第45話
私がなんとかユリウスの夢を全て喰らいつくす頃には、イリュリアもすっかり元のような姿を取り戻した。店に来る客も、もう死にかけではない。普通の客ばかりだ。
年内の営業を終了した翌日、買い出しの為に町へと繰り出した。晴天の下では、雪で白く染まった街並みはとても眩しい。吸い込んだ空気は澄んでいて、背筋が伸びた。
暫くは店を休んでのんびり過ごす。なるべく引きこもりたいので、市場を巡りあれこれと買い足す。
特にエビだ。絶対に忘れられない。
店は休みでも、食べなければならないチーズもどきはある。エビが入ったグラタンをたっぷり作るのが、私のいつもの年越しだ。
ふと、見知った顔を見つけた。向こうもこちらに気づいたようで、はにかみながら近づいてくる。
「具合はいいようだな」
声をかければ、ティルはこくりと頷いた。ふっくらとした頬には血の気がある。
「一昨日からは配達にも出てます。エルクラートさん、補充はどうしますか?」
「普段のペースで大丈夫だ。また来月頼むよ」
そういえば、気になることがあった。
「ティル、メロンくらい胸の大きな彼女はできたか?」
「わーっ! こんなとこでそんな話やめてください!」
ティルが私の口を塞ごうと突き出した両手を、ひょいと避ける。
「なんでそれ知ってるんですか!」
「きみが私に話したんだよ」
「その話は絶対内緒にしてください! こんな話広まったら、彼女できなくなっちゃいます!」
「分かった分かった。他言はしないよ」
「絶対ですよ!」
そんなに言うのなら、メロンくらい大きな胸にこだわらなければいいと思うのだが。まあ、ティルにとっては譲れない部分らしいので、これ以上つつくのはやめる。
まだ買い物があるというティルと別れて、私は市場を後にした。
少し遠回りをして、ロラッシュ通りのケーキ屋に寄る。あらかじめ頼んでいたアップルパイが焼き上がっていた。それを持って向かうのは、マースルイスの店だ。このアップルパイは、マースルイス一家の大好物である。
年季の入ったいい色合いのドアを開けて、店内へと入る。ずらりと並んだクロスト瓶がグラデーションを作っている棚を背にしたカウンターで、少しくすんだ金髪のハルピュイアが眼鏡を拭いていた。背中の翼も、髪と同じ少しくすんだ金色。きちんと体にフィットしているシャツとベストが、品よく見える。
「いらっしゃい……ああ、エル。きみが来るのは珍しいね」
「クロスト瓶を返しに来たんだ」
エリーの夢が入ったクロスト瓶を、まだ返していなかった。中に入っていたエリーの夢は全て喰らった。綺麗に洗ったクロスト瓶を、アップルパイの箱と一緒にカウンターに置く。
眼鏡を掛け直したマースルイスが、アップルパイの箱を見て嬉しそうに目を細めた。
「エリーの様子はどうだい?」
「無事だよ。きみが夢を喰らってくれたおかげだ」
問題の夢にいち早く気づいて取り出したのはマースルイスだが、特段訂正するような話でもないのでそのままにしておく。
「ところで」
空のクロスト瓶を背後の棚に置いたマースルイスが、真剣な顔で私を見てきた。
「ノエルの手紙はどうした?」
「捨てたよ。返した方がよかったか?」
「いや、それならそれでいいんだが……」
「なんだ。言いたいことがあるなら、はっきり言ってくれ」
マースルイスがカウンターから身を乗り出す。耳を貸せと手招きをする彼に応じれば、
「ノエルが欲しがった夢は、どんな夢だったんだ?」
なんとも深刻そうな調子で、そう問うてきた。
「読んでいないよ」
「本当にか?」
「本当だ」
「封筒を開けもしなかったのか?」
「そのままポストに入れて使っただけだよ。しつこいぞ」
「いや、でも……いででででっ!」
突然マースルイスが大声を出した。耳元でやめて欲しい。
彼から顔を離すと、いつの間にやってきたのか、彼の妻であるノエルがいた。マースルイスの頬を思い切りつねっている。
ふんわりした長い赤毛が特徴的なノエルは、人間だ。ハルピュイアのマースルイスとは異種族婚だが、夢が合うのかだから当然仲もいい。
「エルが知らないって言ってるんだから、しつこくしないの!」
涙を浮かべて痛がるマースルイスの顔をぎゅうっとつねったまま、ノエルがこちらを見る。
「うちの人がごめんねえ」
「気にしてないよ」
これ以上店にいたら、マースルイスの頬が千切れてしまいそうだ。
「それじゃあ、よい星燈祭を」
「エルもね」
ノエルと挨拶を交わして、私は店を出た。
寄る場所は、あと一ヶ所。本を取り寄せてもらっている本屋だ。マースルイスの店と同じロラッシュ通りにある本屋へと向かっていたら、ふわふわと雪が舞い降りてきた。
そうだ。今夜は金の小鹿亭に行こう。家に引きこもる前に、あのオニオンスープが食べたい。
思い出したら、口の中に甘いオニオンスープの味が広がった。
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