第37話
「そういえば、シンシアサーカスも町の外で足止め中らしいよ」
一緒に家の廊下を歩きながら、リザが言う。
シンシアサーカスは、キールの実家だ。星燈祭は必ずイリュリアにやってくるので、楽しみにしている者も多い。
だが座長であるキールの父親を始めとして、団員はほとんどが魔物だ。当然今のイリュリアには入れない。人間の団員もいるにはいるが、彼らだけでイリュリアに入って興行するには無理がある。それほど大きなサーカス団なのだ。
「キール、元気?」
リザとキールは、この家で何度か顔を合わせた。ハルピュイアが二人もいると相当やかましい。その上彼らは大の仲良しだ。二人が泊っていくとなると、夜中までカードゲームだの枕投げだのと騒いでいた。
私は彼らをほっといて寝ていたのだが。眠かったのだ。バクはよく眠る。
「特段便りはないな。元気なんだろう」
本当は手紙が届いているが、キールが書いたものはそっと封筒にしまっている。あのオリジナリティ溢れる文字が躍る手紙を全て読むほどの気力は、いつになっても全く湧いてこなかった。おかげで、キール自身が語る近況については分からない。
でもまあ、クーアの手紙になにも書かれていないから、きっと元気だ。
対面式のキッチンから見えるテーブルにつくと、リザは魔法で空気を温め始めた。冷え切っていた空気が、あっという間にほどよい温もりへと変わっていく。
そのままリザは、テーブルの端に積んでいた本をぱらぱらとめくり始めた。止めはしない。栞を引き抜かなければ、それでいい。
リザが買ってきてくれたものの中から、大きなクロワッサンを六つと、キャベツを取り出す。掌からはみ出るほど大きなクロワッサンは、全部リザが食べる。キール以上に食べる彼女が、ひとつで足りるわけがない。
クロワッサンに横から切れ目を入れて広げ、火の魔法で軽く炙る。バターの香ばしい匂いが立ち上った。そこに更にバターを塗って、生地にしみこませる。
本当は手をかけた方が美味いし気も紛れるのだが、午後の客入りを考えるとあまりゆっくりもしていられない。魔法をフル活用していく。
我が家のよく冷えた食料保存庫からベーコンの塊を取り出し、風の刃を作り出して厚めに六枚切る。
……ちょうど使い切ってしまった。今日の買い出し分で頼めばよかった。
フライパンの上にベーコンを横たえ、火の魔法で炙る。じゅう、と美味そうな音がした。
買ってきてもらったキャベツを七枚千切り、こちらも風で切ってフライパンへ。ベーコンをひっくり返して、火で一緒に炙る。
火力が強すぎて、ベーコンの表面を思い切り焦がしてしまった。だから焦って作るのは嫌なのだ。まあ焦げたくらいが美味いか。それよりキャベツに塩コショウを振らなければ。
リザが本から顔を上げた。漂う匂いを追いかけるように、きょろきょろしている。
「いい匂い」
完全に本への興味を失ったリザがこちらを見てきた。
「もう少し待て」
たまねぎを風でみじん切りにして、ボウルに入れる。マヨネーズと粒マスタードを入れて混ぜれば、リザの分のソースが完成だ。
キャベツを六つのクロワッサンにたっぷり挟む。厚いベーコンを押し込むようにして入れ、仕上げにソースを塗れば、リザ用サンドイッチの完成だ。
リザの食事ばかり作ってもいられない。
じゃがいもをひとつ取り出し、水で洗い、風で皮を剥く。魔法でじゃがいもの中の水分を一気に熱してふかした。それを潰して強力粉とオリーブオイル、それに塩をひとつまみ入れて簡単に混ぜ合わせる。細い棒状にまとめたそれを、一口大になるよう風の刃で一気に切った。本当はソースがよく絡むようもうひと手間加えたいが、あまりゆっくりしていられない。そのまま茹でる。食べられないことはない。
魔法で水を沸騰させ、宙に浮かせたそれの中にニョッキを放り込む。少しすると、水の表面にニョッキがぷかぷか浮いてきた。ゆで上がったニョッキをざるに入れて、湯切り。
新しいフライパンに牛乳、塩コショウ、それから癖のある匂いがするチーズもどきを入れて魔法で温める。ふつふつとしてきたそれを混ぜれば、チーズもどきがとろけた。そこに湯切りの済んだニョッキを入れて絡ませたら、私の昼食も完成だ。
こんな作り方をしないで、ゆっくり作ってのんびり食べたい。
二人分――リザのはかなり大盛りの一人分――の皿を持ち、キッチンを出る。
待ちきれないのだろう。目をきらきらさせたリザの視線が、私が持つ皿を追いかけていた。テーブルに置けば小さな歓声を上げる。
そんなに腹が減っていたのか。六つで足りるといいのだが。
「いただきます!」
私が座るのを待ってから、リザは勢いよく声を上げた。出来たてのサンドイッチに、思い切りかぶりつく。そういえば味見をしなかったが、リザの表情が問題ないと語っていた。食べるのがなによりも好きなリザは、不味いものを食べて美味いふりなどできない。
「ねえエル、これからどうするの?」
「なにがだ?」
「このまま疑われっぱなしってわけにもいかないじゃない」
毎日来る衛兵を追い返す方法はある。しかしどれも後処理が面倒だし、方法によっては下手をしたら牢屋行きだ。
ゆえに、穏やかで心優しい魔物の私は、仕方なく毎日衛兵の相手をしていた。
「もうさ、あたしたちで犯人捕まえようよ」
リザがひとつめのサンドイッチを食べ終えた。相変わらず食べるのが早い。
「衛兵たちはエルが犯人だって疑ってて、全然役に立たない。それならあたしたちで犯人捕まえちゃおうよ。誰よりも頑張ってるあんたが疑われてるなんて、あたし我慢できない」
二つ目のサンドイッチにかじりついているリザの顔は、真剣そのものだ。感情だけで物を言っているわけではないらしい。
「人の家に侵入できる種族特性を持つ魔物なんて、探せばいくらでもいるじゃない。おびき出せればこっちのものだと思うの。どんなやつでも捕まえられる魔法、エルなら知ってるでしょ?」
「一応そういうものはあるよ。非常に狭い魔術空間だが、完全に外界と隔離できる。きみたち夢屋が使っているクロスト瓶と同じ仕組みだ」
「そういえばあの瓶って、夢が漏れないもんね」
「だが、その魔術を発動させた状態では獲物を誘い込めない」
「なんで?」
「入り口のない部屋にどうやって入るんだ」
「ああー」
二つ目のサンドイッチを飲むように食べ終えたリザが、しまったという顔をする。しかしそれはすぐに、なにかを思いついたようなものへと変わった。
「でもさ、その魔法さえあればどんなやつでも捕まえられるんだよね? 下準備しておけないの?」
「たとえした準備をしても、複雑な魔術だから発動まで時間がかかるよ。ジャックフロストの羽根があれば話は別だが、持っているか?」
少し考えてから、リザが首を横に振った。
冬告鳥の魔物、ジャックフロスト。その羽根が、夢屋が使うクロスト瓶の材料だ。触れたものを全て凍てつかせるほど冷たいあの羽根が一枚でもあれば、リザが期待する『凍れる鳥籠の魔術』の発動は一瞬だ。それほどの力を、あの羽根は秘めている。
しかし残念ながら、リザは羽根を持っていない。最初から期待はしていなかったので、落ち込みはしなかった。
ジャックフロストの羽根は生え変わらないので、手に入れるには狩る必要がある。だがあの鳥は群れを形成しない上に、体が不純物のない氷のように透き通っていて、とても見つけにくい。
ジャックフロストが飛来すると雪が降り始めるとは誰もが知っているものの、実際に目にするのは非常に稀である。希少品の羽根はそうそう出回らない。
「あの羽根がないと、どれくらい時間がかかるの?」
三つ目のサンドイッチを半分ほどたいらげ、リザが問うてくる。
「少なくとも二十秒は欲しい」
発動時間を減らそうと下準備をするほど、その場に漂う魔力は濃厚になる。例の夢屋がどんな相手か分からないのでは、どの程度の魔力を感知できるのか推測ができない。最大限に用心するならば、大した準備はできないのだ。
「二十秒あれば、どうにかできる?」
「おそらくな」
「だったら、あたしがその時間を稼ぐ。だからあたしたちで犯人おびき寄せて捕まえよう? ポストに手紙とワイン入れてさ」
「リザ、ひとつ大事なことを忘れている」
「ん?」
「被害者は全員人間だ」
例の夢屋を簡単に釣れるのならば、とっくに行動している。それなのにできないのは、被害者が人間ばかりという条件のせいだ。私が囮になろうとしても無理である。
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