第22話

 クーアは夏生まれだった。奇しくも私から彼女への心を込めた第二の贈り物である旅装束が、彼女の誕生日プレゼントとなった。


「へえ、こんな可愛いのよく見つけてきたねえ。彼氏さんったら張り切っちゃって」

「違う。このサイズはこれしかなかったんだ」

「ねえちょっと、それどういうこと! 適当に選んだわけ?」

「いや、そうではない。そうでなくてだな……」


 今日は、店を臨時休業にした。クーアの誕生日なのだ。大切な者の誕生日は、魔物だってめいっぱい祝いたい。


 私はというと居間で、からかうキールと、衣装のお披露目をしたばかりなのに腹を立てているクーアとの板挟みに遭っていた。


 キールをあしらえば、クーアが怒る。

 クーアをなだめれば、キールがからかう。


 ああもう、面倒くさい。


 そういえばハルピュイアの悪夢って、あまり食べた気にならない雲のようなものだったな。いやもうこの際だから、全ての夢を食べて暫くキールを黙らせてしまおうか。クーアの悪夢はちゃんと欠片を残す約束なので、失神させるならキールの方だ。

 でもなあ、一応これからクーアの世話を頼む友人だしなあ。


 ああ、付き合いって大事なのに、本当に面倒くさい。


 両脇からああだこうだと言われながらも、私はクーアが存外元気なことに安堵していた。記憶の遺産を交換し合って互いの気持ちを確認はしたが、実は直前まで、クーアが本当にキールと会ってくれるか不安でたまらなかったのだ。だが、それは無用の心配だった。クーアはこのイリュリアを離れる覚悟は、とっくに出来ているらしい。ほっとすると同時に、一抹の寂しさも覚える。

 キールは一度イリュリアを出たら、次はいつ私の店に立ち寄ってくれるか分からない。今回だって私が手紙を出さなければ、来てくれなかっただろう。そんな友人は、ひょっとしたら、私が手紙を書かないかぎり二度と姿を現さないかもしれないのだ。

 そんなキールにクーアを託して、なにより私が大丈夫なのか。クーアがいる生活にすっかり慣れてしまったものだから、今更になって彼女と離れるのが少し怖かった。


 クーアもクーアで、本当に大丈夫だろうか。


 洗濯はできるから服には困らないはずだが、洗剤を多く入れ過ぎて惨事になってしまわないだろうか。そのへん一帯を泡まみれにしても、私は片づけてやれない。

 食事は問題なく作れるのか。キールが妙なものを食べさせることはまずないとは信じているが、毎日ちゃんとまともな食事にありつけるだろうか。飯抜きのクーアの姿など、あの牢屋の中だけでたくさんだ。

 クーアは風の扱いに長けているが、いまだ浮遊系の魔法は使えない。キールのように翼を持たない彼女は、どんな険しい道も歩くしかない。その華奢な体で、あてのない旅になど耐えられるだろうか。転んで怪我をしてしまうかもしれない。簡単な止血魔法は教えたが、本格的な治癒については教えていない。クーアには残念ながら治療に関する適正がなさそうだったから、教えるのを諦めた。彼女がどんなに痛いと泣いても、私がすぐに行って治してやれない。

 なんだかんだ世話焼きなキールがクーアを色々助けてくれると思うものの、もしも彼と離れ離れになるような状況に陥ったとき、クーアは己自身を助けられるのか。

 まさかとは思うが、またセイレーンとして捕まってしまったりは……ああ、そのときは私が助ければいいのか。あの日のように闇の中で彼女の悪夢の匂いを辿り、助けに向かえばいい。


 キールがついているから問題ないと何度も自分に言い聞かせるものの、心配事が次から次に湧き出てどうしようもない。だがキールにクーアを預けようと考えたのは、私自身だ。

 今まで逃げる生活しかできなかったクーアは、今一度その目で世間をまっすぐ正面から見る必要がある。その上で、経験を重ねて成長したクーアがまた私の家に戻ってきたいと考えたのなら、そうするといい。きっとその頃には、このイリュリアでも『羽なしセイレーンの呪い』の噂は風化しているはずだから。


「おいエル、顔面体操なんかしてどうした?」

「顔の筋肉攣ったんじゃない? 普段から愛想よく笑ってないからよ」


 キールとクーアから言われたい放題である。この二人には、私がどれほどの不安を抱えているかなど伝わるまい。悪夢としてお裾分けしてやってもいいが、それをするほどのメリットは私にないのだ。それにただ勝手に心配しているだけだから、分かって貰わなくても構わない。


「なんでもない。陸も海も、鳥というものはぴいぴいやかましいなと考えていただけだ」

「鳥って言うな!」


 キールに脛を思い切り蹴られた。それを見てか、クーアも私を叩く。バクというおとなしい魔物をよってたかってしばいて、何が楽しいのだ。理解に苦しむ。それともそれが鳥のコミュニケーション方法なのだろうか。


「よし、決めた! 今から旅に出る!」

「はああああ?」


 冗談かと思ってキールを見るが、その表情は自信に満ちた笑顔を浮かべている。私をからかったり、ましてや嫌がらせで言っているようには見えない。キールは本気だ。


「風が呼んでるんだ。行こう、クーアちゃん」


 キールが手を差し出す。これにはさすがにクーアも困惑したようで、私を見上げてきた。目深に被ったフードから、光が揺らめく蠱惑的な紅の瞳が覗く。


「だそうだ、クーア。準備をしろ。こいつは風に呼ばれたら、それに従う者だ。止めようとしても、言葉など何の意味も持たない」

「でも……」

「安心しろ。私は悪夢さえ辿れば、いつだって必ずきみのもとへ辿り着ける。不安を感じる必要などない」

「そうじゃなくて、まだあなたの作ったお昼ご飯食べてない」

「……は?」


 おいクーア、私のことを料理人かなにかと勘違いしていないか。一応私はこの家の主人だぞ。きみを助けたバクなんだぞ。便利な道具扱いなどしていないだろうな。


 思わず感情的になりかけた私の気持ちを、げらげらと大笑いするキールの声がぽっきり折る。なんだかこの笑い声を聞いていたら、色々とどうでもよくなってきた。


「たしかに、腹が減ってたら旅どころじゃないもんな。いいぜ、そういうの大好きだ。んなわけだからエル、三人分の昼飯頼むわ」

「何だ、キールも食べるのか。粟でいいか? すまんが常備していないから、今から市場で買ってきてやる」

「だから鳥扱いすんな!」


 私はもう一発、キールの蹴りを喰らった。酷い、酷すぎる。だがまあ、クーアのことを頼めるのは彼くらいしかいないのだ。仕方ないので、私はわざとらしく大きなため息をつくと、キッチンに向かった。

 これから旅に出る二人の腹持ちを考えると、どっしりしたものがいいだろうか。小腹が空いたらキールはそのへんを這う青虫でもなんでも食べればいいが、クーアがかわいそうだ。せめて旅立ちの日の食事くらいは、しっかり食べさせておかなければ。


 なんといっても、今日はクーアの誕生日だ。


 美味いものを、腹いっぱい食べさせてやろうじゃないか。

 今にも旅立ちそうなキールがいるから、手の込んだものは用意できないのだけれど。


 そう考えたから、私はベーコンたっぷりで山盛りのカルボナーラを作った。もちろんちゃんと普通のチーズを使っている。クーアが旅立つのなら、普通のチーズが家にあっても無意味だ。だから残っているチーズを全部入れて、特別濃厚にした。


 せっかくなので、私も二人に合わせて普通のチーズで作ったものを食べようと用意した。いくら悪夢を辿って会いに行けるとはいっても、クーアと食事を共にする生活はこの昼食で一旦終わりだ。今夜からは、また私はひとりの食卓に戻る。いつ帰ってきてくれるか分からない彼女と同じものを食べて、温かで優しい記憶の遺産をひとつでも多く増やそうと思った。


 さすがに日頃から旅をしているとあって、キールはよく食べる。一番多く盛りつけたのに、食べ終えたのも一番最初だった。こいつは昔からこうだ。食事がとにかく早い。でもそれを言ったところで、「エルはのんびり屋だからなあ」なんて言われるだけだ。

 クーアは残すかと考えていたが、ぺろりと食べ終えた。腹をさすっているから苦しいのかと思いきや、目深に被ったフードからちょっと覗いている口元は、にっこり笑っている。クーアが満足してくれたのならよかった。よく食べるのは、元気な証拠だ。それに、クーアの為に作った料理で彼女が喜んでくれるのなら、私も嬉しい。

 「好きな相手はまず胃袋を掴むのよ」とは、私の中にある母の記憶の遺産からの言葉だ。


 なるほど。

 生活に強く根差しているのだから、食べ物に関するものは強い記憶になる。美味いもので幸せな記憶を刻み込んでやれば、想い人はそれが食べたくてまた戻ってくるというわけか。


 もしもクーアが旅先で私の料理を思い出して、食べたいと願ってくれるのならいいのだけれども。

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