三章 記憶の遺産

第17話

 クーアの事件後、街中の魔物たちのところを衛兵が訪ねてきた。もちろん私の店も例外ではない。クーアを匿っていないか中をあらためさせろと、朝早くから店の入り口のドアを殴って叫び、開けてやるとずかずか店に踏み込んできた。町にはびこる『羽なしセイレーンの呪い』という不名誉な噂を払拭したい彼らは、こちらの都合など気にかけてくれない。「ここにはいない」という私の言葉ですら無視して、店どころか家まで勝手に調べられた。


 店先で対応した私は、嘘など言っていない。もちろん本当なのだから、店内に巡らせている嘘探知の魔術は反応しなかった。クーアは、店はもちろん、家にもいないのだ。どんなにベッドをひっくり返されても、物置を荒らされても、いないものはいない。


 店内と宅内を憂さ晴らしのように荒らすだけ荒らすと、衛兵たちは去っていった。自分たちの都合で散らかしたのだから、片付けくらいしていって欲しいものだ。結局私は彼らの後片付けをする為に、その日は臨時休業する羽目になった。


 私の巣で好きにしていいのは、私だけだ。それをこうも荒らされると、いくら温厚なバクとはいえさすがに苛立ちを覚える。


 もちろんそんな衛兵たちの対応に腹を立てた魔物は私だけではなかったから、金の小鹿亭で夕食がてら愚痴を言い合った。魔物も税金を納めているからには、自由に文句を言う権利くらいある。衛兵を撃退したり、一丸となって領主様を襲撃しないだけ、まだましだと思っていただきたい。


 それにどんなに探しても、クーアは見つからない。


 なぜなら彼女は、この世界にはいない。


***


 店と家を繋ぐドアを、七回ノック。するとひとり暮らしの我が家ではあり得ない返事が聞こえてくる。


 ドアを開けると、そこは私がクーアの為に作った魔術空間だった。いくら私の家に空き部屋があろうとも、そんな場所に匿ってはすぐにばれる。私はそれほど浅はかではない。


「お疲れ様、エルクラートさん。今日のお仕事は終わり?」


 若干焦げ跡が目立つワンピース姿のクーアが、私を見て椅子から立つ。魔術空間の中はひとり暮らしができるように家らしく作っていたから、クーアのいる場所は一見ごく普通の居室だ。


「ああ。風呂の準備をしに来た。それと、魔法の練習だ」

「いつものあれ?」

「そうだ」


 床に座り、足を広げてクーアが入れるくらいのスペースを作る。


「来い、クーア」


 呼ぶと、クーアはなにやらモジモジしながらもおとなしくやってきた。私に背中を預けて座ってくる。


「手を」

 右手を差し出せば、クーアは私の手に自分の白く細い手を重ねた。その状態で、私はクーアの体に自分の魔力をゆっくり流し込んだ。クーアの中で広がる私の魔力が、彼女自身の魔力をゆっくり呼び起す。


 クーアは魔物なら知っている初歩的な魔法を知らなかった。ついでに言えば、クーアは料理が一切できない。

 食料さえ差し入れてやれば不自由のない生活ができるように魔術空間内は作ったのだが、クーアはそれを活かせなかった。


『だって……包丁とか火は危ないから、触っちゃだめって言われてたし』


 クーアを救出した日、そう言い訳をしていたクーア。その様子からするに、両親には相当過保護に育てられたらしい。

 よくこんな人としても魔物としても未熟な状態で、あの大きな悪夢を抱えながら、アーサーを連れてイリュリアまで旅をしてきたものだ。


 クーアの魔力の動きが大きくなる。華奢な体が温かい。


 ひとつも魔法を使えないクーアは、魔力を使う感覚というものをそもそも知らなかった。そうなると、まずは体に魔力が流れるというのはどういう状態なのかを教えなければいけない。

 その為私は、クーアを匿ってから毎日こうして彼女と魔法の練習をしていた。私も子供の頃は、親にこうして魔力の使い方を教えてもらった。懐かしい気分がよみがえる。


「クーア、火をイメージして。ロウソクに灯る小さな火だ。温かい、ゆっくり揺れる、ロウソクの火」


 クーアの意識を操作する。


「ほら、小さな火が、指先にも」


 瞬間、クーアの体を魔力がはしる感覚があった。私の魔力を辿るようにはしった魔力がクーアの人差し指へと流れて、その指先にぽっと小さな火を灯す。


「上手いぞクーア。そのまま三秒キープ。三、二、一、よし」

「ぷはあっ!」


 クーアの指先に灯っていた火が消え、彼女が大きく息を吐く。


「また息を止めていたのか」

「集中してると止まっちゃうの」

「その癖は早いうちに治してくれ。初歩の魔法を使って死なれたら、助けた意味がない」

「分かってるけど……」

「分かってるならいい。忘れなければ、そのうちできるようになる」


 補助さえあれば、クーアは魔力を制御できる。いまはまだその補助の力が大きいが、この練習に慣れてくればそのうち息も止めなくなるし、ひとりで火をつけられるようにもなるだろう。この魔術空間が必要なくなる頃には、ひとりで風呂の用意くらいできるようになるはずだ。


「風呂の用意をしてくるから、少し休んでいるといい。入浴したら、夕食だ」


 クーアを椅子に座らせて、魔術空間の浴室に向かう。魔法で湯を満たして、私はクーアの為の空間を出た。

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