第7話

「すみません、押しかけてしまって」


 クーアとは正反対に、申し訳なさそうにするアイラ。クーアに見習わせたい模範的な態度だ。


「やっぱりご迷惑ですよね。すみません、また来ます」

「大丈夫よ。腕利きの夢喰屋であるエルクラートさんなら、絶対今すぐ助けてくれるから」


 店を出ていこうとしたアイラの腕を、クーアが掴んだ。クーアが口にしたあからさまな世辞が私の神経を逆撫でするが、アイラの店には日頃世話になっているという事実がある。


「その悪夢は小さいんだな?」


 もういい、面倒だ。さっさと対応して終わらせてしまおう。


 私はそう考えた。嬉しそうに振り向いたクーアのいいようになるのは癪だが、私の平穏な日常を守るにはそれが一番の近道である。面倒ごとは嫌いなのだ。


 アーサーの一件で実際に行動してみせたように、今クーアたちを揃って店から追い出したところで、開店を待ってまたしつこくやってくる。クーアは諦念というものを知らないのか、それとも執念が強いのか。どちらにせよ、一度噛みついた獲物からは絶対に離れないかのような生き物だ。そんなものに周囲をうろちょろされたのでは、全然落ち着かない。


「アイラさん、念の為確認するが、その悪夢は犯罪行為とは無関係だな?」

「はい。犯罪ではないと、思います。たぶん。そこまで深い関係ではなかったと思うので……」


 歯切れが悪い。後ろめたさがぷんぷん漂っている。だが嘘探知の魔術は反応しない。こちらを騙すつもりはないようだ。


「目を見せて」


 私はアイラに近寄った。その青い双眸が、不安げに私を見ている。瞳の奥には、悪夢の状態が見えた。なるほど、クーアが言っていたのはこれか。まるで針のような悪夢が、魂に突き刺さっている。抜いてしまえば魂の傷も治る程度のものだが、放置していてはやがてそこから魂が傷んでいく。


「魂に食い込んでいる悪夢を全て喰らうのは、危険がつきものだ。まずはアイラさん、きみ自身に起こる危険。記憶の消去による精神崩壊の可能性だ。次に、私への危険。いい夢を破くほど鋭い悪夢を喰らえば、私だって魂に傷がつき、最悪悪夢に引っ張られて死ぬ可能性がある」


 私の言葉に、アイラが身を固くするのが分かった。


「きみの魂の安全を確保した上で、無事に悪夢だけを取り出し、全て喰らう。それはなかなか高度なものだ。それ相応の対価を払ってもらう」

「い、いくらでしょうか」


 アイラの声が震えている。しかし、それに配慮して優しい言葉をかけるつもりなどなかった。


「全額前払いで、二千オーレル」

「またそうやってぼったくるの?」


 まだ鼻声のクーアが声を上げる。ぼったくるとは失礼な。私は命がけで商売をしているのに、この小娘ときたら気楽なものだ。


「まだ若く小さい悪夢だが、魂に傷が入るようなものだ。それを夢主に何のリスクも与えず取り出し、私に危険を冒して喰らえというのだから、当然の金額だと思うが。それに払うかどうかを決めるのは、きみではない。アイラさん本人だ」


 私の言葉に、クーアが黙った。夢喰屋は、第三者の言葉に従って夢を喰らいはしない。夢主が希望したときのみ、希望しただけ食べる。そういう職業だ。そしてそれは夢屋も同じである。希望されたものを、希望されたように。決して第三者の言葉で動いてはならない。


「二千オーレル払ってその悪夢を手放すか、他の夢喰屋へ回るか。決められるのは夢主自身だけだ。アイラさん、どうする?」

「二千オーレルで、この悪夢を忘れられるんですか?」

「それはもう綺麗に。思い出ひとつ残らない」


 根本となっている悪夢を取り去れば、紐づいている思い出も消える。もう同じ悪夢をこの世に生み出すことはない。


「お願いします」


 先ほどまで不安げにしていたアイラの青い瞳には、もう迷いなどなかった。

 二千オーレルなどという大金を普段持ち歩きはしないと思うから、おそらくクーアになにか言われたと思える。アイラはそれは大事そうに抱えていた鞄から、二千オーレルちょうどを出してみせた。思い切りのいい支払いをする客は好きだ。こちらとしてもやる気が出る。


「さあこちらへどうぞ、お客様。あなたの悪夢、全て喰らいましょう」


 薄暗い店内で、アイラをロッキングチェアへと案内する。


「深く腰掛けて。そう。背中を椅子に預けて」


 若干緊張した様子のアイラが座ると、椅子はゆりかごのように優しく彼女を受け止めた。アイラの緊張をほぐすように、椅子がゆっくり揺れる。


「目を閉じて。それから、喰らって欲しい悪夢を思い出して。ゆっくり、ひとつずつ、明確に」


 ゆらゆらと揺れるアイラの意識を、悪夢に向けさせる。アイラの胸元で片手を反時計回りに撫でるようにくるくると回すと、もやっとした黒い煙が出てきた。握り潰せそうなほど小さな煙が、ふわふわと浮いている。これが、アイラの魂に突き刺さっていた鋭利な悪夢だ。


 もうこれ以上、悪夢はないようだ。くるくる回していた手を止め、悪夢の下に添える。煙のように漂っていた悪夢がぎゅっと凝縮して、サイコロ大の硬いチーズ状の塊に変じた。指でつまみ、よく確認してみる。サイズこそ一口大だが、そのまま食べるには硬過ぎる。後で調理をしようと、私はその悪夢を近くの棚に置いてある皿に載せた。どうせ食べるのならば、無理矢理咀嚼するよりも美味しく食べたい。


 魂に刺さった棘のような悪夢を抜かれたアイラはというと、目も口も半開きでぼーっとしている。悪夢を全て取り出した直後は、誰でもこうなるものだ。すっかり見慣れているので、特にみっともないだとか恥ずかしいなんて気持ちは湧いてこない。むしろよくリラックスしていて、気持ちよさそうだ。


 しかし、長居をされては困る。私はクーアを早く追い出したい一心でこの話を受けたのだから。


「ほら、問題の悪夢は全部取り出したぞ。さっさと起こして早く連れていけ」

「待って。今いい感じだから、このまま夢で穴を埋めちゃう」


 欠伸混じりの私の言葉に、そばにいたクーアが応えた。鼻声ではないから、鼻血は止まったらしい。


「場所代、三千オーレル」

「場所代なんて取るわけ? あんた、金の亡者?」

「人の店を強引に開けさせるような小娘からは、いくらむしり取っても構わないと思うがね」

「お客さん紹介したんだから、感謝して欲しいくらいだわ」

「誰もそんなこと頼んでいない。前回も今回も、全てきみの都合だろう? 違うか?」


 私はなにも間違ったことなど口にしていない。その証拠に、クーアがぐっと悔しそうに押し黙る。

 だがクーアとて、夢屋としての意地と見識があるようだった。


 今のリラックスしているアイラは、新しい夢を入れるのにちょうどいい状態だ。完全に覚醒してしまう前に手をつけた方がいい。悪夢のせいで何度も夢を入れるのに失敗しているようだから、今度こそ失敗できないというのを理解しているようだ。


 私を無視したまま、クーアはぼーっとしたままのアイラに歩み寄った。


「アイラさん、今度こそお望みの夢をあげるわ。もう悲しまなくていいのよ」


 クーアが片手を上げる。ぴんと伸ばした人差し指の先端に、ぽっと淡いピンク色の光が生まれた。見るからに甘そうなそれは、世間で言う「いい夢」の類だ。夢屋は夢を入れるとき、そうやって小さな光球にして扱う。


 クーアの指が、アイラの額へと近づく。そのまま光は、細い指に押し込まれるようにしてアイラの中へと入っていった。


 そろそろじわりと魂に夢が染みた頃かな、と思ったとき。


「ああっ! なんだかとってもすっきりしました!」


 アイラが勢いよく起き上がった。その表情は咲き誇る花のごとき明るさで、まだカーテンを開けていないこの薄暗い店内でも分かるほど頬には血の気がある。いったいどんな夢をクーアに入れてもらったのか詮索はしないが、よほど興奮するようないい夢だったに違いない。


「お二人とも、ありがとうございます!」


 華やいだ声でそう言うと、アイラが軽快な足取りで店の入り口へと向かう。クーアはクーアで、しっかり前払いで料金を回収していたらしい。歌い出しそうなほどご機嫌な様子のアイラを、追いもしなかった。


「きみも早く出ていけ。ここは私の店だ」

「腕はいいくせに、性格が最低」

「なんだ、『最低』以外の言葉を知らないのか? 夢屋のくせに、よくその語彙力の乏しさで夢が売れるな。さては安売りか? 価値が釣り合わない取引はやめておいた方がいいぞ」

「あたしは別に、好きで夢を売ってるわけじゃないから!」


 私のからかいに、クーアは存外強い言葉で反抗してきた。なにか彼女の心の都合が悪い部分を踏み抜いてしまったらしい。けれども、私には関係のない話だ。これでクーアが二度と店に来なくなってくれたら、私としては非常に嬉しい。


「さあ帰れ。今日は臨時休業だ」

 なんだか急に働く気が失せた。今日は休もう。そんなことを思いながら放った私の言葉に返ってきたのは、


「……帰るとこなんか、ない」


 まるで雨に濡れた仔犬のような、憐れな声だった。

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