第51話
そうやってのんびり過ごして、どれほど経っただろうか。
若干小腹が空いてきたなと思った頃、店の前に馬車が停まる気配があった。
もちろん表通りなのだから馬車くらい通るが、それが店の前で停まったとなれば、面倒くさい予感しかしない。この町のどこに行くにもわざわざ馬車を使うやつなんてあいつだけだ。
ドアベルが鳴り、来客を報せる。心底嫌だが、相手をしないわけにもいかない。私は座り心地のいい椅子から立ち上がった。
「いい加減屋敷に来てくれないと困るのだがね」
中肉中背、仕立てのいい服に、尊大な物言い。後ろに撫でつけた明るい茶髪。
「これはこれは領主様。ようこそ」
交易と漁業が盛んなイリュリアの統治者、ロディ・ロンベルクその人だ。
歩み寄れば、領主は私に札束を押し付けてきた。金額は確認しない。厚みからして、いつも私が指定する金額で合っている。
もちろん領主様特別割り増し料金だ。通常料金の五倍は取っている。他の客にするよりも丁寧に取り出すと言ったら、ほいほい払うようになった。
迷惑料のようなものだ。特段悪いとも思わない。嫌なら他の夢喰屋に行けばいいだけだが、それをしないのも知っている。
このおっさんは今日も服に着られているが、それでも同じ仕立て屋の服を着続けるのをやめない。
デザインが彼好みだからではない。
町で一番の腕前である仕立て屋の服だからだ。
あの店ならば、このおっさんに似合う服などいくらでも作れる。それでも絶妙にポイントを外している服が、仕立て屋の抵抗心を感じさせた。
このおっさんは、身の周りのものはなんでもイリュリアにおける最上のものでなければ気が済まないのだ。
食事も、服も、夢喰屋も。
彼にとって重要なのは得られる結果ではない。
実力者と噂される者を使役して悦に入る。それこそが重要であり、金を使う理由。そういう人物だ。
要求を頑なに拒否したせいでこの町を追われた者も少なくない。特に魔物に対しては、それが顕著だ。人間と同じだけ税を納めさせているくせに、完全に魔物を見下している。
気に入らない相手ではあるものの、このおっさんの機嫌を損ねてしまえば町には住めない。自分のネムノキを守るには、相手をするしかないのだ。不愉快極まりない。『領主』でなければ追い返しているところだ。ゆえに、割り増し料金で対応しても罪悪感などなかった。
そんな私の腹の中など考えもしないおっさん領主は、ちょっと肌が荒れている顔に心底迷惑そうな表情を浮かべた。
「エルクラート、私は忙しいのだ」
「今日もご自分の足で歩いてこられましたね。お元気そうで何よりです」
私の言葉に、領主がふんと鼻を鳴らす。まあこいつが歩いたのは、店の前につけた馬車から店内までだが。
人としては果てしなく気にいらないものの一応統治者である領主に、ロッキングチェアを勧める。我が物顔の領主がどっかり腰を下ろすと、椅子は苦しそうにぎいと呻いた。
すまんな、椅子。今暫く耐えてくれ。
さっさと悪夢を取り出して、帰らせよう。
「念の為お伺いしますが、今回も犯罪に関するものではありませんね?」
「当たり前だ。つまらんことを確認していないでさっさとやってくれ」
こういう態度が余計に嫌なのだ。なぜ素直に「はい」もしくは「いいえ」で答ええられないのだ。その口を二度と開けぬよう魔法で縫い付けてやりたいが、庭のネムノキの為にこらえる。
「では、目を閉じて。喰らって欲しい悪夢を思い出して。ゆっくり、ひとつずつ、明確に」
静かになった領主の胸元に右手をかざし、反時計周りになでるようにくるくると動かす。
悪夢はすぐにもやっと出てきた。黒というよりは、灰色に近い煙。わざわざうちにこだわるほどでもない、バクなら誰でも簡単に取り出せる小さな悪夢だ。いつもこうである。こんなに悩みがない者も珍しい。
ごく少量の悪夢は見る間に凝縮すると、一口大のチーズもどきになった。手で受け止めるが、食べたくない。ちょっとの間でいいからその存在を忘れたくて、すぐに棚の皿に放り投げた。
本音を言うと叩き起こして店から追い出したかったが、仕方ないので領主の目覚めを待つ。
ごく少量の悪夢を取り出された領主は、すぐに目覚めた。たったあれっぽっちの悪夢しか持っていなかったくせに、特大の悪夢を取り出された者のように晴れ晴れとした表情で立ち上がる。
「やはりいい腕だ。全身の疲れが抜ける。おまえがいなくなると困るからな。これからも頼むぞ」
「このイリュリアで営業できるのも、ひとえに領主様のご愛顧とご支援によるものです。深く感謝いたします」
夢喰屋どころかものの良し悪しなどろくに分からぬくせに、よく言うものだ。慇懃無礼に頭を垂れてやれば、領主は満足そうに頷いて店を出ていった。
用が済んだのだから領主が戻ってくることなどまずないが、念の為馬車が遠ざかるのを待ってから窓を開けて掃除を始める。雨が降っていようと構わない。あんなやつが残したものは塵ひとつ許せなくて、入念に掃除をした。
私の店で好きにしていいのは私だけだ。ここは私の巣だ。テリトリーだ。表面上を取り繕える程度には理性があっても、本能が拒絶する。侵入者の痕跡が気持ち悪くてどうしようもなかった。
一時間ほどかけて掃除を終え、窓を閉める。ようやく私の巣に戻った店内で大きく息をついた。掃除の為に出し惜しみせず魔法を使い続けたおかげで、腹の虫が鳴く。少し早いが昼食にしよう。棚から出した「休憩中」の看板を、店のドアの外側にかける。
食べたくないものの食べなければいけない一口大のチーズもどきが載った皿を持つと、私は家のキッチンへと向かった。
キッチンに置いていた他の悪夢の状態を見て、昼食に使う分を決める。
最近客が少なかったので、急いで食べるほどのものはなかった。それでも余裕を持って減らすに越したことはないので、柔らかいものを二つばかり選ぶ。さっさと始末してしまいたい領主の悪夢と一緒に、思い切り細かく刻んだ。これだけ刻んで混ぜてしまえば、どれが領主のチーズもどきか分からない。
その流れで、クルミもいくつか砕く。粉々になっていく様を見ていたら、なんだか胸がすうっとした。
気の済むまでチーズとクルミを切り刻んでから、キッチンの窓辺に置いている鉢植えのバジルを三枚ちぎる。
キッチンに戻り、冷却魔術がかかっている食糧保存庫からイチゴとキウイを二つ取り出し、一口大に切る。その上に、刻んだチーズとクルミ、それからバジルを散らして、少し味のアクセントが少ないなと感じた。
そうだ。たしかまだ生ハムが残っていた。
もう一度食料保存を開けて小さな原木を取り出し、二枚ほど切り取って、手でちぎりながらサラダにかけた。
ボウルでオリーブオイルや塩コショウ、ワインビネガーに蜂蜜を混ぜ、それをサラダに回しかける。最後にレモンをひとかけ絞れば、春の悪夢のサラダが完成だ。
空腹ではあるが、領主の悪夢が混ざっているとなると食欲が湧かない。どうせ腹が空けば、悪夢クッキーがある。あれを食べきらなければいけないから、昼食はこれくらいがちょうどよかった。
ひとりきりのテーブルで、悪夢サラダにフォークを突き立てる。窓の外から聞こえる静かな雨音が心地いい。
行儀が悪いとは思ったが、テーブルの端に積んでいた本を一冊開いた。最近買った旅行記だ。海の向こうの国について書かれたそれを読みながら、サラダを食べ進める。果物の甘味と生ハムの塩気が絡み合うサラダは、もちろんチーズもどきをたっぷりかけているから食べれば脳裏を様々な悪夢がよぎる。なるべくそれに意識を持っていかれないように、本の文字を追った。
旅行記で最も楽しいのは、食文化に関する記述だ。どんなものよりも興味をそそられる。未知の味を想像するのが好きだった。まあ、今は食事中なので何を読んでもサラダの味になるのだが。栞を挟んでいた部分が食文化のページでなくてよかった。
食後は居間のソファで読書の続きを楽しみ、ついでに午睡をとる。
店に戻ったのは、午後二時。だいたいいつもどおりだ。客が来なければ、仕事は悪夢クッキーを食べるくらいしかない。
クッキーは美味いには美味いのだが、さすがに飽きてきた。人間の悪夢が好きなバクなら喜ぶところだが、私のお気に入りは猫の悪夢だ。うちにある人間の悪夢を食べたいというバクがいたら譲ってもいい程度には飽きていた。
それでもなんとか店に持ち出した分を全て食べ終え、ロッキングチェアで腹を休める。
それにしても客が来ない。今日来たのは領主だけじゃないか?
満腹で椅子に揺られていたら、いつの間にか眠っていた。うたた寝にしては深すぎる眠りにはっとして時計を確認すると、時刻は午後五時。客が来る気配はさっぱりだ。
もう今日は閉店しよう。売上は領主からたっぷり巻き上げた。別に店じまいしても困らない。
入り口を施錠し、カーテンを閉めようと窓辺に立つ。
外を見ると、雨が止んでいた。
そうだ。今夜は金の小鹿亭に行こう。タマネギがとろとろに溶けた甘味とコクのあるオニオンスープが恋しい。チーズもどきのない食事がしたかった。
万が一の事態があってはいけなので、キッチンに寄って残っている悪夢の状態を確認する。大丈夫だ。今日食べなければいけない分は全て食べた。自由だ。
家の裏口から出て、繁華街を目指す。
バクはネムノキのそばでのんびり過ごすのが好きな魔物だが、たまには外食もする。食事は生きる上での一番の娯楽だ。美味いものを食べたいと思わぬ者がいるだろうか。
少なくとも私は、どうせ食べるのなら美味いものが食べたい。
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