第46話

「あんたのあの顔! 悪魔より悪魔してたよね!」


 ランタンが舞い上がる星燈祭の夜。港の一角で、リザが腹を抱えて笑う。リザ曰く、ユリウスから夢を取り出そうとした私は、相当な顔をしていたそうだ。


 私自身は己の顔を見られないので、どんな顔をしていたのかは分からない。しかし、そんなに笑わなくてもいいではないか。これでも一応クーアに「綺麗な顔」と評されたんだぞ。

 クーアの美的感覚が一般的なものと大きくかけ離れていたとしたら、その評価も怪しくなってくるのだが。


 毎年星燈祭の夜、リザは必ず私の店に来て、会場に行かないかと誘ってくる。特段ランタンに込める願いもないので毎年断っているのだが、それでもリザはやってくる。私がひとり暮らしを始めたあたりからずっと続いていた。ひとり暮らしの私を心配してくれているのかもしれない。


 私もすっかりいい歳なので、心配されるような理由はないはずなのだが。


 ああ、あれか。親からしたら子供はいつまで経っても子供とか、そういう考えに近いのか。リザにとって、私はいつまでも守る対象なのかもしれない。


 そんなリザと一緒に、今年は星燈祭の会場に来ていた。たまたま私が出かけようとしたタイミングで、リザがやってきたのだ。


 一年最後の夜。星燈祭のクライマックスを迎えた港は賑やかだった。


 ひとり用の小さなものから、中に人が入れるんじゃないかという大きなものまで、様々な大きさのランタンに火が灯されている。特に合図のようなものはない。会場内の好きな場所で、好きなタイミングで上げる。


 家族の輪の中で、子供がはしゃぎながらカウントダウンをしている。ゼロになると同時に、大きなランタンがふわりと浮かび上がった。雪がちらつく中、オレンジ色の明かりが夜空に躍る。


「綺麗だねえ」


 リザがうっとりとランタンを見上げていた。ランタンは食べ物ではないが、興味があるらしい。意外だ。

 そんなリザの腕を掴んで、引き寄せる。


「前を見て歩け。ぶつかるぞ」

「あ、うん。ありがと」


 通行人を避けて、リザから手を離した。


 受付で代金を支払い、小さなランタンを受け取る。リザは上げないようで、場所を探す私についてくるだけだった。


 人の密集しているエリアを抜け、桟橋の先端へ。深い色の夜空と海は、目を凝らさなければ境目が分からない。


 聞こえてくるのは、波の音だけ。


 かつてクーアが憧れた場所は、この海の先にある。私でさえ辿りつけない地だが、クーアの為に上げるランタンは少しでもそこに近い場所で上げたかった。


「エルもランタン上げるんだあ。珍しい」


 リザがからかうように言う。


「ねえねえ、上げ方知ってる?」

「当然だ。子供の頃に家族で上げていたんだからな」


 ごく普通の家族だったから、星燈祭は両親や祖母とランタンを上げていた。

 ランタンに願い事を託さなくなったのは、あの家にひとり残されてからだ。託したところで叶うわけがない願いしか持っていなかった。

 心の整理がついてからは、庭のネムノキのそばで眺めるようになった。願いさえ込めなければ、無数のランタンが浮かぶ光景はただ綺麗なだけで済む。


 だから、私の願いをランタンに乗せるのはずいぶんと久しぶりだった。


「ひとりじゃ寂しいでしょ。あたしが一緒に上げてあげようか?」

「結構だ。きみとはランタンを上げるような関係ではない」

「えー」


 リザとの付き合いはそれなりに長いが、家族や恋人といった関係ではない。友人と上げるようなものではないから、リザと一緒にランタンを上げる理由がなかった。


「ランタンを上げたいのなら、ひとりで上げたまえよ」

「あたしはいいよ。ランタン上げるような願い事もないし」


 リザが私の背後で、くすくす笑う。


「そっかあ。エルもそういう願いを込めるような相手ができたんだ」

「そう思いたいのならそうしてくれ」


 リザの態度は、私をからかうマルセルのようだ。私に恋人ができたのが、皆そんなに面白いのだろうか。


 ちなみに私は、他者の恋愛事情を知ったところで、なんの面白味も感じない。悪夢として失敗談を見過ぎたせいかもしれないが、自分以外がどんな恋愛をしているかなど全く興味がなかった。


 だがリザたちは違うようだ。


「へえ、あんたみたいなのに、彼女。ふーん、そうなんだ」

「なんとでも言え。それよりこんなところで怠けていていいのか? 年越しは吉夢の一番の売り時だ。いつも露店を開くんだろう?」

「ご心配なく。もうパパたちが場所取りしてます」


 じゃあなんでここにいるんだ。働け。


「私ももう大人だ。ほうっておいても大丈夫だよ。店に戻るといい」

「やだ。見てから行く。だってさ、毎年いくら誘っても家から出てこなかったあんたが、ランタン上げるんだよ? そんな珍しいものを見ないなんて、もったいない」

「私は見世物ではないよ」

「知ってる」


 ふと、後ろから外套を掴まれる感触がした。背中になにかがぽふっと当たる。私の後ろにはリザしかいないはずだ。


 待て、私を海に突き落とす気じゃないだろうな。


「おいリザ」

「こっち見ないで」


 リザの声が少しだけ近い。


「見たいの。エルがランタン上げるとこ。見たら、仕事に戻る。だからお願い」


 私はリザのことをなんでも知っているわけではない。しかし彼女にとって私のこの行動は、とても重要なのだという雰囲気くらいは分かる。


 このまま放っておいたら、リザはいつまでもこうしていそうだ。だったら、リザの望みを叶えよう。


 波の音しかなかった夜闇に、教会の鐘が響き始めた。

 町中の教会が、タイミングを合わせて鳴らす鐘。

 それは短い間隔で、十二回鳴る。


 鳴り終われば、新たな年の始まりだ。


 どうか、クーアの旅が実りあるよきものになりますように。


 私の手を離れたランタンは、吸い込まれるように夜空へと上がっていった。

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