第20話

「そりゃあそうだ、おまえが悪い」


 クーアと喧嘩したままの翌日。私の店を訪れた友人のキールはロッキングチェアに腰かけ、げらげらと大笑いしていた。彼の声はよく通るが、もちろんその声は空間を切り離しているクーアの部屋には届かない。幸いである。


 キールは、男のハルピュイアだ。背中に大きな金色の翼をもつこの人型の陽気な魔物は、人里でもよく見かける。キールはハルピュイアの明るすぎる性格をよく表現した金色の短い癖毛に、緑色の羽根つき帽子を被っていた。同じ緑色の旅装束はいつでも小綺麗で、とても日頃旅暮らしをしているような様子は見られない。まあ、それだけ服装に気を遣っているという証だ。


 その昔人間の間では「ハルピュイアは女しかいない」などと言われていた時代もあったが、もちろん男もいる。狩りに出かける役割を女のハルピュイアが担い、男のハルピュイアは巣や子供を守っていたから人目に触れなかったという、それだけの話だ。今ではハルピュイアも人里に住むようになり、とびきり甘い夢を売る夢屋をしていたり、歌が上手いという種族の特性を活かして暮らす者が多い。

 その中でキールは、吟遊詩人として旅をするハルピュイアだった。実家も旅のサーカス一座という彼は、現在はひとりで気ままに旅をしている。あまりにも気まま過ぎて、旅の途中で届いた私の手紙に返事もよこさず、突然店に現れるくらいだ。


 私はクーアに海を渡らせることは不可能だが、近しい種族を紹介できる。

 ハーフセイレーンであるクーアにはキールの背中にあるような立派な翼はなくとも、甘い夢を振りまくのが得意という種族特性は同じだ。風と相性がいいという点も一緒なので、クーアが魔法で困ったときはキールが手本にちょうどいい。それにどんなに自由気ままと言っても私との約束を破った試しがないキールならば、なにを終わりとするのかも分からない旅の仲間として、クーアを安心して任せられると思ったのだが……。


「命の危機からドラマチックに助け出して、せっせと面倒見ながらひとつ屋根の下で暮らしてたんだろ?」

「完全にひとつ屋根の下ではない。一応クーアには、別空間を与えている」

「だとしてもだよ」


 ひとしきり笑って満足したのか、キールはぎいぎいとロッキングチェアを揺らしながら言葉を続けた。


「そのクーアちゃんにしてみれば、おまえは充分惚れるに値する対象なんだよ。だっておまえが助け出してから、クーアちゃんは誰とも会ってないんだろ? 毎日まめに面倒見てくれて、律儀に家事や魔法の練習に付き合って、上手くできたら褒めてくれて、失敗しても励ましてくれる。そんな相手、好きにならないわけがない」

「そういうものなのか」

「そういうもんだよ。どうせ夢屋からは、いつもの猫の悪夢しか買ってないんだろ? お気に入りもいいけど、たまにはとびきり甘い夢でも買って食べておけよ。おまえはほっとけばずっとネムノキのそばにいてばかりだから、誰かの心に踏み込む方法を知らなさすぎる。そのせいで、年頃の娘の柔らかい心を深くふかーく傷つけたというわけだ。花束のひとつでも買って、おまえから謝るのがいいと思うね」


 花束。クーアはそんなもので喜ぶだろうか。どちらかというと、好物のラザニアを大盛りで作った方が喜ぶ気がする。

 そんな私の考えは、キールにはお見通しだった。


「あ、おまえ今食べ物でクーアちゃんの機嫌取ろうとしただろ? 恋する乙女の心は繊細なんだ。悪いこと言わないから、花束かアクセサリーにしておけ。おまえの料理が美味いのは知ってるけど、今必要なのは雰囲気ってもんだ」


 こと恋愛に関しては、失敗談の悪夢を喰らってばかりの私よりも、甘いロマンスを歌い上げるキールの方が詳しいようだ。


「それからな、エル。おまえは自分の容姿にもちゃんと自覚を持て」

「なんだ? どこか不潔そうに見えるか?」


 夢喰屋をするからには、どこに出ても恥ずかしくない程度に清潔さを保っているつもりだ。ロッキングチェアのそばに立ったまま己の服装をきょろきょろと確認していると、キールがため息をついた。だから何なのだ。


「違う、逆だ。モテる顔してるんだから、誤解を与えるような行為は慎めって言ってるんだよ。気をつけておかないと、この先クーアちゃん以外ともこじれるかもしれないぞ。女の復讐は執念深くて恐ろしいからな。用心しとけ」


 そんなことを言われても、困ってしまう。夢を扱うバクにとって容姿を変える魔術など使うのは簡単だが、維持する為の魔力はなかなかの量が必要なのだ。楽をしようと思ったら、私もクーアのようにフードでも被るしかない。


「とりあえず、あれだ。俺とクーアちゃんが会うのは、おまえらの問題が解決してからだな。暫くはイリュリアにいるから、なにか進展があったら教えてくれ。いつものレンブラントの宿にいるから」

「暫くとは、どれくらいだ?」

「さあな。風にでも訊いてくれ」


 反動をつけて、キールが飛び立つ。こんな狭い店内で、その大きな金色の翼でもって羽ばたかないで欲しい。ああほら、羽毛が舞っている。私のそんな心など知らないであろうキールが、優雅に着地を決めた。


 目立つ羽根つき帽子だけでは物足りないのか、胸に赤いバラを飾り、いつでも愛想のいい笑顔を浮かべているキール。そんな洒落者で陽気な彼のような者の方が、恋の相手としては最適だろうに、クーアはなぜ私なんぞを好きになってしまったのか。ハーフセイレーンの好みが分からない。


 いや、それはお互い様か。


 私だって、なぜクーアを好きになったか分からない。


「そうそう、ひとつ言っておくよ」


 店のドアを開けたまま、キールが振り向く。


「恋愛の前には、理屈など無意味だよ。夢の赴くまま、重なり合うまま。ただその方向に流れるのが一番だ。じゃあな」


 明るい昼間の通りに、キールが出ていく。

 ドアが閉まり、からんころん、とドアベルが軽い音を鳴らした。


 キール、頼むから散らかした羽毛を片づけていってくれ。


 風で羽毛を片づけてから、私はそのままいつもより早い閉店作業にとりかかった。

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