンシーの女は、訪問先を間違えているわけではなかった。

 夢喰屋に用事があったのか。自分が人間にあまりよく思われないと理解してるから、こうして客がいなくなる閉店時間後を待っていたようだ。


 しかしそんな気遣いをされるくらいなら、営業時間に来てもらった方がずっと助かる。種族を理由に悪夢を喰らうかどうかを決めはしない。私の店のルールさえ守るのならば、客として扱う。

 だから、営業時間外にやってきたこのバンシーを客として扱うつもりはなかった。


「残念だが、今日は店じまいだ。用があるのならば、明日の営業時間中にしてくれ」


 そう言ってドアを閉めようとしたとき、バンシーの女が両手でドアの縁を掴んだ。見た目こそやせ細った不健康そうな人間の子供だが、外見に似合わず力が強い。


 というか、強すぎる。


 運動が嫌いな私でも、男であるからにはそこそこ筋力がある。

 しかし、バンシーの女の力はそれを超えていた。本気で力を込めるものの、ドアはびくともしない。それどころか、徐々に開かれていく。そんな怪力にもかかわらず表情は一切変わらないのだから、さすがの私でも気味が悪くなった。


「私の名前、ネネリア。私の悪夢を……食べて、ください」


 地の底を這いずるような声で、ネネリアが訴える。


「聞いたんです……。あなたが、悪夢を……根こそぎ食べてくれる……バクだって」

「たしかにそうだが、きみに合わせて営業時間外に仕事をしなければならないという理由がない。その手を離せ」

「食べて、くれないなら……ここで泣きます……」


 なんと。


 バクという無害でおとなしい魔物を、このバンシーのネネリアは脅すのか。


 バンシーが泣けば目立つだけではなく、私は魂を引きずり出されて死ぬ。


 つまり私は今、命の危機にあった。


 いい勉強になった。バンシーが訪ねてきても、絶対にドアを開けてはいけない。今まで善良な魔物だと思っていたのに、まさかこんな目に遭うとは。知っていたら、絶対にドアを開けなかった。

 こちらも魔法で応戦してもいいが、そうすればネネリアは宣言どおり盛大に泣き叫ぶ。耳を塞いだところで無意味だ。


 私に拒否権はない。


「悪夢を喰らって欲しいというのは分かったが、そもそも金は持っているのか。きみのような魔物が金を稼げるとは思わないが」


 命の危機だが、だからといって無報酬で悪夢を喰らってやるほど私はお人よしではない。人里で仕事などできるはずもないネネリアを断るにはいい口実だ。


 だが、ネネリアも引き下がらなかった。


「お金の代わり、あります。私の……髪を、あなたに」


 乱れた長い髪から覗くネネリアの黒い目は、真剣そのものだ。


 バンシーの髪は、単なる体毛ではない。風に含まれる様々な変化を感じ取る、高性能の猫のヒゲのような感覚器だ。その髪の毛は、バンシーそのものを疎ましく思う人間でも欲しがる。

 バンシーの髪は、マジックコンパスというレアな魔道具の材料なのだ。周囲の天候や風向きの変化、外敵の危険などを察知できるその魔道具は、特に船乗りなら喉から手が出るほど欲しがる。それさえあれば、海の魔女ことセイレーンの接近をいち早く知り、遭難という最悪の事態を回避できるからだ。


 要するに、バンシーの髪は非常に高く売れる。


「髪を、あげるから」


 ドアをぎりぎりとこじ開けながら、ネネリアが私を見る。どうしても引き下がってくれる気はないようだ。

 領主からだけは巻き上げるが、私は金の亡者ではない。もちろん種族を理由に差別するほど、性格が歪んでいるわけでもない。私の命を脅かす相手が対価として差し出せるものを準備しているからには、もう断りようがなかった。


 そろそろドアノブを掴んでいる手がしびれてきた。このままでは力負けして、店内に押し入られてしまう。先ほどから道行く人々の視線も痛い。


「分かった分かった。分かったから、その手を離せ。中に入れてやる」


 ネネリアのいいなりになるのは癪だが、こうなればさっさと済ませて帰らせるのがいい。そうすれば私は命を取られることもないし、ネネリアがうちの店の周囲をうろつかなくなるから、私の死期が近いなどという馬鹿げた噂も払拭できる。

 ネネリアを騙すつもりはない。やっとドアから手を離してくれた彼女を、掃除が済んだ店内へと通す。既にカーテンを閉めてランプも消してしまった室内は薄暗かったが、あらためて準備するのも面倒でそのままにした。


 ぺたぺたと湿った足音を伴い、ネネリアが入ってくる。これでとりあえず、表通りを行く人々の好奇の目に晒されるのは避けられた。あとはさっさと終わらせて、店から追い出すだけだ。

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