第11話

 もしクーアが本当にセイレーンだとしたら、なぜ翼がないのだ。誰かに切り落とされたとしても、不自然だ。海上で自由気ままに振舞い船の航行を阻害するセイレーンは、『海の魔女』という異名のとおり、恐れられ、同時に疎まれている。

 そのセイレーンを翼だけ切り落として野に放つなんて手間のかかる行為、誰がするだろうか。

 普通ならば、その場で殺してしまう方が安全だ。セイレーンの死骸を誇らしげに見せつける船を、港で見かけた記憶がある。セイレーンは討ち取ってこそ。そして見事討ち取った者だけが、高額で取引される瞳を手に入れられる。


 人間という生き物は、自分に利益がないと分かれば魔物に容赦がない。私のようにバクが人里になじんでいるのは、悪夢を喰らってくれるという人間側のメリットがあるゆえだ。そうでなければ、夢を奪う魔物としてとっくに駆逐されている。


「ところで、きみの翼はどうした?」


 悪夢をいただく前に、確認しなければならない。私の問いに、ロッキングチェアに腰かけたクーアの肩が、びくりと震えた。


「……生まれつきないの」

「奇形か?」

「そうね、そんなものよ」


 直後、店内にけたたましい鐘の音が鳴り響いた。大小無数の鐘が一斉に鳴るその不協和音に、思わずクーアが両耳を塞ぐ。


 この店内で、クーアが嘘をついたという証だ。


 嘘探知の魔術をセットし直して音を消すと、私は再びクーアへと声をかけた。


「もう一度問う。きみが翼を持たないのは、奇形ゆえか? 私の店では、嘘は通用しない。正直に言え」


 私の言葉に、クーアが鋭い視線を向けてきた。そんな生意気な燃える瞳に、私も対抗する。バク特有の金色の瞳は光りこそしないが、表情次第では相手に強い恐怖を与えられる。

 だがそんな私の視線にも屈せず、怒りを露わにしたクーアは口を開いた。


「それを確認してどうするの? あたしのことをこれ以上調べて、気に食わなければ悪夢を食べてくれないってわけ?」

「それも視野に入れての問いだ。答えろ、きみの翼がない理由を」


 クーアがぐっと口元に力を入れる。小さな唇から血色が失われるほど、強く。


「どうせ私に悪夢を喰らわれてしまえば、きみの抱いている秘密など全てばれる。ならば、今のうちに言っても問題なかろう?」


 バクは、喰らった夢の内容が分かる。意地っ張りなクーアが私に喰らって欲しいとせがむほど濃厚な悪夢は、彼女自身の深部にかかわるものに違いない。つまりは、危険な代物だ。だからこそ私の疑問が解消されないうちは、いかに髪や瞳にセイレーンの特徴を有していようとも、彼女の悪夢を喰らう気になれなかった。


 暫し沈黙したまま、対峙する。沈黙が苦にならぬバク相手に、沈黙を嫌うセイレーンが勝負を挑むとは。物を知らないゆえの行動かもしれないが、いい度胸だ。本来バクはネムノキのそばでのんびり過ごすのが好きなので、私はどれだけ静かな時間が続いても全く苦にならない。


 私の予想に従うように、ついにクーアが大きなため息をついた。翼はないものの、甘い夢を振りまき歌うセイレーン同様、沈黙には弱いとみえる。なるほど、クーアに対してこの精神攻撃は有効なのか。覚えておこう。


 ため息と共に怒りの感情や涙なども吐き出したようで、クーアは意外と落ち着いた声で話し始めた。


「あたし、ハーフセイレーンなの。お父さんが人間で、お母さんがセイレーン。半分しかセイレーンじゃないから、羽もないし、夢を振りまくこともできないの。でも半分だけセイレーンだから、小さな甘い夢を与えることはできる。だからあたしがお金を稼ぐには、旅の夢屋のふりをするしかなかったの」


 ハーフセイレーン。初めて目にするその存在を、私は食材として品定めした。

 人間と混ざったからには、その悪夢には食べ慣れたチーズのような味が混ざるのだろうか。いや、どうだろう。人間は通常、セイレーンを疎ましく思っているはずだ。それなのにセイレーンと夢の合う人間となれば、その成分も私が知るものではない可能性がある。

 種族の壁を越えてクーアという子を成したからには、彼女の両親が持つ夢の相性は悪くない。人間同士でさえ夢が合わないときがあるのだから、その部分が私の興味をそそった。


 セイレーンを疎むどころか愛した人間と、その人間を愛したセイレーン。


 そんな二つの夢が重なったハーフセイレーンは、最高の調理が済んだ状態のものだ。もう食材ではない。それは完成された料理だ。


 食べたい。


 素直にそう思った。


「いいだろう。その悪夢、喰らってやる。椅子に体を委ねて、目を閉じるといい」

「今度こそ本当に食べてくれるの?」

「この店の中には、嘘探知の魔術を施している。私はここにいるかぎり、決して嘘はつかない」

「約束よ」

「ああ、もちろん」


 人間同士が小指を絡ませて約束の印とするように、私とクーアは視線を絡ませて契約をした。


 私の言葉に満足したようで、クーアが深く椅子にもたれる。ゆらりゆらりと椅子が揺れ、それに体を預けるように、クーアは輝く紅の瞳を閉じた。


 ハーフセイレーンの悪夢。

 しかも、魂を飲み込みそうなほど、熟成したもの。


 思わず喉を鳴らしそうになって、私はそっと呼吸を整えた。なんでもないふりをしながら、いつも客にしているようにクーアの胸元へと片手をかざし、反時計周りにくるくると撫でるように回す。すると、その胸元からうっとりするほど艶のある真っ黒な煙がたちのぼってきた。完熟している。今が食べ頃だ。


 拳大の大きさにまで悪夢を集めて、私はどうしたものかと少し考えた。悪夢の煙から、なにか物体が漏れ出てくる気配はない。あれか、猫の悪夢のように、中から取り出す方式か。私は人差し指の先を、煙の中にゆっくり突っ込んだ。

 瞬間、指先に強烈な熱を感じて思わず指を引っこ抜く。

 私の人差し指の先には、青白い炎が宿っていた。もう先ほどのような熱さは感じない。まるで冬の星のような青白い炎は、静かに揺らめいている。


 純粋に、美しいと感じた。


 炎のような悪夢は初めてだ。今まで悪夢といえば、全て食べられそうなものの姿をしていた。それなのにハーフセイレーンの悪夢は、炎という到底食べられないような姿をしている。


 鼻先に近づけて嗅いでみるが、明確な匂いと言えるほどの強い匂いは感じない。ただかすかに、果実のような、花のような、淡い甘さをはらんでいた。バクとしての本能は、危険ではないと言っている。いや、それだけならまだいい。かすかな匂いを感じ取り、早く食べたいと暴れ出しかけていた。


 もうこれ以上はこらえきれない。


 我ながら行儀が悪いとは思ったが、私はそのまま指先ごと炎を口の中に含んだ。


 途端に広がる、濃厚な甘味。一気に溶けるようにして舌の上に広がったそれは、チョコレートに似ている。ナッツ系のかりかりとした味わいがほどけ、内側からまるでガナッシュのように、ジャスミンに似た鮮烈な花の香りが溢れ出す。まるで上等な一粒のチョコレートを食べたように感じた直後、私は軽い酩酊感を覚えた。頭の中が液体になったように揺らぎ、体がふわふわと浮いているように心地いい。

 これが、ハーフセイレーンの悪夢なのか。人間とセイレーンをかけ合わせ、熟成させると、こんなにも上等なチョコレートになるのか。


 もっと食べたい。


 本能が求めるが、今日はここまでだ。いくら食べ頃とはいえども、物には限度がある。魂を飲み込もうとしているほど完熟した巨大な悪夢を一度に喰らえば、私とて無事では済まない。一時的に限界を迎えて気を失うという醜態を、こんな場所で晒したくはなかった。

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