第18話

 他にクーアを匿う上で困ったことといえば、毎日必ず料理をする必要があることくらいだろうか。それも、うっかり悪夢を入れないように気をつけなければいけない。バク以外が悪夢を喰らえば腹を下すというのは、本当だからだ。

 クーアは見た目こそ華奢だが、結構食べる。なんなら朝は、私よりもしっかり食べる。クーアと暮らし始めるまでは猫の悪夢を溶かし入れた紅茶だけで過ごしていた私は、毎朝彼女の為にせっせとサンドイッチだの目玉焼きだのといったものを作る必要があった。


 そうしてクーアと過ごし始めて、二ヶ月が過ぎた。


 店の営業が終わり、二人分の夕食を作り終えてから、店と家の間にあるドアを七回ノックする。そうして合図してから開けた瞬間、


「最低! なんで着替え中に勝手に開けるの!」


 ぼすっと枕が飛び出してきた。そして、ドアが閉められる。


 いや待て、私は悪くない。なんでこんな変な時間に着替えなんかしているのだ。クーアはいまだひとりで風呂の用意ができるレベルではないから、魔術空間に用意した風呂を自由に使っているわけがない。それなのに、なんで着替えが今の時間なのだ。


 それに、クーアが持っている服といえばちょっと焦げた水色のあのワンピースと、私のおさがりである数着のパジャマしかない。一応私の亡母の服が家にはあったものの、小柄なクーアにはサイズが合わなかったから、渡すのを諦めた。それよりは、私が彼女くらいの年頃に使っていたパジャマの方がサイズとしてはましだ。私は背が伸びるのがだいぶ遅かったから、クーアに着せてみたらちょっと大きい程度で済んだ。持っている服のほとんどがパジャマなんだから、別にパジャマのままでいいじゃないか。そうは思うのだが、クーアにとってはなにかが違うようだ。


 もうそろそろいいだろうか。再び七回ノックして、ドアを開ける。今度はちゃんとクーアが出てきた。少し焦げた水色のワンピース姿の彼女は、紅に輝く髪に直しきれなかった寝癖が残っている。


 ああ、なるほど。さては昼食の後、長い午睡をしていたな。たしか昼食のとき、クーアはまだパジャマ姿だった。そのままうっかり夕食時になってしまって、慌てて「自分はちゃんと起きて、魔法の練習をしてましたよ」というアピールの為に着替えたかったのか。


 クーアと共に食卓へ向かい、ランプに灯っていた火を消す。


「クーア、明かりをつけてくれ。ランプでも、照明魔術でも、どちらでもいいから」


 この二ヶ月の間、包丁の使い方と初歩的な火の魔法、そして緊急時に使う照明魔術を、クーアに教えた。きちんと練習をしていたら、そろそろできるようになるはずだ。

「どっちでもいいの?」

「ああ、どちらでも構わん。このままだと食事ができない。なにか明かりをつけてくれ」


 暗がりの中、クーアの髪と双眸だけが紅に輝いている。暫し逡巡するように視線を泳がせた後、つい、と彼女が片手を動かした。細い指先が、ランプを指している。火をつけるつもりらしい。


「はっ!」


 気合一発、クーアが魔力を放出する。


 ランプから派手に炎が上がり、ガラスが砕け散った。


 消火用に、私が水を呼び出してランプに浴びせる。上がった火柱は天井を僅かに炙ったものの、無事消えた。


「うん、昨日よりはいい。明日はもう少し火力を抑えるように」

「はい……」


 昨日のクーアはランプの外に火をつけ、テーブルごと夕食を燃やしかけた。的に命中しただけ、ましになった。古いランプを買い替えるいい機会だったと思うことにする。


 今日の室内の照明は、私が点灯させた照明魔術だ。ずっと支え持ったままというのも落ち着いて食事ができないから、作った光球に浮遊魔術を重ねがけして空中に浮かせる。蛍みたいだ。私はいくつも小さな光球を作ると、あちこちに浮かべた。これはこれでいいかもしれない。


「安心しろ。だらだら午睡をせず練習していれば、そのうちできるようになる」


 ガラスの破片を風で集めてゴミ箱に突っ込むと、私はクーアと共に食卓についた。

 別に、今すぐ魔法を使えるようになれとは言わない。そのうちでいい。町の噂がもう少し収まらないと、どうせクーアは外に出られないのだから。


「今夜はラザニアだ。好きか?」

「好き!」

 さっきまでのしょぼくれた様子はどこへやら、クーアが表情を輝かせた。よくもまあ、そんなにころころ表情が変わるものだ。


 だが、私とて彼女と同じ年の頃はそうだったかもしれない。私が子供扱いされていたのはそんなに昔の話ではないはずなのに、いつの間にか性格が落ち着いてしまったようだ。たぶん、一人前の夢喰屋として自立したせいだ。


 それに、両親や祖母といった近しい者たちを喰らったのも私だ。


 バクは死ぬとき、一塊の夢になる。いい夢も悪い夢も、全てが混ざった塊だ。

 その記憶の遺産を食べ尽くすことで、バクはどんどん技術や歴史を受け継いでいく。私は一人息子だったから、両親も、祖母も、私が喰らった。

 家族を喰らってしまった私は、ひとりきりでこの家に暮らしてきた。そこへ私が助けて連れ込んだとはいえ、クーアという異分子が入り込んできたのは、なんだか久しぶりに家族というものが出来たようで、少し楽しかった。


「エルクラートさん、こっちが本当にあたしの分?」

「ああ、間違いない。ちゃんと容器ごと別にして作った」


 先週誤って私の分の食事をクーアに食べさせてしまい、その結果彼女は見事に腹を下した。その件があったから、今夜のラザニアもちゃんと容器の段階で区別して作ったのだ。


 クーアが食べるものは、赤い縁取り。

 私が食べるものは、青い縁取り。


 そんなふうに全ての食器類を区別して、少しずつ揃え直した。


 本当ならばクーアに新しい服も買ってやりたかったが、今はまだ駄目だ。あまりにも一度に買い物をしては、私の生活に大きな変化があったという妙な噂が発生しかねない。それでなくても、金の小鹿亭のマルセルには「恋してるって顔ですねえ、いいですねえ」なんて疑われているのだから。


「エルクラートさんって、彼女いないの?」


 クーアの無遠慮な問いに、私は口にしたばかりのラザニアを噴き出すところだった。


「なんだ、いなくて悪いか」

「やっぱりいないんだあ」


 クーアがにやにやと笑う。


「こんなに料理上手なのに、もったいなあい」

「料理くらい誰でもできるようになる」

「あたしも?」

「そうだ。もしもこのラザニアがいつでも食べたければ、まずは芋の皮むきで指を切らない程度になるんだな。あと、火の扱いにも慣れてくれ。さすがに毎日あちこち焦がされては、そろそろ我が家の一部が崩れる」

「エルクラートさんって綺麗な顔してるのに、本当に性格が最低」

「お褒めの言葉ありがとう」


 相変わらずクーアからの評価は「最低」から変わりないが、特に気にならない。彼女が私をなにかしら評価してくれるのだから、それでよかった。

 それに私は、クーアに好かれたくて世話をしているのではない。ハーフセイレーンとして生きていく上で困らないよう、彼女の両親が教え損ねたことを教えているだけなのだ。


 そう、同じ『魔物』という立場のよしみで。


 ただ、それだけだ。


 それだけなのに。


「へえ……エルクラートさんって、そんなふうに笑うんだ」

「バクにも表情筋があるからな。たまには笑いもする」


 なぜクーアと共にいると、こんなにも温かな気持ちになってしまうのだろうか。

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