第41話

 まるで時が止まったかのような静けさを感じて、目を覚ます。雪が本格的に積もったらしい。雪が積もると世界は途端に静かになるから、すぐに分かる。

 布団から出ていた頭が少しだけ寒くて、中に潜り込む。もう少しだけこのまま寝ていたい。


 いや、起きなければ。


 仕事があるからではない。確認すべきものがある。

 念の為寝室には思いつくかぎりの防犯用の魔術をセットしていたが、それが発動した様子はなかった。

 私が持つ直近の記憶の遺産を確認しても、見知らぬ夢が増えたりはしていない。


 もこもこのガウンを羽織り、寝室を出た。家の裏口を開けて、配達された牛乳を手にする。

 ポストの中を覗いてみると、昨晩入れておいたワインが空になっていた。ノエルが書いてくれた手紙は置きっぱなしだが、その上に一枚のメモ書きが載っている。


『今夜十時。部屋の明かりを全て消し、ベッドに入っていること』


 メモには綺麗な文字で、そう書かれていた。以前の方法は有効なのか不安だったのだが、問題なかったようだ。

 私が読み終えたのを感知したのか、メモ書きは紙自体が幻であったかのようにすうっと消えた。


 周囲の空気を探ってみるが、魔力らしいものは一切感じられない。


 すっかり白くなった地面には、牛乳屋のものと思しき足跡しかなかった。


 周囲を見回すと、こちらを見張っている衛兵と目が合った。この寒いのにご苦労なことだ。


 衛兵に見られず、足跡も残さずポストに近づくのは簡単だ。だがメモ書きを雪のように跡形もなく消せる魔法などない。


 それにしても、手紙だけでこちらが人間と信じるとは、お手軽に騙せる悪魔もいたものだ。


 もちろん、油断してはいけない。バクの外見年齢と記憶の遺産の量がイコールではないように、悪魔の外見年齢と経験も比例しない。雑に騙せたと思わせて、こちらを逆に罠にはめようとしている場合だってあるのだ。


 ポストの中身を回収して、家の中に戻る。途中で寝室に寄って読みかけの本を持ち出して、キッチンへ向かった。毎朝そうしているように、猫の悪夢入り紅茶を用意する。


 ほろ苦くも甘いカラメルのような香りが漂うカップを手にして、居間へ。魔法で暖炉に火を入れてから、ソファにゆったり腰かけた。読みかけの本を開き、暫しくつろぐ。

 体が温まってくると眠気がこみ上げてきたが、今日もうたた寝をしている暇はない。身支度を整えて、開店準備に取りかかる。リザが来るはずだ。


 開店準備といっても、特別気合を入れるような作業はない。掃除は昨日の閉店時にしているから、小さな暖炉に火を入れ、カーテンを開け、入り口のドアを開けるくらいだ。ああ、あとそれから、悪夢を置く為の皿を棚に置く。それくらいだ。

 すぐに終わってしまうから、暖炉で薪がはぜる音を聞きながら、リザが来るまでロッキングチェアでうとうと……したかったのだが、今日はリザが来るよりも早く別の者が来た。


 ドアベルがやかましく鳴る。この乱暴な開け方は衛兵だ。


「エルクラート、昨日の夜はどこにいた?」


 毎日同じ台詞から、つまらないやりとりは始まる。面倒で仕方ないが、私は座ったばかりのロッキングチェアから立ち上がった。


 今日来たのは、図体のでかい衛兵と、マッチ棒みたいにひょろひょろの衛兵だ。さすがに毎日ではないが、この二人組はよく来る。そろそろ見飽きたので、別の衛兵に変えて欲しい。


 もちろん私に話しかけてきたのは、図体のでかい衛兵だ。


 弱そうな衛兵は、いつもそうするように相棒と私を落ち着きなく見ている。こいつ、なんで衛兵なんかしているんだ。到底役立つようには見えない。


「昨晩も家だ。見張っているのなら、聞かずとも知っていると思うが。それとも、見張りは全員居眠りでもしていたのか?」


 例の夢屋の正体は悪魔なのだから、衛兵がどうにかできる相手ではない。しかしそれを言ったところで、証拠がないのだから信用してもらえまい。衛兵が毎日私を疑うのと同じレベルの話だ。


「魔物は魔法が使えるからな。人間の目を欺くなど簡単なはずだ」

「なるほど。四六時中見張りをしている衛兵たちは全員でくの坊だったか。過信してすまなかったよ」


 まあ、このやりとりももうすぐ終わる。


 そろそろ来るだろうか。


「まいどー! お届けものでーす!」


 こちらもいつもと同じ台詞でやってきた。軽やかなドアベルの音とともに入店してきたのはリザだ。入ってくるなり、すぐに衛兵に絡み出す。


「わあ、無能ブラザーズじゃないですか! おはようございまーす」

「むっ……」


 さすがにそんな名前をつけられるとは思っていなかったようで、でかい衛兵が口を中途半端に開けたまま固まった。


「お店の外で待ってるお客さんがいるから早くしてくださーい。人の仕事の邪魔してる暇があるなら、早く犯人探し出してくださいよー」


 衛兵を追い出すだけなら客の話だけでいい気もするが、リザはこういう性格なので止めないでおく。


 今すぐに怒鳴りたそうなでかい衛兵も、さすがに客が待っていると言われてしまっては、引き下がるしかない。


「くっそ! また来るからな!」


 ここ数日で最も雑な捨て台詞を残して、無能ブラザーズは店を出ていった。


 ドアがきちんと閉まるのを見届けてから、リザがこちらに振り向く。彼女が出ていこうとしないから、店の外で客が待っているというのは大嘘だ。


「ポストどうだった?」

「ご丁寧に返事が置いてあったよ。『今夜十時、部屋の明かりを全て消し、ベッドに入っていること』だそうだ。きみの推測どおり、置かれた手紙から人間かどうかを判別しているようだな」


 リザが得意げな顔をする。

 雑というかなんというか、勢い任せの推論だったような気もするが、結果として悪魔は食いついた。まあいいか。今必要なのは、過程ではなく結果だ。


「これでやっと全部終わるね」

「捕まえられればな」

「大丈夫大丈夫、うまくいくって。でも久しぶりだなあ、エルの家に泊まるの」

「……は?」


 待てリザ。私はなにも聞いていないぞ。


「きみが、私の家に、泊まる?」

「え? まさか、犯人捕まえた後は夜道にほっぽりだす気だったの? 信じらんない! あんた悪魔かなんかなの! ありえない!」


 リザがぴいぴい騒ぐ。

 そりゃあたしかに、キールと同じでリザは何度か私の家に泊まった。だがそれは子供の頃の話で、彼女が用心棒として泊まるんだと言い張って聞かなかったからだ。彼女が年頃になってからは、一度も泊めていない。


「もうパパに泊まるって言っちゃったんだけど!」

「なぜきみはいつも私がいいという前に行動に移すんだ!」

「夜歩きは危ないっていつも言うのはエルじゃない!」


 そうだった。金の小鹿亭で会うたびに言っている。だからリザは早い時間に帰るのだ。


 夜に訪れる犯人を捕まえた後、どうするのか。完全に失念していた。用が済んだからとリザを夜道に放り出すわけにもいかないから、私の家に泊めるしかない。


 自分の勝ちだと主張するように、リザが両手を腰に当ててふんと鼻を鳴らした。


「それで、今日の買い出しは?」

「……これだ。下ごしらえがあるから、昼までに頼むよ」


 あらかじめ書いておいたメモを、リザに渡す。


「小麦粉とバター、じゃがいも、ニンジン、タマネギに、鶏肉を五枚。バゲット一本。ねえこれお昼の分ちゃんと入ってる?」

「昼もうちで食べるのか」

「すぐに家に出たら衛兵に疑われるって言ったのもエル」


 余計なことをリザに言ったものだ。


「ブレッドとハムを一本ずつ。卵を八個に、カッテージチーズと生クリームを頼む」

「……ごめん、メモ書いてくれる?」

「初めからそう言ってくれ……」


 リザはよく私を振り回す。パワフル過ぎて若干疲れを感じるほどに。


 棚に置いていたメモ帳にペンを走らせ、リザに渡す。


 リザと入れ替わるように、またしても入店する者がいた。今度は客だ。明らかに顔色が悪くぐったりしている娘を、父親と思しき男が抱いておろおろしている。

 エリーと同じように噂に踊らされて被害に遭った子供だろう。年の頃はエリーと同じ程度。


 そのままにするわけにもいかず、まずは娘をロッキングチェアに座らせる。


 悪夢の進行が早い子供の夢喰いは、いつもなら料金云々より先におこなう。しかし今この子を蝕んでいるのは、悪魔が配達した夢だ。そのまま喰らうわけにはいかない理由がある。特別な夢喰いであると説明して、本人の承諾を得なければいけない。


 もう今月何度目か分からない夢喰いの説明を、なるべく噛み砕いて親子にする。憔悴しきっている見た目のとおり力ないものではあったが、娘は話を理解したようで小さく頷いた。聡い子だ。

 父親の方は、料金も納得してスムーズに前払いをしてくれる。最近私のところに来る客は大金が必要だと知った上で来るから、料金の話は楽だ。


 すべき話は全てしたので、さっそく悪夢を取り出しにかかる。悪魔が見せる悪夢はただでさえどろどろして取り出しにくい。その上普段より慎重にならなければいけない子供の夢喰いだ。


 私は気を引き締めると、浅い呼吸をする子供の胸元に右手をかざし、ゆっくりと反時計回りに回し始めた。

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