第35話
ドアベルを軽やかに鳴らして入店してきたのは、配達用の肩掛け鞄を提げたリザだ。今日も赤いとんがり帽子のリザが、元気な声を張り上げる。
「頼まれてた商品、持ってきましたー!」
おや、猫の悪夢が入荷したのか?
リザの突然の登場に、衛兵が面食らった。だがリザはそんなのお構いなしだ。
「あのーまだお話終わらないですかねー?」
わざとらしい物言いで、リザが自分よりもすっと背の高い衛兵に歩み寄る。
「次の配達があるから、早くして欲しいんですけどー」
ハルピュイアの陽気さは、元来持っている好戦的な性格からきている。それはたとえ自分より大きな相手に対しても変わらない。もしも衛兵がリザに手を上げたとしても、リザは平気で一戦交える。
このままでは、私の店が戦場になってしまう。
「衛兵さん聞こえてますかー? こんなところで油売ってないで、税金分働いてくださいよー」
リザが衛兵の顔を見上げた。こうなると彼女は止まらない。
「だそうだ。税金泥棒と言われたくなければ、仕事に戻りたまえ」
さすがに店内で取っ組み合いの喧嘩を始められては困る。私はリザの言葉を後押しして、衛兵を追い出しにかかった。
リザと私に思い切り馬鹿にされた衛兵が、なにかを言いかけて唇を噛む。
なにも言えないに決まっている。
衛兵とて一応生き物だ。脳みそが入っている。毎日私のもとへ来るのがいかに無駄な行為であるか、理解はしているはずだ。手がかりが得られない鬱憤を晴らすかのように私を容疑者扱いして怒鳴り散らす行動は、なんの解決にもならない。
もしそれすら分からない者であれば、いよいよ税金の無駄遣いである。
それにこちらはハルピュイアとバクだ。本気でやり合えば、魔法が使える分だけ私たちの方が強いから勝つ。魔物が人の定めた法律に従っておとなしくしているのは、生活面で便利というだけではない。優しさだ。
「人を馬鹿にしていられるのも今のうちだからな!」
お手本のような捨て台詞を吐くと、でかい衛兵は荒い足音を響かせて店を出ていった。見た目からして弱っちい衛兵が、慌てて彼の後を追う。
「リザ、どうした。猫の悪夢が入荷したのか?」
「違う違う。最近あんたのところに衛兵がしつこく入り浸ってるって聞いて、様子見に来たの」
なんだ、猫の悪夢ではなかったか。少しだけわくわくしていた心がしぼむ。
「またそういう顔する。そのうち持ってきてあげるから元気出してよ。ところで、猫の悪夢以外に困ってることある?」
大ありだった。
「買い物だ。とにかく多忙なところに、衛兵たちが来ている。市場を回る時間もない」
常備野菜や保存食でなんとかなっているが、それも底を尽きかけている。大変不本意ではあるが店の営業時間を延長しなければいけない状況もあって、買い物に行く時間すら取れない。せめて昼食くらいゆっくり食べさせて欲しいが、それすら叶わない状況だった。
だったら営業終了後に金の小鹿亭で思い切り外食でも……というわけにもいかない。喰らわなければならない悪夢がキッチンで待っているというだけではない。
どうしても金の小鹿亭へ行けない理由があった。
「それに私は露骨に監視されている。行った場所は全て衛兵に調べられるから、外食もできないし、誰とも連絡が取れない。マースルイスのところの様子すら分からないんだ」
私が歩き回れば歩き回った分だけ、周囲に迷惑がかかる。酷過ぎる話だ。
それに容疑者扱いされているこの状況が続けば、関わってくれる者がいなくなる。客は助かる為に私の店へ来るだろうが、私自身がまともに生活できないのなら全く意味がない。庭のネムノキを捨てて山野で自給自足なんて無理だ。
真面目に税を納め、人間の為に命懸けで働いている私は、税金から給料を貰っている人間である衛兵によって、社会的に殺されようとしていた。
「メモさえ書いてくれたら、あたしが買い物行くよ」
「助かる。ちょっと待っていてくれ」
買ってきて欲しいものは色々あった。頭の中でキッチンを含む宅内の様子を思い浮かべながら、メモをまとめていく。
なんだかんだぎっちぎちなメモになってしまったが、リザなら買ってきてくれると思う。
「届けるのは今日の夕方でいい?」
「ああ、頼むよ。その頃には店も閉められるはずだ」
「任せて。ところでさ、星燈祭なんだけど」
リザがなにか言いかけたとき、入り口のドアが開けられた。細い冷気が流れてくる。見れば、重そうにドアを開けてひとりの女が入ってくるところだった。
「あの、悪夢を食べていただきたいんですけど」
集中しなければ聞こえないほどのか細い声で、女はそう言った。
「じゃあ、また夕方に来るね」
今にも倒れそうな女を一瞥すると、リザは店を出ていった。
あらためて女を観察する。
どこにでもありそうな茶色い外套姿。不健康そうな外見のせいで老け込んで見えるが、おそらく三十代。目がおちくぼみ、頬がげっそりこけた顔は青白く、重病人のようだ。私に向けられる目に光はなく、ぱさついた艶のない黒髪のせいもあって、生気というものがまるで感じられない。
種族は間違いなく人間だ。最近うちに来る噂の夢屋の被害者は、こんなふうに憔悴している人間ばかりだから。
どこからどう見ても、他の夢喰屋には回せないレベルだった。私が悪夢を喰らうしかない。ここで私が断れば、この女は死ぬ。私が断ったせいで死んだと噂になるのはごめんだ。
「先に確認させてもらうが」
私の声に、女がびくついた。ちょっと声をかけただけなのに、なにもそんなに怯えなくてもいいではないか。
「その悪夢は、ワイン一杯を対価に夢屋から貰った夢が変じたのかい?」
女がこくこく頷いた。小さいながら何度も繰り返される頭の動きに、そのままもげるんじゃないかと心配になる。
「たしかにその悪夢なら私が喰らえるが、ただの夢喰いとはいかない。きみと私、双方に危険がつきまとう。まずきみへの危険だが……」
今日は閉店までに、何度この説明をする羽目になるだろう。滅多に口にしない特別なものなのに。深いため息をつきたいのをこらえて、私は省略するわけにはいかない説明を始めた。
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