第49話
奇妙な出来事は一度かぎりにして欲しい。相手にするのが面倒とか、そういう話ではない。気持ち悪いのだ。
翌日も、その翌日も、更にそのまた翌日も、閉店後に入り口のドアをノックされた。長雨と同じで、ずっと続いている。
リザではない。配達があるときは、営業時間中に来てくれる。他の者も同じだ。そして店にいなければ、裏にある家へと回ってくれる。だからこのノックの主は、私の知らない誰かさんである。
表通りにある店にもかかわらず、衛兵は来ない。ということは、ノックの主は一目で犯罪者と分かるような者でもない。まあ犯罪者も馬鹿ではないから、真夜中でもないのに分かりやすい恰好をするわけがないが。
タイミングを見計らっているかのように、連日閉店後に響くノック。
怪奇現象以外の何物でもなかった。
ああ嫌だ。こちらはか弱いバクがひとりきりなのだ。何が目的かは知らないが、いい加減にして欲しい。こんなおとなしい魔物を震え上がらせて、何が面白いのだ。
透視魔法で相手を確認するという手もあるが、世の中には見てはいけないものもある。目立つ立地の店にもかかわらず連日怪奇現象が続くからには、そういった可能性だってあるのだ。
見たくない。
関わりたくない。
百歩譲って、怪奇現象でなかったとしよう。人目をはばかるように訪ねてくる時点で、厄介事の匂いがぷんぷんしている。そんな輩を相手にする為に、店を開けたくない。
毎日そんな謎の現象に遭遇していたので、正直げんなりしていた。
ちょうど悪夢以外の食料が尽きかけていたから、私はその日の午後は店を臨時休業にした。曇天ではあるが、雨雲は持ちこたえている。出かけるにはちょうどいいタイミングだ。
表通りに面した店の入り口からは出ない。店の裏口から出発する。私の店の平均的な閉店時間と比べると格段に早い時間帯だが、念の為だ。閉店時間にばらつきがあるのに、あのノックは必ず閉店後に響く。どこかで見張られている可能性を考えた。身の安全が第一だ。
雨の晴れ間を縫って向かった市場は、なかなかに混んでいる。
人間は雨でも構わず出歩いているが、多くの魔物は違う。天気の悪い日は、なるべく自分の巣でおとなしくしている。だから必然的に買い出しのタイミングが被り、市場は混雑していた。
別に慣れた光景なので、嫌だとは思わない。雨の日に無理をして出かけるよりましだ。それに、人間の悪夢に合いそうなワインも手に入れた。これならチーズもどきが続いている夕食も、少しは楽しくなる。
上機嫌で歩いていて、私を取り巻く空気がおかしいと気づいた。
何やらあちこちから視線を感じる。見回しても、露骨に怪しい者は見当たらない。尾行されているわけではなかった。
私自身、人目を惹くような奇抜な外見をしているわけでもない。バクなんてどこにでもいる。たしかに人間とは肌や髪の色が違うが、今更珍しがられるようなものでもない。夢喰屋をしているからには、どこに出ても恥ずかしくない服装だってしている。それなのに、視線を感じて仕方ない。
店に飾る花を買おうとなじみの花屋に行ったら、奇妙な顔をされた。怪訝そうというか、どこか憐れんでいるような、なんともいえない顔だ。
「私の顔になにかついているか?」
「いえ、なんでもないです。気にしないでください」
花屋の看板娘アイラは気まずそうに笑うと、オレンジのバラと白いコスモスを焦ったように包んでくれた。
そんな顔するくらいなら、理由を教えて欲しい。アイラを問い詰めようと思ったものの、会話を避けたいという雰囲気がこれでもかと漂っていたからやめた。
なにか噂になっているのなら、金の小鹿亭に行けば分かる。酒場は町の噂が集まる。そしてマルセルは、噂話が大好きだ。
帰宅し、買い物を片づける前に洗面所で自分の顔を確認する。なんともない。クーアが「綺麗」と評したいつもの私の顔だ。じろじろ見られる要素などどこにもなかった。
買い物を片づけ終えて、金の小鹿亭が開店する時間までを利用してクッキーを焼く。もちろん生地にはチーズもどきを混ぜているし、成形した生地の上にもチーズもどきを散らした。
少し塩気のある香ばしい匂いがキッチンに広がる。悪夢クッキーを焼くのは、忙しいときくらいだ。手が空いたときはとにかく食べていなければいけないほどの量になるので、こうしてつまみやすいように調理する。我が家に伝わるレシピだった。
焼き上がりを待つ間に読書でもと思い愛読書を手に取ったが、数ページ読んだだけでやめる。この本は、読者の心持をまるで鏡のように映す。そんな文章を追えば追うほど心が重く沈んでいくように感じられて、なんだか疲れた。
他の本を手に取る気も起きない。もやもやとした気持ちを抱えたまま、悪夢クッキーが焼き上がるのを待った。
なぜ奇妙なノックは続くのか。
市場での視線や、アイラの気まずさはなぜか。
なにもしていないと、そんな疑問が頭の中をぐるぐる回って仕方ない。
だらだらするのは嫌いではないのだが、今このときはなにかをしていたかった。
再び小麦粉やバターといった材料を計り、追加の悪夢クッキーを作る。菓子作りは普段の料理とはまた違って集中できるから、考え事をせずに時間を潰すのにはちょうどよかった。
少し作り過ぎたかなというくらいの量を焼き終えて、室内が薄暗いと気づく。何時かと時計を見れば、まだ午後三時半。窓から外を見ると、大粒の雨が降っていた。
魔法で雨を防ぐのは簡単だが、こんなにも天気が崩れると出かける気が失せる。金の小鹿亭行きは延期だ。既に口があのオニオンスープの味を思い出してしまって食べる気満々ではあるが、それよりも巣にこもっていたいという気持ちが勝った。
その後も雨は降り続き、数日が過ぎた。
客の悪夢を取り出し、合間に悪夢クッキーを食べ……という何ら変わりない生活のはずなのに、なにかおかしい。相変わらずの空模様だというのに、私はのんびりロッキンチェアに腰かけて悪夢クッキーをぼりぼり食べている。
客が、減っていないか?
この時期はいつも雨が続くから客入りは多いはずなのに、なんだこの暇さ加減は。すっかり普段の調子だ。おかしい。もちろん暇な方が好きなのだが、多忙なはずの時期にこうも暇というのは気味が悪い。
私の店は料金をそれなりのものに設定しているが、決してぼったくってなどいない。値段に見合うサービスをきちんと提供している。私に夢を喰らわれて文句を言ったのは、クーアだけだ。
たしかに私はある程度客を選びはするものの、それはいつものことだから今更客足が遠のくような原因にはならないだろう。もしもそれがこの奇妙な暇の原因だとしたら、もっと以前から閑古鳥が鳴いている。
市場に行って以来、外出はしていない。だから私がどこかで問題行動をしたという可能性は皆無だ。
なにも身に覚えがないのだが、確実に客が減っていた。
そんな気味の悪い日々でも、あのノックは響く。
閉店時間の変動など関係なく、必ず閉店後に。私が店の掃除を終えて家に引っ込もうかという頃に、何者かがドアをノックするのだ。
客は減り続けていたが、だからといってこんな妙なやつを相手にしたくない。
そのうち私は店の掃除を朝に回して、閉店すると早々に家へと引っ込むようになった。
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