第50話
雨、雨、雨。
そろそろ本当にキノコが生えそうだ。
私ではなく、店の建物に。
もしかしたら外側にはもう生えているかもしれない。雨続きで出ていない庭に見たことのない珍妙なキノコが生えていたらどうしよう。ネムノキに生えていたら最悪だ。
雨続きなのに、またしても食料が残り少なくなってきた。食べれば減るが道理なのでそれはいいのだが、雨の中買い物に行きたくない。客が減り続けているから、空いた時間で晴れ間を見て市場に行こうとは思うものの、なかなか止んでくれない。
私が魔法で雨を防ぎながら買い物したところで「魔物はいいわねえ、濡れなくて」なんて私に嫌味を言ってくるような者はいないが、他の魔物が言われているのを見るのはいい気がしない。雨の日に出歩きたくない理由のひとつがそれだった。
「魔物が魔法で楽をしている」と妬む人間というのは少なからず存在する。
そんなに羨ましいのなら魔道具を買えばいいじゃないか。
魔道具は製作者の魔物が魔力を込めるので、その魔力が空にならないかぎりは人間が使っても効果を発揮する。
粉末にした人魚の鱗をまぶした糸で作る外套は、弱い雨粒程度なら使用者の周囲に薄い膜が張っているように弾き返す。魔道具の製作販売を生業とする魔物もこの町にはいるのだから、そんなに魔法が羨ましいのなら買えばいいのだ。材料が必要ならば浜辺を丁寧に探せばいい。人魚漁は法律で禁止されているが、浜辺に流れ着く彼らの鱗を拾うのは禁止されていない。
ああもう、天気が悪いと余計なことを考えてしまう。
なんだかくさくさした気分で店内の掃除を済ませる。花瓶の水を交換してカーテンを開け、入り口の鍵を外した。
最近の流れからするに、開店してすぐに客は来ない。そう思って昨晩焼いた悪夢クッキーをぼりぼり食べていたら、さっそくドアをノックする者がいた。
郵便屋だ。
礼を言って、厚く膨れた封筒を受け取る。裏面の差出人は、生き様も文字も自由過ぎるキールだ。
悪夢クッキーをつまみながら封を開けていたら、またしてもノックが響いた。なんだ、今日は随分訪問者が多いな。封筒を棚に置き、ドアに向き直る。
乱暴なドアベルの音を響かせてずかずか踏み入ってきたのは、二人連れの衛兵だった。鎧の上に羽織った外套の雫が、ぼたぼたと床に水たまりを作っていく。
背丈も胴回りもでかいのがひとりと、マッチ棒みたいにひょろりとしたのがひとり。年末の夢屋騒ぎのときうちに来た無能ブラザーズだった。
マッチ棒みたいな衛兵を見ると、少しばかり不安になる。こいつ、なにかあったら本当に私を助けてくれるんだろうか。見た目だけでいえば私より弱そうだ。
口を開いたのは、その細い衛兵だった。
「夢喰屋、生きていたか。領主様がお呼びだ。来てもらおう」
いきなり入ってきて乱暴な物言い。私が何をやらかしたかは知らないが、あまりにも無礼な態度にかちんときた。私は領主の私物ではない。税を納めている住人だ。人間と同じに扱え。
「呼び出すからにはそれなりの用だろうな?」
腕を組み、目をすうっと細める。バクの瞳は、表情次第では相手に恐怖を与えられる。私の金色の瞳に、細い衛兵が怯むのが分かった。こいつ本当に衛兵か? ちょっと圧をかけただけだぞ。頼りにならないにもほどがある。
「用件を言え、用件を」
本当なら今すぐにでも追い出したいところだが、一応訊いてみた。
私の前で、細い衛兵がおろおろとでかい衛兵を見上げた。こいつ弱っちい。どこからどう見ても弱っちい。多分その気になれば私でも倒せる。
さすがにでかい方は、うろたえはしなかった。その見た目にふさわしい態度のでかさで口を開く。
「夢喰屋としての仕事だ。来い」
私は衛兵たちから視線を外した。
相手にするだけ時間の無駄だ。
棚に置いていた皿から、悪夢クッキーをひとつつまむ。なんだ、いつもと同じ話か。飽きるほど繰り返したやりとりにげんなりした。
「その領主様に伝えてくれないか。私の店に訪問サービスはない。用があるのならそちらから来てくれ、と」
全ての客に対して、私はそうしている。
「それとも領主様は自分で歩けない病人か? それなら別のバクを紹介してやろう」
なんでもそうだが世の中には変わり者がいるもので、バクも例外ではない。だいたいがネムノキを植えた自宅に店を構えているが、わざわざ客先に出向く夢喰屋もいるのだ。自分で出歩けない病人相手の場合、私はそういったバクを紹介している。
一度特例を認めてしまえばきりがない。だから私は、店から離れない。どの夢喰屋も、自分のルールに従って商売をしている。
クッキーを口に放り込み、厚みのある封筒を手にする。こんなに厚くなるほどの手紙とは、いったいキールは何を書いて送ってきたというのか。キールの文字は自由過ぎて、いつも名前以外は何を書いているかよく分からない。かろうじて便箋の上下の判別がつく程度だ。だからあいつの手紙を読み解くには、相当頭を使う。
取り出した便箋を開こうとして、視線を感じた。横目で見れば、まだでかい衛兵がこちらを見ている。
「なんだ、まだなにか言い足りないのか? 私は忙しいんだ。他にも用があるのならさっさと言ってくれ」
先ほどよりももう少しだけ瞳に力を込めてみる。でかい図体がたじろいだ。
「貴様の返事はそのとおり伝えさせてもらうからな。後悔するなよ」
唾の代わりとでもいうように安っぽい捨て台詞を吐くと、衛兵たちは店を出ていった。びしょびしょになった床を魔法で掃除して、ため息をつく。
ああもう、朝一でやる気がなくなった。手紙を持ったまま、ロッキングチェアにもたれる。
哀れな私を慰めるように、椅子はゆらゆらと優しく揺れた。暫くその揺れに身を任せ、心を落ち着ける。
ようやくため息が出なくなったところで、私は手にしていた手紙を開いた。
分厚い便箋の一枚目は、クーアからだった。ざっと見たところ、この分厚い手紙の半分はクーアのようだ。相変わらずのころんとした丸い字は、がさつなクーアらしからぬ雰囲気を醸していてちょっと笑えた。あのクーアのことだからダイナミックな文字を書くのかと思ったが、そうでもないのだ。このギャップを可愛いと感じてしまうのだから、心とは不思議なものだ。
手紙の最初には、私がクーアに譲った本を読み終えたと書かれていた。読者の心持を移す不思議な本の最初の感想は、「元気が出た」だ。なるほど、クーアの調子はいいらしい。
手紙の続きには、キールとの生活についてあれこれと記されていた。
曰く、キールは朝から晩まで喋っているだとか、新曲ができたとか、名前も知らないぷにぷに柔らかくて真っ赤な実を二人で食べたとか。
おしゃべりキールの吟遊詩人としての腕前も、旅人としての危機管理能力も、私は評価している。あいつは一言で言えば『凄いやつ』だ。
だがよく知りもしないものをクーアに食べさせないで欲しい。そのへんにあるものをほいほい口に運ぶ悪癖がついたらどうしてくれるのだ。
とりあえず二人の関係は良好なようだ。それだけはよかった。
幾枚も綴られたクーアの手紙は、どれも文章が生き生きとしている。手を伸ばしても届くわけがない理想を求めていた頃とは大違いだ。しっかりと己の足で立ち、見聞を広めている様子が窺えた。
やはり旅に出して正解だったようだ。
もちろん旅はまだ続くだろうから、クーアはこれから先辛い目にも遭うし、見たくない現実を目の当たりにする。それでも、今の彼女なら乗り超えていけるのではないか。そう安心させてくれる手紙だった。
大量の手紙の残り半分は、キールからのものだ。
さっと目を通してみたが、やはり独特すぎる文字のせいで内容が頭に入ってこない。よくこの文字で困らないものだ。旅暮らしのくせに、宿帳のサインはどうしているのか。
ああそうか。あまりにも個性的なサインだから、逆に他の客との区別がつくのか。
キールは筆まめな方ではないから、宿帳のサインさえできれば旅暮らしでも困りはしない。
近況はクーアの手紙でよく分かったので、キールの手紙は見なかったことにした。
封筒に戻した手紙を膝の上に載せ、ゆるゆるとうたた寝を楽しむ。来客があればドアベルが私を起こすから、問題ない。
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