六章 星燈祭に見る夢は

第39話

 昼食後、私が書いた手紙を持ってリザは店を出ていった。店を出たところで、付近にいた衛兵を変顔で威嚇し、嫌味を言うのも忘れない。

 ふわふわと雪が舞う中、彼女の赤いとんがり帽子は表通りの雑踏へと飲み込まれていった。


 午後も、例の夢屋の被害者が店へとやってきた。


 既に例の夢屋が危険だという話は、町中に広まっているらしい。とんでもない悪夢を抱えた者以外にも、夢を受け取ってしまったがどうしたらいいのかと相談に訪れる客も増え始めていた。


 配達された夢自体は問題なく喰らえるが、私は悪夢を抱えた客で手一杯の状況だ。まだ悪夢に変じていない相談者は、他の夢喰屋に回ってもらった。相談に来る者の魂の状態を見るかぎり、魂に濁りすらないごく普通の状態だ。それなら経験の浅いバクでも対処できる。


 このままいけば、危険な夢屋を利用する者もいなくなる。


 しかしそれでは真犯人が分からず、私は疑われっぱなしだ。命懸けで多くの人間を助けたのにそれではあんまりだ。ネムノキとの穏やかな暮らしを取り戻す為にも、なんとしても犯人を捕まえなければならない。


 アップルパイの箱を持ったリザが戻ってきたのは、一日の営業を終えて店のドアに鍵をかけようかというときだった。店内に招き入れて、ドアに鍵をかける。それを待っていたかのように、リザが慌てた様子で肩掛け鞄からなにかを取り出した。


「大変大変! これ!」


 リザが取り出したのは、小さなクロスト瓶だった。私の掌にすっぽり収まってしまいそうなその大きさは、よく知っている。猫の悪夢を配達してくれるときのサイズだ。

 もちろんクロスト瓶は、夢の配達に使われるだけではない。店頭に夢を陳列させるときにも使う。リザが持ってきたものは、平均的なサイズのものだった。


 クロスト瓶の中には、クリーム色のとろりとした夢が入っていた。瓶の三分の一程度入っているそれは、人間の夢だ。悪夢ではないとき、こういった見た目をしている。チーズクリームに似ていた。


「誰の夢だ?」

「マースルイスさんが取り出した、娘さんの夢。あの夢屋を使っちゃったんだって!」

「エリーが? 夢屋の娘なら、あの夢屋は警戒しているはずだが?」


 ハルピュイアのマースルイスと、人間の妻のノエルの間には、娘がいる。純粋な人間として生まれた幼い娘の名前は、エリー。先日十歳になった。年をとってからやっと授かった一人娘なので、マースルイスたちはエリーをそれはそれは可愛がっていた。


「『好きな人と両想いになれるおまじない』だって子供の間に噂になっているらしくて、試しちゃったの。今朝マースルイスさんが新聞取りに行ったらポストに手紙とワインが入ってて、それで判明した」


 おまじない。大人が欲しがる望みの夢の配達から、子供が好みそうな噂に変わったのか。


「マースルイスさんが取り出した夢がこれ。夢の内容は見てもいいから、なんとかしてくれって言ってた。娘さんにもちゃんと話して、夢喰いを承諾してもらったって」

 マースルイスは私よりもずっと年上だが、持っている記憶の遺産は、我が家に代々つけ継がれているものを継承したバクである私の方が断然豊富だ。彼が私を頼ったとしても、なんら不自然ではない。

「エリーにも行動を指示するメモが届いたのか?」

「ううん。『両想いになりたい人について詳しく書いた手紙を、ワインと一緒にポストに入れておく。そうすると両想いになれる魔法をかけてもらえるから、夜九時に寝ること』っていうのがおまじないの方法らしいよ。両想いになりたい相手が夢に出てきたら、成功。だから夢は、手紙とワインを置いたその日の夜に見たって言ってた。それがこれ」

 

 夢の配達方法が、子供が気軽に試したくなるような方法に変わっている。

 このままエリーの夢を喰らってしまってもいいが、その前に夢の状態が気になった。現状、例の夢屋に最も近い手がかりはこれだけだ。喰らってしまえば夢の内容は分かるが、観察できるのは喰らう前しかない。


 リザからクロスト瓶を受け取り、目線の高さまで持ち上げて振ってみる。エリーの夢の内容と思しきもやが、瓶の中にぼんやり浮かび上がった。


「ねえ、あたしにも見せて」


 リザが背伸びをする。リザは女にしては背が高い方だが、それでも私よりは低い。そういえば昔は、リザの方が背が高かったな。いつの間にか追い越してしまった。


 クロスト瓶をリザの目線の高さまで下げて、もう一度瓶を振って二人で中を覗く。 目を凝らせば夢の内容がもやもやと見えるが、小さすぎてよく見えない。なにか黒いものがちらついているような気がするのだが。


「うちからもっと大きなクロスト瓶持ってこようか?」


 リザが提案する。夢屋は夢の内容を確認するとき、大きなクロスト瓶に移し替えて観察する。クロスト瓶が大きくなれば、それだけもやもやと漂う夢が見えやすくなるからだ。


「いや、いい。ここで開ける。少し待ってくれ」


 リザが彼女の店に走るよりは、私が凍れる鳥籠の魔術を発動させた方が早い。


 掌を上に向けて、魔術を編んでいく。。対象は店内。あまり広い範囲はカバーできない魔術空間だが、店内くらいなら充分魔術カバーできる。

 床に、壁に、絡み合う蔦のようなイメージで魔力を這わせていく。天井まで魔力が行き渡って全ての流れが結びつくと同時に、魔力が辿った道筋が眩い光を放った。


 辺りが無音になる。


 室内の景色が消えて、私とリザは真っ白な空間――凍れる鳥籠の魔術で作った魔術空間の中にいた。ここならば、夢を広げても漏れない。


 エリーの夢が入ったクロスト瓶を開け、中身をひっくり返す。中身が全てこぼれ落ちると、夢の内容が周囲に浮かび上がった。


 今この空間は、エリーの夢が再現されている。クロスト瓶を覗くよりも確実だ。喰らわずに夢の内容を確認する必要がある場合、夢喰屋ではこうして確かめる。


 夢の中は、ロラッシュ通りにあるケーキ屋だった。長い赤毛にそばかすが愛らしい小さなエリーが、ショーケースを挟んでひとりの青年と話している。


 すっきりとした短い黒髪に温厚な笑顔が似合う青年は、このケーキ屋の三代目だ。

 店内には二人だけ。エリーの熱い視線は青年に向けられていた。どうやら彼がエリーの想い人らしい。随分年が離れているが、そんなこともあるのだろう。


 二人を眺めていて、違和感を感じた。青年に時折黒い歪みが生じる。愛想よく応じている青年は、どうにも厚みがない。まるで紙に書かれた絵が動いているようだ。


 青年に歩み寄り、その顔を掌で擦ってみる。


 ずるり、と鶏の皮が剥けるような感触がして、青年の顔が崩れた。そのまま全身が剥がれ落ちる。


「うわっ、気持ち悪っ!」


 背後でリザの悲鳴が上がった。しわくちゃになった生皮のような青年に、ドン引きしている。


 青年の下から現れたのは、人外の存在だった。


 背丈はエリーと同じくらいの少年。品よく切り揃えられた銀髪に、頭からにょっきり生えている二本のねじくれた角。陽の光と縁がなさそうな、白すぎる肌。大人びた端正な顔を飾る紫の双眸。


 どの魔物と符合するか、私の記憶の遺産を探る。


「なに、この子供?」


 生皮にしか見えない青年を踏まないようにしながら、リザが少年に歩み寄った。


 ああ、分かった。あれだ。


「リザ、悪魔だ」

「悪魔? この子供が?」

「そうだ。理由は不明だが、こいつが夢の中に自分の欠片を残して、夢を悪夢に変えている」


 これ以上はエリーの夢から得られる情報はない。持っていたクロスト瓶を上に向けて、夢を吸い込ませる。

 夢がしっかりクロスト瓶に収まったのを確認して、きっちり蓋を閉める。エリーの夢は、あとで野菜にでもつけて喰らおう。その方が美味い。


 魔術空間を消せば、見慣れた店内で、暖炉がぱちぱちと温かそうな音を立てている。


「犯人の正体が判明したな。悪魔ならば、依頼主を探す方法も、家に自在に侵入するのも、悪夢を見せるのも、全てが簡単だ」


 悪魔は空気中や地中を流れるエネルギーを敏感に感知できる。同じように地脈を読むのに長けている魔物にバンシーがいるが、それと違うのは悪魔なら生物以外も探せる点だ。それに種族特性を活かして術痕を残さず家にも侵入できるし、どんな夢でも作り出せる。


 簡単に言えば、なんでもありだ。


「それよりリザ。ノエルに手紙は書いてもらえたのか?」

「あ、うん。これ。マースルイスさんとも相談したんだけど、一応前の望みの夢を配達してくれるって方の手紙にしてもらった」

「その方が準備に時間をかけられるから、助かるよ。ありがとう」


 リザが差し出してきた二通の手紙を受け取る。


 マースルイスからの手紙には、リザの作戦に乗るという旨が書かれていた。愛しい一人娘のエリーが夢屋の罠にかかってしまったのだから、当然だ。


 差出人に妻のノエルの名前が書かれている方の手紙は開けない。彼女がどんな夢を希望したのか、覗くような趣味はないのだ。大事なのは、人間が書いた手紙という事実だけである。


「ひとまず夕食にするか。ここでこうしていても仕方ない」


 暖炉の後始末をしてランプの火を消すと、私はリザを連れて家へと引っ込んだ。

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