第25話
「いやだなあ、エルクラートさんってば。ちょっとからかっただけですよ」
私に向き直ったマルセルが、目尻に浮かんだ涙を指で拭う。
こいつ、完全に私で遊んでる。
「でもそうやってムキになるってことは、やっぱりお相手がいるんですね」
笑いをこらえているマルセルの言葉にため息をつくと、私はウサギのぬいぐるみを売っている露店を離れた。こんな状態のマルセルには、なにを言っても無駄である。
マルセルもマルセルで買い物があるようで、あっさり撒くのに成功した。私にしつこくする気がないのは幸いだ。
それでもまた彼と鉢合わせてはかなわないので、予定していた買い物を手早く済ませた。
そのまま帰ろうとして、一ヶ所寄るのを忘れていたと思い出す。
なじみの花屋は、今日も市場の入り口を陣取っていた。看板娘のアイラに頼んで、お任せで花を包んでもらう。今日の花のメインは、白いバラ。葉の濃い緑と相まって、花は眩いほどだった。
粉雪が舞う帰路を辿りながら、数日前に届いたクーアからの手紙を思い出す。
差出人にキールの名を使った分厚い手紙は、終始星燈祭について書かれていた。ずっと山中に隠れ住んでいたクーアは、星燈祭の存在は知ってはいたものの、実際に見るのは今年が初めてだという。祭りについての期待がぎっしり書かれた手紙からは、クーアのはしゃぎっぷりが伝わってきた。
ちなみにキールからの手紙も同封されていたが、詳しくは読んでいない。いつも思うのだが、文字が個性的過ぎるのだ。見ているだけで疲れる。
それにおそらく書いてある内容は、クーアと同じで星燈祭に関するものがメインだ。吟遊詩人をしているキールは、イベントとなると特に忙しい。
星燈祭が開催されるのは、イリュリアだけではない。国内のどこでも同日開催だ。だからクーアも、私が毎年眺めているような光景をどこかの町で目にする。クーアたちが辿り着いた町がどれほどの規模の星燈祭を開催するかまでは分からないが、たとえ小さな町でもあの幻想的な光景はクーアを喜ばせてくれるはずだ。
初めて見る星燈祭の光景に、目を輝かせるクーア。
そんな彼女の初々しい姿を間近で見られるキールが、少しだけ羨ましい。クーアを旅に出したのは私だというのに、妙な話だ。
……待てよ。クーアのことだから、もしかしたら夜空を舞うランタンよりも別のものに心奪われるかもしれない。
星燈祭当日は、会場付近に露店が立ち並ぶ。もちろんそれは飲食店も多い。イリュリアを旅立つ前に私の料理を食べたがったほど、クーアは食いしん坊だ。興味をそそられるとしたら、そっちのような気がする。
旅暮らしのあれこれはキールに頼んだが、クーアもあれでしっかりしている一面がある。道中で夢屋の真似事をして、少しは稼いでいるはずだ。生まれて初めての星燈祭を、彼女の思うままに満喫するといい。
ただし。
間違ってもキールと二人でランタンを上げるなど、あってはならない。
キールが星燈祭のランタンについて、知らないわけがないのだ。
絶対に二人で同じランタンを上げるのは駄目だ。いくら旅をして距離が縮まったとしても、クーアのとって初めての星燈祭だとしても、二人で同じランタンをというのだけは許可できない。
二人のあってはならない姿を想像してしまったら、つい手に力がこもった。私の握力が強かったら、紙袋越しに触れたリンゴを握り潰していたと思う。
私がキールに望むのは、星燈祭を楽しむクーアを守りきることだ。
世の中には、女であれば誰でもいいという輩もいる。外見を隠しているクーアも、そんな者に目をつけられるかもしれない。祭りの空気で調子づいて騒ぐそいつらに絡まれて、フードで隠している姿をちらりとでも見られてしまえば、クーアは間違いなく衛兵に突き出される。
そうなれば、会場を包む興奮が災いして、その場で「忌むべきセイレーンの公開処刑」が行われる危険があった。年内のゴミは年内に片づけるべしというわけではないが、日頃公開処刑を娯楽として享受している節がある人間たちは、その程度のことなど平気でする。
世にも珍しい「羽なしセイレーン」の事情を丁寧に聞き、ハーフセイレーンという存在を認め、同情し、見逃してくれる人間はまずいない。イリュリアで実施された公開処刑がいい例だ。
だからこそキールには、普段以上に警戒してもらう必要がある。
肝心なところでは隙のない友人だから、大丈夫だと信じたい。
家の裏口が面している細い通りでは、見覚えのない幼い子供たちが三人ほどきゃあきゃあと駆け回っていた。星燈祭を家族で過ごそうと帰省した者の子供たちと思われる。私は子供の扱いは苦手だが、元気に遊んでいる子供の姿はいいものだと感じる。
一応ポストの中を覗く。店が開いていなければ、郵便物はこちらに入れてくれるのだ。うちへの配達はいつも午前中なので、もしかしたら出かけている間になにか入っているかもしれない。
たとえば、クーアからの手紙とか。
少しだけ期待してポストを覗いてみたが、空っぽだった。まあ、当然か。そんなに頻繁には届かない。
裏庭を抜けて家に入ってしまうと、子供たちのはしゃぐ声は聞こえなくなった。
私ひとりきりで暮らす広い家は、静かなものだ。バクは静寂を好むので、特に物悲しさといったものはない。むしろ落ち着く。
途中にある寝室のクローゼットに外套をかけてから、まずはキッチンへ。買い物の詰まった紙袋を置いてから、居間と店に向かう。それぞれの暖炉に、魔法で火を入れた。店はまだ開けない。昼食が先だ。
暖炉巡りが終わったら、もう一度キッチンに戻る。暖炉はあるが、長居する予定はない。室内の空気は魔法で温めた。
買ってきたものを片づけてから、皿を用意してオーブンを開ける。出かける前にキッシュを二つ焼いたオーブンは、まだ余熱で温かい。バターやチーズもどき、ベーコンなんかが焼けた香ばしい匂いを纏った空気がふわりと溢れ出した。
オーブンの中に入れっぱなしにしていったのは、昼食分としてカットしたじゃがいもとベーコンのキッシュだ。取り出してみると、魔法で温める必要がないくらいほかほかだった。縁が少しかりかりになっていて、なんとも美味そうである。
簡単に昼食を済ませてから、居間のソファで読書をする。
もう何度も読んだ愛読書の文字を追っていたら、ゆるゆると眠気がこみ上げてきた。本に栞を挟んで、眠気に任せてまどろむ。元々バクはよく寝るのだが、冬は特に眠い。春以上の眠気だ。一日中眠れる気がする。
魔法で空気は温められても、薪がはぜる音は作り出せない。冬ならではの温もりある音を聞きながらの午睡は、ふわふわとして心地よかった。
正直このままだらだらと過ごしていたかったが、そういうわけにもいかない。人里で暮らすからには、仕事がある。壁の時計が二時半を指したところで、仕方なく暖炉の火を消し、読みかけの本を片手に居間を出た。
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