第26話

 ほどよく暖まっていた店内で、アイラに包んでもらった花を花瓶に活ける。ちょっとだけ面倒だなと思いつつ店を開けると、私は店内のロッキングチェアで読みかけの本に手をつけた。

 小さな暖炉が生み出す音を聞いていると、またしても眠くなってくる。客が来たら、ドアベルが鳴って分かる。うたた寝をしても困りなどしない。栞を挟んだ本を抱きながら、目を閉じた。いつまでもこうしていたい。


 心地いい時間を味わっていたら、入り口の方からノックが響いた。ドアベルが軽やかに鳴り、澄んだ冷たい風がわずかに吹き込む。


「まいどー! お届けものでーす!」


 ゆっくり目を開けた私の耳に飛び込んできたのは、そんな底抜けに明るい声だった。


 いつも猫の悪夢を注文している夢屋のリザだ。


 ハルピュイアのリザは、私と年が近い。勝ち気そうな顔つきのリザは、家族で夢屋を営んでいる。ハルピュイアは夢屋への適正が高いので、町に定住している者は家族で夢屋を営む者が多い。


 ただし、リザの店は少し変わっている。

 主な客はバクだ。


 私が猫の悪夢を注文しているように、イリュリアに住むバクたちも彼女の店に様々な夢を注文している。夢喰屋として毎日悪夢を喰らう身だが、嗜好品として楽しむ夢も欲しいのだ。

 リザの店は全て天然物というのをウリにしている。通常の夢屋はハルピュイアが作り出した夢も売るが、リザの店はそれがないのだ。さすがにハーフセイレーンの夢は無理だが、猫の悪夢といった少々珍しい夢でも仕入れてくれるいい店だ。


 私には悪夢を手に入れる為に猫をいたぶる趣味はない。それにどの夢もやはり天然物の方が断然味がいいので、リザの店の存在はありがたかった。


 椅子から立ち上がってリザを見ると、外套の下から温かそうな赤いロングスカートが顔を覗かせていた。ぱんぱんに膨らんだ大きな鞄を肩から提げているので、悪夢を仕入れた帰りにそのまま寄ってくれたと分かる。


 赤いとんがり帽子に、季節で丈の長短はあるが赤いスカート。それがリザのトレードマークだ。腰まで届く長い金の髪に、鮮烈な赤はよく似合っている。


「ありがとう。いくらだ?」

「今回は仕入れが大変だったからね。一瓶で二百オーレル」

「……一瓶」


 できたらもう一瓶欲しかった。猫の悪夢が入っている魔道具のクロスト瓶は、とても小さい。掌にすっぱり収まるくらいだ。毎朝スプーン一杯でなんとか我慢しているが、それでも一瓶なんてあっという間になくなってしまう。


「そんなに悲しそうな顔しないでよ」


 リザが苦笑する。

 そう言われても、私は正直者だからつい顔に出てしまうのだ。

 自分で猫の悪夢を採取するのは手間だ。入荷があっただけありがたいと自分に言い聞かせ、支払いを済ませる。

 ついでに、店内に置いていた空のクロスト瓶をリザに返した。


 夢屋が使うクロスト瓶は貴重な魔道具だ。夢が漏れ出さないように魔術を施されている。これがないと、中に入れた夢がそのうち夢主に戻ってしまう。猫の悪夢を食べ終えて空になった後は、返し忘れないようにいつも店の棚に置いていた。


 間違いなく二百オーレルあるのを確かめたリザが、金を鞄に入れながら口を開く。


「犬の悪夢なら少し在庫があるけど、どう?」

「いや、猫だ」

「言うと思った」


 毎朝の紅茶に合わせるのは、猫の悪夢が一番だ。


 たしかに犬の悪夢も透明感のある黄金色でとろとろしているから、見た目は蜂蜜によく似ている。虹色の蜂蜜のような猫の悪夢と同じで、液体に溶けやすい。その見た目や特徴を知っているから、リザもたまにこうして犬の悪夢を薦めてくる。


 だが、味や匂いとなると話は別だ。


 バクではないリザは、味や匂いを感じ取る術がない。だから犬の悪夢を薦めてきても仕方ないが、バクからすれば犬の悪夢と猫の悪夢は全く違う。


 犬の悪夢は、完全に厚切りベーコンを思わせる風味なのだ。


 さすがに紅茶には入れられない。犬の悪夢はサラダや目玉焼きにかけてこそ美味いが、朝食をしっかり食べると胃もたれする体質の私の朝には、不向きである。

 リザの店で入荷があるからには、イリュリアのどこかのバクが必要としている。そのバクにぜひ全て買い取っていただきたい。


「あんたほんと好きだよね、猫の悪夢。子供の頃からずーっと猫の悪夢ばっかり注文してるし。そんなに美味しいの?」

「いくら食べても飽きないよ。少し舐めてみるかい?」

「いい。お腹壊すから」


 リザが胸元で腕をクロスさせて、大きなバツ印を作った。

 私としても、無理強いしてまで貴重な一瓶を消費する理由がない。受け取った瓶を、落とさないよう棚に置く。


「ところでさ、エル。今年の星燈祭なんだけど」


 リザの言葉をノックがさえぎる。ドアベルが来客を報せた。

 入店してきたのは、ひとりの若い男だ。そわそわと落ち着かない様子で入ってきた彼が、リザを見て慌てた表情を見せる。


「あっ、すみません! また来ます!」

「あー! 待って待って! あたしお客さんじゃないから! だから大丈夫、入って!」


 私がなにか言うより先に、リザが男の腕を掴んだ。そのままの勢いで、彼を店内に引きずり込む。


「それじゃ、あたし帰るね。また仕入れたら来るから」


 ひらひらと手を振ると、リザは店を出ていった。今度来るときは、たくさん猫の悪夢を持ってきて欲しい。いくらあっても困らない。むしろいくらでも欲しい。一度でいいから、心ゆくまで猫の悪夢を味わいたい。


 ドアが閉まり、店内は私と来訪者の二人だけになった。いつまでも猫の悪夢に想いを馳せているわけにもいかないので、来訪者を見る。


 少し癖がついた栗色の髪に、そばかすのせいであどけない雰囲気の顔。ベージュ色の外套に、焦げ茶色の手袋。

 気が弱そうな彼の名前は、ティル。東西様々な茶葉を扱っている、イリュリア一大きな茶葉店の次男坊だ。ティルは子供の頃から私の店に客として出入りしていたので、彼についてはそこそこ知っている。

 年はたしか、今年で十八歳。去年からうちへの配達は、彼に担当が変わった。


 今日は配達ではないはずだ。なぜなら、茶葉は昨日ティル本人がきちんと配達してくれた。


「どうしたティル。夢喰屋に用事か?」

「あ、はい、まあ、そんなところです」


 なんとも歯切れの悪い返事をする。

 店内に張り巡らせた嘘探知の魔術が反応しないからには、ティルに私を騙そうとする意思はない。それならば堂々としていればいいのに。妙な態度をとられると、なにかあるのではと勘ぐってしまう。


 落ち着かない様子で視線をさまよわせながら、ティルがごにょごにょと話す。


「あの、エルクラートさん。悪夢じゃなくても、夢って食べてもらえるんでしょうか?」

「それは構わないが、なぜだ? 夢屋に売った方が得だろうに」


 悪夢でなければ、ほとんどの夢は夢屋の買い取り対象だ。うちで金を払って手放すより、ずっと得である。


「それが、その」


 うつむいたティルが、胸の前で手遊びをする。手袋に包まれた両手の指をくっつけ、親指同士をくるくる回していた。彼の子供のときからの癖だ。困ったとき、彼はよくこれをする。


「僕の夢、ちょっと人には見られたくない夢なんです。でも、どうしても手放したくて。だから、食べて欲しいんです」


 なるほど。それなら納得だ。

 夢を売るとき、どんな夢なのか夢屋で覗かれる。その時点で内容が知られてしまう。無事買い取ってもらえても、その夢を別の客が買えば、見知らぬ者にまで内容が筒抜けになる。

 ゆえに、他人には知られたくない秘密の夢を手放したいという客が、たまに夢喰屋にはやってきた。


 もちろんその夢を喰らったバクは夢の内容を知るのだが、わざわざ他人の秘密を言いふらすようなバクなどいない。そんな真似をすれば、この町にいられなくなる。


「手放したい夢にもよる。犯罪絡みの夢ではないな?」

「それは大丈夫です。えっと、好きになった人が夢に出てくるんですけど、それでちょっと困ってて……」


 ティルの視線は、相変わらず彼の手元に向けられている。もごもごとしているが、まだなにか話すつもりらしい。

 こちらとしては犯罪に関わっていなければそれでいいのだが、せっかくなので待つ。夢の内容など興味はないが、知っておいても損はない。


「僕、配達先の人を、好きになってしまったんです。凄く綺麗で、優しい人で……。でもその人には、旦那さんがいるんです。それなのに、その人の夢ばかり見てしまって、最近じゃ一緒に星燈祭に行く夢を見てしまって、そのせいで、配達に行ってもなんだか顔を合わせにくくて」

「気まずさを解消する為に、その夢を手放したいと」

「そ、そうです! そうなんです!」


 ティルがばっと顔を上げると同時に、店内に大小無数の鐘の音が一斉に鳴り響いた。大音量の不協和音に、ティルが両耳を塞ぐ。


 ティルは私になにかを隠している。


 嘘探知の魔術をセットし直して、やかましい音を消す。ティルがおそるおそるといった様子で両手を耳から離した。


「ティル、この場所で嘘は通じない。なぜその夢を手放したいんだ? 正直に言え」


 私から視線を外したティルが、気まずそうに口を開く。


「……夢屋に言われたんです。僕が望む夢を入れる為に、今見ている夢を全部消すようにって」


 妙な話になってきた。

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