第44話
翌日の午前中は、寝室の片付けに費やした。手伝いはいらないと言ったのだが、リザは自分のせいで寝室がめちゃくちゃになったと責任を感じているようで、最後まで片付けを手伝ってくれた。
昼食の時間になったので、リザの分も食事を用意する。片付けをしていつもより腹が減ったらしく、リザはうちにあるパスタを全て食べ尽くしてしまった。
「今日の買い出しはなに?」
皿を洗う私に、テーブルにかけたままのリザが問うてくる。
「その前に確認するが、きみはうちで夕食を食べる気か?」
「まさか。全部済んだもん。家に帰るよ」
それなら、買い出しは少なくて済む。
ユリウスがどうなったのか分からない以上、まだ外に出ない方がいい気がするので、リザの申し出はありがたい。
皿洗いを終えて、メモ書きを作る。
今夜はユリウスの夢をメインにしたいが、どんな食材が合うだろう。見た目が果物っぽいから、甘いのか? キッチンに置いていたユリウスの夢に鼻を近づけてみるが、無臭だ。
果物っぽいならパイにでもしてみるか。
大量のシチューを作って小麦粉がごっそり減っていたので、メモに書く。それからバター。ああ、ラム酒もあるといいかもしれない。ユリウスの夢はこんなに大きいのだから、サラダにも使えそうだ。冬トマトと合わせてみよう。
思いついた食材を、どんどんメモに書いていく。出来たメモを見直すと、けっこうな量になってしまった。
「リザ、持てるか? 無理そうなら少し減らすが」
渡したメモをふんふんと小さく頷きながら見ていたリザは、
「余裕余裕」
にっと笑った。
「いつもクロスト瓶たくさん運んでるからね。任せて」
ついでに町の様子を見てくると言い残し、リザは家を出ていった。
リザを待つ間、店を開ける。
残された被害者が急にゼロになるわけではない。今日も私にしか喰らえないような悪夢を抱えた者が来るはずだ。
ぽつぽつと来た客の相手をする合間に、見慣れない衛兵がやってきた。
二人連れだが、無能ブラザースのように個性が際立っているわけではない。標準的な見た目の衛兵だ。言動も無駄に偉そうではない。
それでも連日無駄な時間を取られていたので、見ているだけで嫌な気分になった。
「なんの用だ。犯人なら昨晩裏口にいた衛兵にたしかに引き渡したぞ。石化が解けなかったのか?」
そのへんにいる魔術師なら解けるレベルで魔術を編んだが、万が一ということもある。もしそうだとしたら面倒だ。これ以上関わりたくない。静かに暮らしていたい。
「その悪魔の石像だが、領主様は非常にお喜びである」
きわめて事務的な声色で、衛兵のひとりがそう口にした。
ユリウスは領主の館に飾られたのか。あの領主なら欲しがるか。
「それはなによりだ。領主様によろしく伝えておいてくれ」
衛兵の様子からするに、容疑者扱いされ続けた私への詫びの言葉はない。まあ、イリュリアを統べるあの態度のでかいおっさんだ。謝罪などするわけがない。
非常に短いやりとりで、衛兵はすんなり出ていった。
衛兵が出ていくのを待っていたように入店してきた客は、合計で三人。ごく普通の悪夢なので、事情を説明して他の夢屋に回ってもらう。
ロッキングチェアでのんびりしていたら、リザが戻ってきた。両手に荷物を抱えながらも、華やいだ表情を浮かべている。
「行動制限全解除だって! シンシアサーカスが来てた!」
「これで夢の採取にも行けるな」
「そうなの! やっと行けるよー。星燈祭に間に合うか心配だったんだよね」
星燈祭の夜は、吉夢を求める客でどこの夢屋も忙しい。リザの店も、毎年広場に露店を出しているそうだ。
リザから買い物を受け取り、代金を渡す。買い物はひとまず棚の下段に置いた。
「ところでさ、エル。星燈祭なんだけど」
リザの言葉をさえぎるように、ドアベルが鳴る。入ってきたのは、青白い顔の子供の手を引いた女だった。おそらくユリウスの被害者だ。
「あっ、じゃああたし帰るね」
リザは決して営業を邪魔しない。ひらひらと手を振ると、彼女は店を出ていった。
***
その日の晩、私はキッチンでユリウスの夢に手をつけた。
包丁で真っ二つに割る。腐った桃とビネガーが混ざりあったような臭気が広がる。目が痛くなり、涙がぼろぼろこぼれた。
厚い外皮の中から出てきたのは、灰色の泥みたいなクリームだ。
臭いと見た目がとにかく酷いが、なんでも食べてみなければ分からない。クリームをティースプーンですくい、舐めてみる。
舌にまとわりつくねっとりとしたクリームは、腐りかけの魚が液状化したのかというほど危険な味がした。
不味い。不味すぎる。
慌てて水を飲むが、味が消えてくれない。
だがこの夢を放置していては、いずれ夢主であるユリウスに戻る。なんだか癪に障るので、調理することにした。
とりあえずこの危険なクリームは、パイにしてしまおう。味付けをして焼いてしまえば、ましになるかもしれない。
生地をこね、魔法で冷やす。その間にオーブンに火を入れて温めながら、小さな鍋に泥みたいなクリーム、それから砂糖とラム酒に、消費しなければいけない独特の臭いを漂わせているチーズもどきを入れて煮詰める。
余計に臭くなった。最悪だ。
一応味見をする。
生ガキに砂糖をまぶしたような味がした。ストレートに不味い。
それでもここまでしてしまったからには、もう後戻りはできない。パイ生地を広げて型にはめ、ユリウスジャムを全部流し込んだ。封印するようにパイ生地を載せて、溶いた卵を塗る。
駄目だ。全然美味そうに見えない。
いや、きっと焼けばどうにかなる。焼いてみよう。
オーブンに突っ込んで暫くしたら、吐き気を催す異臭がキッチンに立ち込めた。
失敗だ。
心が折れそうになるが、なんとか踏みとどまって分厚い外皮を手にとる。これも食べなければならない。
真っ二つにしたうち片方は細切りに、もう片方は一口大にそれぞれ切る。さくさくと気持ちいい感触だった。中身はあれでも、外皮はいけるかもしれない。
結論から言えば、無理だった。
細切りにした方はバターソテーにしてみた。バターのいい香りに誘われて食べてみたら、噛んだ途端、汗みたいな酸っぱい臭いが鼻腔を抜けた。思わず戻しそうになって、ぎりぎりで飲み込む。
臭い消しにハーブを散らそうかと考えたが、余計なことをしてクリームが大惨事になったのを思い出してやめた。
一口大にした方は、冬トマト煮の具だ。本当はサラダにするつもりだったが、生で食べるほどの度胸はなくなっていた。軽い恐怖を感じ始めていたが、絶対に残したくない。意地でユリウス煮を口にする。
これまた不味かった。
ユリウスソテーよりも大きめに切ったのが災いした。外皮はぶにぶにとしてなかなか噛み切れず、それでいて噛めば噛むほどかびたワインみたいな味が染み出てきて、最悪だった。
泣きたい気持ちをぐっとこらえて、ユリウスだらけの食事をする。
久々にこんな不味いものを食べた。
きっと食事中の私の顔は、あまりの不味さでしわしわになっていたと思う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます