第43話

「こう見えて、なんなんだ。教えてもらおうか」


 立ち上がり、フードを脱ぐ。


 リザに手首を掴まれたままのユリウスが、大きな舌打ちをした。


「バクがいたのか!」

「見破れないとはな。悪魔の中でも随分下級とみえる」


 ユリウスが私をぎろりと睨みつけた。瞳孔がきゅうっと細められる。まるで猫の目だ。

 ちりちりと灼けつくような熱が空気に混ざった。ユリウスの姿が陽炎のように揺らめく。


 直後。


 彼の体が、おびただしい数のコウモリへと変わった。


 さすがに驚いたのか、リザが強風を途切れさせる。その隙にコウモリはまるで渦を巻くように飛び回り、白い空間を埋め尽くさんばかりになった。ギイギイと耳障りな鳴き声とともに、あちこちからコウモリが飛びかかってくる。その鋭い爪に、リザの金色の羽根が次々に舞った。


「ふっ……ざけんなクソガキイ!」


 リザが咆哮した。彼女を中心にして暴風が巻き起こる。それだけでは終わらない。風の合間を縫うコウモリを、リザは素手で叩き落とし始めた。


 リザはよく食べる。食べた分が細い体のどこに蓄積されるかというと、魔力だ。子供の頃から大食いのリザは、尋常ではない魔力を蓄えられる体質である。そんな彼女が一度に魔力を放出し、ハルピュイアと相性のいい風の魔法を使えば、馬鹿みたいな暴風になって当たり前だ。こうなれば、もう彼女は手がつけられない。


 コウモリの爪が私の頬を掠めたが、痛がっている暇はない。リザの風に吹き飛ばされる前に、ユリウスの本体を探さなければ。さすがにこのコウモリ全てが本体というわけではないはずだ。


 物探しの魔法を空間いっぱいに発動させると、網目のようなそれにひっかかるものがあった。

 コウモリの大群から離れた空間の端に、目には見えないが抵抗を感じる。大きさは子供。ユリウスだ。


 ユリウスを拘束しようと風を起こしたところで、風と相性のいい暴れるリザに全て持っていかれて役に立たない。

 仕方ないので、コウモリを手でかき分けて大股で進む。コウモリの爪にひっかかれるし、咬みついてきたやつを振り払わないといけない。とにかく痛い。


 見えないユリウスが身じろぐのが、手に取るように分かった。しかし逃げようとも、それ以上抵抗しようともしない。コウモリの大群を操るのでいっぱいいっぱいなのか。


 なんだ。本当に下級悪魔だったのか。


 魔法で水を呼び出し、ユリウスがいるはずの場所に滝のように思い切り浴びせた。人型に弾かれた水を目印に右手を伸ばす。濡れた髪を鷲掴みにする確かな感覚があった。このまま石化させてしまおうと、ユリウスの体に魔力を流し込む。


「おい待てバク! 取引をしよう!」


 慌てた様子でユリウスが姿を現した。既にその足下は石化している。思っていたより魔力抵抗が少ない。魔力勝負では私に勝てないようだ。せめて拮抗する程度なら、普通は押し返そうと足掻く。


「おまえの望みの夢をやる! だから僕をここから出してくれ!」

「望みの夢?」

「そうだ、望みの夢だ! おまえにも見たい夢があるだろう?」


 下半身が石化したユリウスが、半泣きで私を見てくる。


 よく見れば、ユリウスは背中にコウモリに似た小さな翼が一対ついていた。私の記憶の遺産によれば、悪魔の力の強さは角や翼がどれほど立派かという部分で測れる。


 つまり、人間の子供にちょっと角や翼が生えたユリウスは、大した悪魔ではない。


「なあバク、言ってみろ。人間と同じようにとびきりの夢をやるから。僕は夢を操るのが得意なんだ。だから、とびきり気持ちいい夢をやるよ」


 私の右手を引き剝がそうとしたユリウスの手が、途中で止まった。肩から肘にかけて石化している。


「ただでいいから! 頼むよ!」

「あいにくだが」


 ユリウスの頭を掴んでいる手に力を込める。髪を引っ張られ、ユリウスが呻いた。こいつ、私の記憶の遺産の中でも最弱じゃないか。


「悪夢に変じるのが分かっているようなものを受け取る気はないよ」

「だったら悪夢にならないやつをやるからさあ!」


 いつの間にか、コウモリたちのぎいぎいという鳴き声は止んでいた。横目で見れば、リザが掴んでいたコウモリを雑に地面に投げつけている。彼女の周囲には数え切れないほどのコウモリが転がり、足下を埋め尽くしていた。コウモリを足で払いのけながら、リザがこちらに歩いてくる。


 そろそろ私の方も終わりにするか。時間をかけて弱者をいたぶる趣味はない。


「それにしても、契約においては誠実なはずの悪魔が、夢屋詐欺とはな」

「うるさい! 今月はノルマが厳しいんだよ! どうせ人間なんてすぐに増えるから、ちょっとくらい殺したっていいじゃないか!」

「夢屋詐欺のアイディアまではよかったが、手広くやり過ぎたな」

「夢喰屋が邪魔さえしなければ、今頃上手くいってだんだよ! 全部おまえたちのせいだ!」


 ぎゃあぎゃあわめくユリウスが、完全にただの子供にしか見えなくなってきた。


 だが同情などしない。こちらはイリュリアという縄張りを好き放題荒らされたのだ。


 しかも私は何日も犯人扱いされて、無駄の極みのような会話を衛兵としなければならなかった。


 何日も、何日も。


 報復する充分過ぎる理由があった。


「悪魔に関する記憶の遺産はいくつかあるが、分からないことがある」

「なんだ。何でも教えてやるから助けてくれ」


 首から下が石化したユリウスの目から、ぽろぽろと涙がこぼれる。おいこの悪魔、ついに泣き出したぞ。人間や魔物を見下すほどの悪魔の高すぎるプライドはどこに捨ててきたんだ。


「ただ、私がそれを知るには、きみの全てを差し出してもらわなければならない」

「それを教えたら、助けてくれるのか?」


 助けるわけがない。


「悪魔の夢とは、どのような味なのだろうな」

「おい待て、バク、やめろ。待ってくれ、頼むよ」


 私が眺めている前で、ユリウスの小さな顔が石化していく。


「貴様の持つ夢、全て喰らわせろ」


 悪魔の夢という未知の味に、喜びを抑えきれなかった。


***


 凍れる鳥籠の魔術を解いた寝室で、バクのローブをクローゼットに戻す。


「それ、食べられるの?」


 リザが露骨に顔をしかめた。


「おそらくな」


 ベッドの上には、ユリウスから取り出した夢が転がっていた。

 全て取り出したユリウスの夢は、スイカほどの大きさもある果物っぽいものになった。全体的に淡い紫色で、少しいぼいぼしていて、食用とは思えない。

 思えないが、夢が変じたものであるからには喰らえるはずだ。


 バクに喰らえない夢などない。


 毒々しい見た目の夢への興味はすぐ失ったようで、リザが石化したユリウスへと歩み寄った。


「こいつ、今は空っぽなんだよね?」

「ああ。もうなんの夢も残っていない」

「そっかそっかあ。じゃあ新しい夢を詰めてあげようかな。空っぽはかわいそうだもんねえ」


 いたずらっ子のような笑みを浮かべると、リザはどんどん夢を作り始めた。甘い夢をほいほい作り出して、ユリウスの中へと押し込んでいく。


 石化は死ぬわけではない。適切な治療さえ施せば、元に戻る。


 つまり、ユリウスはしっかり意識がある。


 リザが新しい夢をぱんぱんに詰め込んだユリウスの脳内は、今頃お花畑だ。今月はノルマが厳しいとかなんとか言っていたが、もうそんなものは気にしなくてもいい。ある意味幸せなんじゃなかろうか。


「ほい、完成」

 夢を詰め込み終えたリザが、ユリウスの後頭部をはたく。


 あとはこの世にも珍しい悪魔の石像を、衛兵に引き渡すだけだ。犯人が捕まったのだから喜んで持っていくだろう。


 さすがに重すぎるので、ユリウスに浮遊魔術をかけて、家の裏口から持ち出す。周囲を見回すと、案の定道に見張りの衛兵がいた。今夜の当番は無能ブラザースの片割れ、マッチ棒みたいにひょろひょろの衛兵だ。


「おい、きみ」

「ひゃい!」


 声をかけると、衛兵は情けない声で返事をした。


「こいつがきみたちの探していた例の夢屋だ。運んでいってくれ」


 たとえ弱っちく見えても衛兵なんだから、あとはどうにかしてくれ。どうせ無能ブラザースのもうひとりもいると思うし。衛兵の前にユリウスを置いた。


「悪魔だ。必要ならば魔術師でも呼びつけて、尋問でもなんでも好きにしてくれ」


 石化の魔術はある程度加減ができるので、そんなに複雑な編み方はしなかった。あまりにも複雑に編んでしまえば、解ける者がいなくなる。石化を解く為に呼び出されるなんて面倒はごめんだ。

 裏口のドアをしっかり施錠して、寝室に戻る。


 すっかりめちゃくちゃになった寝室では、リザがせっせと片付けをしていた。意外だ。片付けなんて放り出して客室で寝ていると思ったのに。


「きみにも片付けという発想はあったのだな」

「当たり前でしょ。このウサギ、どこに置いとく?」


 どこにと言われても、めちゃくちゃの室内では枕元しか置きようがない。


「とりあえず枕元に置いてくれ」

「あんたのウサギのスプーン、ぴかぴかなんだね」

「磨いているからな。おかげで食には困っていないよ」

「変なものは食べようとしているけどね」


 ユリウスの夢は、どんな味か全く想像がつかない。とんでもない希少夢だ。美味いといいのだが。


 床にずり落ちていた布団をベッドに戻す。ひとまず眠れる場所があればいい。普段ベッドに入る時間はとっくに過ぎていた。眠くて仕方ない。

 リザに客室を勧めると、私はユリウスの夢を大事に抱えてベッドに入った。

 どんな味がするのか、とても楽しみだ。

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