第6話

 感知魔術が報せるやかましい物音で目を覚ましたときには、とっくに陽が昇っていた。無用心に目を開けてから、カーテンの隙間から差し込む矢のような陽光に、思わず「うっ」と呻く。


 音がするのは、店の方からだった。なんだなんだ。こんな日も高いうちから強盗か? あまり手荒な物事は得意ではないから、勘弁して欲しい。


 最悪の目覚めを引きずって、店内の様子を確認しに向かう。家から店へと繋がるドアを開けてみると、店内は綺麗そのものだった。よかった、強盗ではないようだ。まあそれもそうか。表通りにあるうちの店に強盗が入れば、すぐに衛兵が駆けつける。その程度には、目立つ場所に店はあるのだ。


 じゃあこのやかましさは何事かと店内を眺めていて、私は入口のドアががたがた揺れていることに気がついた。ドアの揺れにつられて、ドアベルがかすかに鳴っている。もちろん店の入り口に使用しているからには古くとも頑丈な、厚みのある木材を使用したドアなのだが、それを揺らすとはなかなかの力だ。ああ嫌だ、相手にしたくない。こちらはか弱いバクがひとりきりなのだ。もっと穏やかにして欲しい。


「夢喰屋! ねえ、エルクラートさん! いるんでしょ! 開けなさいよ!」


 大音量のそんな声と共に響く、激しいノックの音。いや、もうノックというかドアを殴っている。そうとしか考えられない音だ。ドアは頑丈でも、それを支えている蝶番が最近傷んできているので、乱暴は困る。それでなくても少し前、クーアに勢いよく開けられたせいで蝶番のネジがひとつ落ちたばかりなのに。そろそろドアの交換か修理を頼まなければいけない。


 それにしてもうるさい。店の営業時間は厳格に定めていないが、店主の私が眠っていて入り口には鍵がかかっているのだから、営業していないと分かるだろうに。それともこの狼藉者は、私が年中ここに引きこもってばかりだと考えているのだろうか。だとすれば心外である。たしかに引きこもり体質ではあるが、それなりに外出はするのだ。外食だってする。四六時中店か家のどちらかにいるわけではない。


「夢喰屋! ねえってぶべあ!」


 揺れるドアを開錠し、思い切り開く。ドアが何者かを殴った感触があった。だが悪いとは微塵も思わない。無遠慮な行動に出る方が悪い。


 私はドアを閉めた。


 やっと静かになった。


 壁の時計に目をやれば、そろそろ十二時になろうかという頃だ。ソファでうたた寝をしていたつもりだが、だいぶ長いこと寝ていたらしい。さすが祖母直伝のホットミルクだ。

 朝食兼昼食でも食べて、それからゆっくり店を開けるか。そんな計画を立てながら、棚で『休憩中』の看板を探す。


 だが。


「ちょっとあんた! 少しは『悪いな』とか思わないの! こっちは客連れてきたのよ!」


 施錠していなかったドアを開け、声の主がどすどす足音を踏み鳴らしながら入店してきた。ちらりと確認してみれば、あのクーアとかいう小娘だ。よほどその外見を見られたくないのか、今日も目深にフードを被っている。片手がフードの中へ突っ込まれ、声がやけに詰まり気味に聞こえるのは、きっと鼻血でも出して鼻をつまんでいるのだろう。


 まあ、彼女に鼻があればの話だが。口元しか見えないから、彼女が人間か魔物かすら判断がつかない。


 いくらシルエットが人の形をしているとはいえ、それが純粋に人間であるとはかぎらない。人の形をしているが、人でないもの。そんな者はたくさんいる。バクである私だってそうだ。


「いつ誰が客の紹介を頼んだ? それに見てみろ、私はまだパジャマだ。鍵すら開いていない店が、どうして営業しているなどと思ったんだ」


 看板探しをやめてクーアに向き直り、両腕を広げ、己の姿をアピールしてみせる。どう見ても夢喰屋として営業しているスタイルには見えないはずだ。もし営業中に見えるのだとしたら、クーアは私の知らない常識で溢れた世界からやってきた存在だと思う。


 ああ、だからいつも外見を隠しているのかもしれない。


 そんな想像をして、私はつい小さな笑いをこぼした。


「笑ってる暇があったら、なんでもいいから布ちょうだい! こっちはあんたがいきなりドアを開けたせいで、鼻血が止まらないの!」

「おやおや。強引に店を開けさせて、次は止血に使うからパンツを脱げと言ってくる。なんという非道な輩だ」

「誰がパンツ脱げなんて言ったのよ!」

「興奮すると余計に鼻血が止まらなくなるぞ、小娘」

「あたしは小娘じゃない! クーア!」

「私の店のルールをめちゃくちゃにするような者は、小娘で充分だ。むしろまだ小娘として扱うだけ、ありがたがっていただきたいものだね」


 ふん、と鼻を鳴らす私に、クーアは反論しない。フードを被っているから表情が分からないが、拳をぎゅっと握りしめているもう片方の手から、とりあえず悔しそうな雰囲気だけは伝わってくる。


「とにかく、お客さんを連れてきたからまた悪夢を食べて。いい夢を詰め込むには、整地が必要なの」

「きみがしたまえよ。夢屋の端くれなら、悪夢くらい取り出せるはずだ」

「エルクラートさんの腕を信頼しているから、頼みに来たのよ。こないだのアーサーさん、見事だったわ。今回も同じように、引っこ抜いて欲しいの」

「悪夢を雑草のように扱うな。ただ力任せに抜けば済む話ではない」

「仕方ないじゃない。小さい悪夢だけと深くまで食い込んで、あたしじゃ手が出せないんだから」


 仕事の話になると、クーアも多少は落ち着くようだ。夢屋として未熟な自分と、評判の夢喰屋である私。お互いの実力の差くらいは理解できているらしい。

 クーアが無謀にも自分で悪夢を取り出そうとしないのは、素直に褒めていい点だった。様々な夢を扱う夢屋は、思慮深さと慎重さが求められる。


「今回エルクラートさんにお願いしたいのは、この人よ」


 せっかく褒めるべきところが見つかったというのに、私がそれを口にする前にクーアが愚行を冒す。

 まだ身支度も整えていない上に引き受けるとも言っていない私に、そちらの都合で勝手に人を紹介するなんて。こちらについては一切配慮のない行動で、クーアの夢屋としての長所は打ち消された。そういうところが嫌なのだ。


「アイラさんよ。新しい夢を入れようとしたんだけど、鋭い悪夢の塊があるせいで、すぐに夢が傷ついちゃうの。お願い、また悪夢を食べて」

「あの……こんにちは、アイラです」


 クーアが紹介してきた人物に、私は見覚えがあった。艶のある長い黒髪を結い上げた、はつらつそうな青い瞳が特徴的な人間の女性。市場の入り口にいつも陣取っている、花屋の看板娘だ。アイラも私に見覚えがあったのか、茶色い鞄を大事そうに抱きしめながらぺこりと会釈してきた。仕事を抜け出してきたのだろう。アイラは黄緑色のエプロンをつけたままだった。

 彼女が両親と営んでいる花屋は、私もたまに利用する。うちの客をリラックスさせる為、店内に飾る花を買うからだ。

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