第42話

 買い物を届けがてら昼食のクロックマダムを七つぺろりと食べたリザは、私がちょうど夕食のシチューを完成させた頃に家へとやってきた。


「お肉柔らかあい!」


 最近毎日リザと囲んでいるテーブルで、彼女が嬉しそうな声を上げる。肉以外も柔らかくなるよう作ってはいるが、飲むように食べる彼女が喉を詰まらせないか少しだけ心配になる。


 いや、まあ、リザなら詰まっても強引に飲み込むか。


「おかわりもらっていい?」

「ああ」

「やったあ!」


 あっという間に食べ終えたリザが、躍るような足取りでキッチンへと入る。リザは勝手に変な場所を開けるような者ではないから、キッチンに入られても嫌な気にはならなかった。


 ちなみに、同じハルピュイアでもキールはだめだ。あいつは風呂上がりにパンツを探して、私のクローゼットまで勝手に開ける。


 リザが持ってきたのは、山盛りのおかわりだ。うちで一番大きな鍋いっぱいに作ったが、足りるだろうか。


「お風呂あたしが先に入ってもいい? 今日の配達はけっこう遅い時間までかかっちゃってさ。おかげで寒くて寒くて。もちろんシチューはあったかくて美味しいんだけど、お風呂で温まりたいんだよね」

「そうだろうと思って、もう用意しているよ」

「ありがとう! エルってママみたい!」


 ママ。今まで生きてきて初めて言われた。


 食事を終えて皿洗いや入浴を済ませ、小腹が空いたというリザにパンケーキを焼いて食べさせる。本当に親になった気分であれこれとしているうちに、悪魔の夢屋から指示された時間が迫っていた。


 場所を私の寝室に移し、準備に入る。もちろん部屋は他にもあるが、念の為だ。生活している気配がなければ、怪しまれるかもしれない。


 私が宅内で最も重視して整えている部屋で大暴れされるかもしれないと考えると憂鬱になるが、それも少しの辛抱だ。


 寝室の壁を触って巡りながら、凍れる鳥籠の魔術の術式を細かく分けて刻む。魔力を壁に伝わせて、床や天井にも術式を刻んだ。


 悪魔は個体ごとの能力も様々なので、侵入方法もひとつに絞れない。私ができるのは、察知されにくいよう、なるべく魔術を細かく分けることだけだ。発動していない魔術の術式を細かく分けるほど、全てを繋ぐのは手間になる。それでもここで逃がしてしまえば二度とチャンスは巡ってこないのが分かっていたので、私が繋げられる限界まで細かく分けた。


「あんたいいベッド使ってるんだね」


 布団をめくったリザが、両手で押してベッドの寝心地をたしかめている。以前クーアを放り投げた私のベッドは、寝心地抜群だ。


「睡眠はなによりも大切だよ。きみもたまには睡眠環境を見直すといい」


 準備を全て終えると、私はクローゼットから白と黒のツートンカラーのローブを取り出した。マントのように羽織り、ローブの留め具を胸元で留める。フードを被ってしまえば私の姿は誰の目にも映らないはずだが、念の為部屋の隅にうずくまった。いつでも魔力を流せるよう、壁に手を添える。


 私の代わりにリザがベッドに入り、部屋の明かりを消した。もちろん人間が寝ているふりをするので、室内を温めていた魔術も消す。


 外に降り積もった雪のおかげで、しんと静まりかえった夜闇。息を潜め、目を閉じ、侵入者の気配を探る。


 ふと、部屋の空気が動いた。


 足音はない。魔力も感じられない。空気が動いたということは実体があるが、リザは相手を掴めるだろうか。


 すうっと動いていた気配が、ベッドのそばでぴたりと止まった。屈もうとしているのか、かすかな衣擦れの音がする。


「……誰?」


 闇にリザの声が生まれた。普段のやかましいリザからは想像もつかない、儚い少女のような声だ。突然始まった彼女の演技に、思わず吹き出しそうになった。口元を手で覆い、なんとかこらえる。


「誰かいるの?」

「こんばんは、お嬢さん。お望みの夢を届けに来たよ」


 もうひとつ生まれた声は、少年と言っても過言ではない幼いものだ。少々芝居がかったその声が、エリーの夢の中で見た悪魔の姿と重なる。


「さあ、眠って。きみが求めていた夢を入れてあげよう」


 水色の小さな光が浮かび上がる。


「待って。あなたの名前を教えて」

「ユリウス。僕の名前はユリウス。契約は成立した。きみに望みの夢を与えよう」

「残念でした」


 今度のリザの声は、いつものようにはっきりとしていた。


「あなたが用意したそれは、あたしが注文した夢ではありません!」


 リザが発動させた照明魔術が、室内を急激に明るく照らす。照明魔術の分だけ、空気に混ざる魔力が増えた。


 光が浮かび上がらせたユリウスは、エリーの夢で見たとおりの悪魔だった。細い手首をリザに掴まれ、目を丸くしている。そりゃあそうだ。依頼人が自分の手首を鷲掴みにしてくるなど、想像もしていなかっただろう。


「へえ、あんた子供のくせにワインなんか飲むんだ」


 リザがユリウスを取り囲むように、強風の壁を発生させる。ああ、室内がめちゃくちゃになっていく。枕元に飾っていた私のウサギのぬいぐるみが、強風に吹き飛ばされて壁に叩きつけられた。家具が倒れる派手な音が次々に生まれる。


 リザの強風のおかげで、室内を漂う魔力が大きく乱れた。合図だ。これだけ乱れていれば、いい目くらましになる。

 壁に添えていた手から魔力を流し込む。最初の術式から、次へ。蔦のように伸ばしていく。


「そういうきみは契約者ではないようだね。その手を離してくれ。失礼させてもらうよ」


 やけに大人びた顔に、ユリウスが歪んだ笑みを浮かべる。


 ん? こいつ、手を離してもらわないと逃げられないのか?


「悪魔のくせに尻尾巻いて逃げるんだあ! そうだよね、ハルピュイア相手に喧嘩で敵うわけないもんね! やだあ、悪魔っていってもただの雑魚じゃん!」


 リザの嘲笑を聞きながら、魔力の蔦で更に術式を辿っていく。もう少しで壁に刻んだものが全て繋がる。


「世間知らずなハルピュイア。悪魔に喧嘩を売る愚行を、今回だけは見逃してやろう。だからその手を離せ」


 どんどん分岐して細く複雑になっていく術式は、まるで生き物の血管だ。その全てに、魔力を均等に流してやる。


「ねえねえなんで逃げないの? こうして掴まれてると逃げられないの?」


 細切れに刻んだ術式が、天井と床に広がる。


「舐めた口を利くなよ小娘! 僕はこう見えて」


 全て繋がった。


 室内に刻まれた凍れる鳥籠の魔術が、眩い光を放つ。光は全てを飲み込み、寝室だった場所は上下左右どこまでも白い魔術空間へと姿を変えた。

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