第27話

 たしかに、新しい夢を入れる為に邪魔になる夢というものはある。


 それが悪夢だ。


 夢主の中に大きな悪夢があれば、他の夢が入る隙間がなくなる。たとえ悪夢が小さなものでも、それが鋭利であれば新しい夢を傷つけて壊してしまう。更には悪夢で悩めばその分だけ魂が浸食されて、やがて死ぬ可能性もある。そういうものであるから、皆夢喰屋で悪夢を取り出す。


 しかし、ティルが私に教えてくれたような普通の夢は、邪魔にならない。

 悪夢が邪魔になるのは、決して他の夢と混じり合わないからだ。


 それ以外のなんでもない夢は、夢同士で混ざり合い、溶け合って存在できる。邪魔になるわけがない。もし他の夢が邪魔になるのだとしたら、新しい夢を見ることはないし、もちろん夢を売る夢屋というものも存在しえない。


 それなのに夢屋が手放せと言うのは、どういうわけだ。


「ティル、目を見せて」


 ティルに詳細を訊くより、直接状態を確認する方が早い。もしかしたら夢屋がなにか異変に気づいてうちに回したのかもしれない。

 身を屈めて、私より少し背が低いティルの目を覗き込む。青い瞳の奥に、ティルの魂が見えた。


 ティルの魂は、輪郭がはっきりしている。悪夢が浸食どころか魂に貼りついている様子もなく、澄んでいて、健康そのものだ。周囲にはふわふわと様々な色の夢が浮いていたが、それらも普通の夢で、なんの問題もない。


 特段手放さなければいけない夢など、どこにも見当たらなかった。どこの夢屋かは知らないが、随分いい加減なことを言ってくれたものだ。客を不安にさせる夢屋がいい店のはずがない。


 ティルの目を覗くのをやめて、もう一度彼の顔を見る。よほど後ろめたい理由があるのか、ティルはそわそわと落ち着かなかった。


「新しい夢を入れる為に邪魔になるようなものは、なにもないよ。きみがどこの夢屋に行ったかは知らないが、他の夢屋で夢を買うといい」


 話はこれで終わりだ。新しい夢を手に入れたがっているティルが夢喰屋を利用する理由は、なにもない。


 そう思ったのだが。


「でもその夢屋、今夜来るんです。だから、準備をして待ってないといけなくて。今夜を逃したら次も来てくれるか分からないから、どうしても夢を食べて欲しいんです」


 ティルがすがりつくような視線を向けてきた。


 そんな目で見られても困る。私が喰らうべきものが見当たらないのだから、どうしようもない。嘘探知の魔術が反応したからには、ティル自身は人妻の夢をどうしても手放したいわけではない。夢屋に言われたから手放そうとしただけだ。


「今夜その夢屋と会うのなら、その場で断ればいい。きみさえ拒めば、夢屋も無理に夢を売ろうとはしないよ」

「……だめなんです」


 ティルの声に、涙の色が浮かんだ。少し泣き虫なところがあるティルは、時折こんな声を出す。


「もう契約しちゃったんです。断り方なんて聞いてないし」


 嫌がる客に無理矢理夢を入れたところで、夢屋にはメリットなどない。押し売りされたと噂になって、客が来なくなるだけだ。


 それなのに断れないとは、どういうことだ。


「ティル、その夢屋はどこの誰だ?」

「分かりません」


 んん? 話が更におかしな方向に転がり出したぞ?


「正体も分からない夢屋を、どうやって知ったんだ? 契約したんだろう?」

「友達が教えてくれました」


 まるで子供のようなことを言う彼は、私に怒られたと思ったらしく、うつむいて手遊びを始めた。そのまま黙ってしまうかと思われたが、意外なことに話を続ける。


「どんな夢が見たいか詳しく書いた手紙を、一杯のワインと一緒に家のポストに入れておくんです。朝になってワインが空になっていたら、契約は成立です。いつ来るのか、どんな準備をしたらいいのか、そういう指示が書かれたメモが入っているから、そのとおりにすればいいって」


 子供の遊びのような内容だ。まさかティルはそれを真に受けたのか? いくらなんでも発想が幼過ぎる。


「準備が終わったら、あとは寝ていれば、手紙に書いたとおりの夢を必ず配達してくれるって」


 ポストに入れたワインが空になっていたというわけか。それだけだったらいたずらの領域だ。おおかた彼の友人がなにかしたと思える。

 そう考えて、すぐに違うなと感じた。


 いたずらされたにしては、ティルの様子がおかしい。なぜこんなに怯えているんだ。


「今朝起きたら、指示が書かれたメモが入っていたのか」


 私の言葉に、ティルがこくりとひとつ頷く。


「ポストから出してすぐに読みました。あの人に関する夢を消しておくようにって、書かれていたんです。それから、今夜十時に部屋の明かりを全て消して寝ているようにって」

「そのメモはどうした?」

「僕が読み終わったら、消えました」

「消えた?」

「はい。雪みたいに溶けてなくなったんです」


 腕を組み、目を閉じて深く息を吸う。


 目の前で紙が消えた。


 しかも、雪のように溶けて。


 なにかしらの魔法を使ったのかもしれないが、そんな魔法を私は知らない。私が持つ記憶の遺産にもないのだ。


 もちろん、新しく作られた魔法ならば私が知らないこともある。だが、そこまで労力をかけてティルにいたずらをする意味が分からない。


 ティルは、ポストから出してすぐに読んだと言った。であれば、読んだ場所は屋外だ。すぐに調べないかぎり術痕が消えてしまう。なにか魔法を使われたのだとしても、誰が魔法を使ったのか知る術はもうない。せめて雪が積もっていれば足跡が残るが、うっすら雪が積もったのは一昨日だ。足跡が残っているわけがない。


 店内に巡らせた嘘探知の魔術は、反応しない。ティルはもうつまらない嘘をついていない。半泣きのティルは大真面目だ。


 それにしても妙な夢屋もいたものだ。

 夢屋というものは、対面で客に夢を入れる。以前私の店でクーアがアイラにしたように、夢を光球にして客の中に押し込むのだ。その方法でしか、夢は入れられない。


 それなのに、寝ている間に夢を配達するとはどういう話だ?


「その夢屋は他になにか条件をつけていなかったか? 窓の鍵を開けておくようにとか、宅内に入る為に必要な条件は?」

「いえ、特には。友達も言ってたんですけど、本当にただ寝てるだけでいいらしいんです」

「最近知らない者が家に出入りしたか? 泥棒でなくともいい。なにか業者が来たとか、そういうものでもいい」

「それもありません」


 帰還魔法は転送先を記録しなければ使えないが、記録さえしてしまえば片道ではあるが自由に出入りできる。しかし他者が入っていないのなら、ティルの家を転送先として記録している者は考えられない。

 もちろん魔法を使わずに宅内に侵入する方法はある。種族特性だ。私のように闇を渡るバクがいい例だ。そういった種族特性を持った魔物は少なくない。


 だが、夢屋の真似事ができる魔物となると限られてくる。


 ちなみに、夢屋の中で最も多い種族のハルピュイアは、宅内に侵入できるような種族特性を持っていない。


 考えられる魔物はサキュバスやインキュバス。彼らは夢主に心地いい夢を見せて餌を得る魔物だ。イリュリアでも夢屋を営む者が少数ではあるがいる。

 だが、彼らが作り出せる夢は少々いかがわしい内容のものだけだ。それ以外の夢は、客から買い取ったものしか扱えない。手紙に詳細に書かれた望みの夢を見せるのは無理である。


 それに、正体不明の夢屋は夢の注文方法や報酬もむちゃくちゃだ。

 家のポストに入れられた手紙を見つける方法がない。もちろんどこのポストに入れられたのかあらかじめ分かっているのなら話は別だが、ティルの話を聞くかぎりではそうではない。

 物探しの魔法は、あるにはある。しかしあれはどんなに範囲を広げたところで、私の家の中程度の広さしかカバーできない。イリュリア中にあるポストの中からたった一通の手紙を見つけ出すのは不可能だ。


 手紙と一緒にポストに入れるワインにしたっておかしい。夢屋として営業許可を取っている場合、物々交換での取引は禁止されている。一杯のワインを対価にというのは、明確なルール違反だ。

 たとえ営業許可がなくとも、たった一杯のワインで望みの夢を作り出して与える者がいるだろうか。あのクーアだって、夢屋の真似事をして金を貯めていた。


 世の中全て金というわけではないが、役に立つのはやはり金だ。


 それなのにワインだけを受け取るなんて、そんな美味い話は怪しい以外の何物でもない。


 ティルが契約した夢屋は、正規の夢屋としてはありえないことだらけだ。

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