第28話
目を開けて、もう一度ティルを見る。彼は相変わらずうつむいたまま、手遊びを続けていた。ずっと親指同士をくるくる動かしているから、そろそろ取れるんじゃないかなどと考えてしまう。
「ティル、確認させて欲しいのだが」
ティルがびくりと肩を震わせた。
「その夢屋に、どんな夢を注文した?」
夢の内容によっては、謎の夢屋の正体が少しは絞り込める。
「えっと、その……」
ティルの言葉をゆっくり待つ。
隠しても無駄だと分かったようで、ティルが消え入りそうな声で話し始めた。安心しろ。どんな恥ずかしい内容でも私は気にしないし、軽蔑もしない。もし私がそんなやつならば、夢喰屋などしていられないのだ。
「……『僕の好みどストライクの素敵な恋人と、星燈祭でランタンを上げる夢が見たい』ってお願いしました。恋人の条件は」
「いや、それはいい。ところで、なぜその夢を?」
「夢中になれる夢が手に入ったら、あの人の夢を見なくなるんじゃないかって思ったんです」
意中の相手を忘れられるほど、のめり込める夢。もしもその夢が本当に手に入るのだとしたら、危うい代物だ。夢への依存度が高過ぎる。
夢屋は客の要望に応じて夢を売りはするが、ティルが望むような依存性の高い夢は扱っていない。あまりにものめり込んで、実生活に影響を及ぼすからだ。
そういった危険な夢をひとつでも扱えば、営業停止と牢屋行きがダブルで決まる。場合によっては公開処刑までセットだ。理不尽ではあるが、人間の定めた法律は魔物に容赦がないのだ。それを知っているから、夢屋もわざわざ危険を冒してまで夢を売ろうとはしない。
ティルが言う夢屋は、誰が何の目的でやっているのか全く分からない。しかし、絶対に関わってはいけない。それだけは確かだ。
「その夢屋に連絡を取る方法は、自宅のポストに手紙を入れるしかないんだな?」
「たぶん……そうだと思います」
そうだな。正体が分からないんだから、連絡のとりようがない。我ながら愚問だった。
「ティル、今すぐ帰って、断りの手紙をポストに入れるんだ。正規の夢屋は金銭以外での取引はしないし、依存性の高い夢も扱わない。それに勝手に家に入りもしない。その正体不明の夢屋には、絶対関わるな」
「でも」
ようやくティルが顔を上げた。
「もうグラスは空になっちゃったんです」
「そうだとしてもだ」
「それに、どうしても注文した夢を諦められないし」
私は耳を疑った。今、なんと言った? ちょっと理解が追いつかなかった私の前で、ティルがはっきりとした口調で言葉を紡ぐ。
「最初から夢だって分かってたら、危ない目には遭わないと思うんです。それに僕が注文したのは、悪夢じゃないし。なにもかもが望みの夢を見られる機会なんて、そうそうないと思うんです。僕、楽しい夢を見たいんです」
そうきたか。
夢屋や夢喰屋以外の者は、ときに夢を軽んじる傾向がある。取り出すも入れるも自在でお手軽なものだと考えてしまうのだ。根こそぎ喰らって欲しい悪夢でも抱えないかぎり、夢はどれほど繊細なものなのか考えもしない。魂と夢は密接にかかわっているという認識が薄いのだ。
「お願いします、エルクラートさん。今夜配達される夢が欲しいんです。僕のこの夢を食べてください」
ティルが綺麗なお辞儀をした。
彼は、あまりにも都合のいい話ばかりを信じている。
己の心がすうっとティルから離れるのを感じた。これは私がなにを言っても無駄だ。ティルが私の店の常連だとしても、こちらの言葉を受け入れないのだからどうしようもない。それに、そんな者をどうにかする気も起きない。
「申し訳ないが」
冷えた気持ちが言葉になってこぼれた。
「そんな危うい夢に手を出すのが分かり切っているのに、記憶の整理は手伝えない」
「そんな!」
ティルが勢いよく頭を上げた。
「エルクラートさん、お金ならちゃんと払えます! 信じてください!」
「代金云々の問題ではないんだよ。帰ってくれ」
断られるとは微塵も思っていなかったのだろう。ティルががっくりと肩を落とす。手袋でごしごし目元を拭ったということは、たぶん少し泣いている。
今夜配達される夢の為に必死なティルには申し訳ないが、私は彼の夢を喰らうつもりなどない。
ティルの夢を喰らうのは簡単だ。しかしその後ティルになにかあれば、彼に加担した私の店の評判にも傷がつく。こちらも家の名誉を掲げて商売しているのだ。いくら金を積まれても譲歩する気はない。
「……おじゃましました」
背中を少し丸めたティルは、とぼとぼ店を出ていった。
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