第16話

 今朝の紅茶には、猫の悪夢をほんの少しだけ多めに入れた。今から盛大にやらかすのだから、それくらいの贅沢は許されてもいい。いつものように窓辺のソファでゆっくりそれを飲んでから、身支度を整える。店はもちろん開けない。私の店は営業時間を厳格に定めていないから、開いていなくてもなにも不自然ではなかった。


 全ての用意が整った状態で壁の時計を見ると、時刻は午前八時半。


 クーアの公開処刑まで、あと三十分だ。


 そろそろ出発しよう。


 白と黒のツートンカラーが特徴的なバクのローブをマントのように羽織ると、私は家の裏口に向かった。今、私の姿は誰にも見えない。表通りに面している店の入り口から出たら、無人で開閉するドアが目立ってしまう。出るのならば、裏口だ。

 透視魔法でしっかり人通りがないのを確認してから、私は外に出た。うっかり人にぶつからないよう、浮遊魔術を使って広場を目指す。特に何の術も施されていない屋外ならば、魔法は使い放題だ。それに浮いていたとしても、今の私は『視えない』のだから、誰の邪魔にもならない。


 大広場に向かうほど、どんどん人が増える。おそらく皆、人間だ。魔物が処刑されるのを好んで見物しに行くような魔物はいない。私たち魔物は、程度の差はあれども、命を奪う行為を娯楽として享受できるほど残虐ではないのだ。


 今大広場を目指している人々のお目当ては、『羽なしセイレーン』だ。


 本物のセイレーンに海で遭遇すれば、高確率でその船は遭難する。安全な場所から生きているセイレーンを眺められる機会など、滅多にない。珍しい生き物を観に行くような感覚で、大広場へと足を運んでいるのだ。


 子供を肩車した親子の姿もある。「悪いことをしたらああなるんだよ」と、子供に教えるつもりだろうか。子供にあんな残酷なものを見せる精神が、私には理解できない。


 もちろん人間の全てがそうではないと、分かっている。分かってはいるのだが、やはりこうして人間が大広場に集う光景を見ていると、複雑な気分になってしまう。


 結局人間と魔物は違うのだな、と。


 普段ならば市場で賑わっている大広場だが、屋台は片づけられ、中央には祭壇のように処刑場が用意されていた。どっしりとした太い柱に、華奢なクーアが縛りつけられている。風にそよそよとなびく長い髪は、陽光を浴びてもなお自ら紅に輝き、きらきらと光の粒を振りまいていた。こんなものが海上で見られたのなら、幻想的な姿に心を奪われるだろう。そして出来た一瞬の心の隙に、セイレーンが気ままに歌い振りまく甘い夢が滑り込んできて、幸せのうちに遭難する。


 でもそれは、本当にセイレーンが悪いと言えるのか。セイレーンはただ生を謳歌しているだけなのに。


 クーアの膝あたりまで、薪が積み上げられていた。火あぶりにする気なのだ。

 クーアからほどよく距離を保って並んだ衛兵たちが、自分たちが維持している輪の中に入らないようにと群衆に声をかけている。


 やがて、時間になったのだろう。ついにこのイリュリアの領主様が、姿を現した。堂々たる振る舞いでクーアの前に立った領主は、中肉中背、仕立てのいい服を着たごく普通のおっさんだ。若干服に着られている感が否めないが、彼こそがこの港町イリュリアの統治者である。左右には、たいまつを持った衛兵をひとりずつ従えていた。

 そんな領主様が、群衆に向けて言葉を発する。


「諸君、見るがいい! これが『海の魔女』だ!」


 いや、おまえが邪魔で見えない人々がいる気がするんだが。人間たちの上でふわふわと浮きながら、私は直感的にそんな感想を抱いた。演説慣れした声の領主様がクーアの真正面に立っているせいで、クーアの姿は群衆から見えにくい。その証拠に、クーアの正面に陣取っていた群衆たちがうぞうぞとうごめいて、クーアが見える位置を探している。


「翼を失ってもなお善良なる船を沈めようと画策した、大罪を背負いし者である!」


 善良なる船ではないぞ。密航船だ。そのへんは間違えないでいただきたい。あとクーアは船を沈めるような力は持っていない。


 ああ、でもこの領主様はひとつだけいいことをした。クーアの存在を示す言葉として、『魔物』という単語は使わなかった。一応人間と同様に税金を納めさせている都合上、この領主様はイリュリアに住まう魔物に対して最低限の配慮をしてくれているようだ。


「これより、聖なる炎を用いて、この『海の魔女』の罪を清める! 反対する者はいるか!」


 はい、ここにいます。魔物代表として、心の中で挙手をする。ちなみにもちろん群衆からは、反対の声など上がらない。当然だ。皆それを見る為に、この場所へ来たのだから。


「では、賛同する者はいるか!」


 領主様の声に、今度は群衆たちが沸いた。もう、朝からうるさ過ぎる。どうして人間は群れるとこうも元気を爆発させるのだ。熱狂渦巻く歓声に、私はうんざりした。


「我々を陥れんとした『海の魔女』に、裁きを!」

 領主様はそう言うと、その場から離れた。なるほど、彼専用の観覧席が用意されているようだ。高価そうな椅子が、クーアを正面から見られる位置に置かれている。


 たいまつを持った兵士たちが、クーアの周囲に積まれた木材へと火を灯していく。じわじわと細い煙が上がり始め、やがて鮮やかな火色が新芽のようにあちこちから芽吹いた。


 視線を足元に落としていたクーアが、さすがに身じろぎをする。少しでも炎から逃れようとしているが、そんなもの無駄だ。熱いのは辛いだろうが、今暫く我慢してもらうしかない。


 まだだ。もっと燃えてくれ。魔法で大火にするのは容易だが、今はまだ自然に燃えてくれないと困る。少しは真実を織り込んでおかないと、嘘はすぐに露見するのだから。


 薪を舐め始めた炎が、徐々にクーアへと迫る。炎はどんどん成長し、クーアを取り囲んだ。すっかり見慣れた水色の服に、ぽっ、と火が点いたのが見えた瞬間。


 私はクーアを中心にして、竜巻を発生させた。魔法で起こした急激な竜巻が炎を飲み込み、激しい火柱へと成長する。強風にあおられ、よく燃えている薪の破片が周囲に飛散した。頭上から降り注ぐ火の粉に、群衆から悲鳴が上がる。


 その隙に、私は上空から竜巻のど真ん中に突っ込んだ。熱いが、竜巻の中は燃えていない。火はあくまでも風によって高く巻き上がり壁のようにクーアを隠し、薪の欠片と共に群衆へと降り注いでいる。風の壁のおかげで、クーアはしっかり守られていた。


 服についていた火を叩き消し、彼女を拘束している縄を見る。彼女の手の先が鬱血するほどきつく縛られ、解くのは困難そうだ。


 ええい、面倒だ。


 どうせ火の中に置き去りにして燃やすのだから、ご丁寧に解く必要などない。私は自分の指先にもうひとつ風を発生させると、それを凝縮して風の刃とした。助かるのなら、少しくらい怪我をしてもさすがのクーアも怒るまい。刃でひと思いに縄を切り裂くと、私はクーアを抱え上げた。


「腹から叫べ、クーア!」


 素直に応じたクーアのその叫びが、風に乗る。その声はまさしくセイレーン。気高い鳥のような、立派な声だった。


 炎を周囲にまき散らしている暴風に、昨晩集めておいた適当な悪夢を混ぜる。食材の姿から黒い煙の姿へと戻したそれは、燃え盛る暴風に呑まれて面白いように拡散していく。

 丁寧に削ってごちゃ混ぜにした人間たちの悪夢や、酔っ払いに蹴られた街路樹の悪夢、ちょっとしたことでこっぴどく怒られてへそを曲げた馬車馬の悪夢が、炎と共にばらまかれ、群衆から更に絶叫が響いてきた。この場所に来たからには、皆刺激に飢えているはずだ。目覚めたまま悪夢を見るのは、なかなかできないスリリングな体験だ。皆、存分に味わうといい。


 このショーには、私がせっせと税金を納めている領主様も満足してくれたはずだ。


 『死に際に悪夢を振りまいた羽なしセイレーン』の公演は、大成功といえる。私はクーアを抱いたまま、その場を帰還魔法で離れた。


 もちろん、私たちが術の向こうへ消える寸前で、暴風を消すのも忘れない。屋外においては、即座に対応しないかぎり術痕を探すのは困難を極める。それでも念の為だ。


 たまたま誰かに術痕を調べられでもしたら、私の身まで危うくなるのだから。


***


 帰還魔法の記録先は、我が家の寝室にしている。無事そこに到着すると、私は抱えていたクーアをベッドに放り投げた。飯抜きの小柄な娘だからと侮っていたが、意外と重かった。クーアが小さな悲鳴を上げたようだが、気にしない。彼女を助け出すという目的は達成したのだから、別にいいと思った。


 白と黒のツートンカラーが特徴的なバクのローブをクローゼットにしまい、一息つく。うむ、我ながらいい仕事をした。猫の悪夢を少し多めに摂っただけある。なんならもう一杯あの茶を飲んでも許されるかもしれない。


 そんなうきうきとした気分でクーアの方に向き直った、直後。


「なんでもっと早く助けてくれないのよ! 本当に焼け死ぬかと思ったじゃない!」


 半泣きのクーアに、思い切り腹を殴られた。解せぬ。なぜ約束どおり助けたのに、殴られるんだ。

 腹を抱えたままうずくまる私と、体力が切れてふらふらと床に倒れるクーア。そんなまぬけな光景が、暫し繰り広げられる。


「きみは『ありがとう』という言葉を知らないのか?」

「知ってるわよ! 知ってるけど、まず先にするのは抗議よ!」

「酷いものだな。こちらは危険を冒してまで助けてやったというのに、労いの言葉ひとつ貰えないとは。腹を空かせていると思って作ったハムサンドは、私がひとりで食べるとしよう」

「助けてくれてありがとう、エルクラートさん」


 食べ物の力は偉大だった。


 壁を伝ってなおよろめきながら、廊下を歩くクーア。手を貸して欲しいと言われなかったから、私は彼女をそのままにしておいた。それでも食への執念のおかげか、クーアは無事にハムサンドの山へと辿り着いた。私がどうぞと勧めるより先に、彼女が勢いよく食べ始める。


「もう少し落ち着いて食べろ。胃腸を慣らさないと吐くぞ」

「分かってる、分かってるけど……! 美味ひい……!」


『マヨネーズ代わりに悪夢を塗っているから、あまり食べると腹を下すぞ』


 そう言おうと思って、私はやめた。


 ぼろぼろ泣きながらむっしゃむっしゃとハムサンドを夢中で食べるクーアの姿を見ていたら、からかう気が失せた。自由に生きられる場所を求めて夢屋の真似事をして金を稼ぐくせに、中身はまだまだ子供じゃないか。


 何の疑いも持たずに、私が作ったハムサンドに夢中のクーア。そんな様子に、私は小さく息をついた。まあ、無事なんだからそれでいいか。私の約束を守り、ずっと助けが来るのを待ち続けていたのだ。今は好きにさせてやろう。彼女のそばに用意していたコップに、水を入れる。


「あまりがっつくと、喉に詰まるぞ」


 言ったそばから、喉に詰まらせたらしいクーアが「うっ」と呻いた。

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