第4話

 あとはうたた寝でもして、クーアと男がこの店を出ていくのを待てばいい。


 そう思ったのだが。


「根こそぎ食べて欲しい悪夢があるの。凄く根の深い悪夢なの。庭にあれだけ立派なネムノキがあるエルクラートさんなら、食べられるでしょ?」


 瞼を閉じた私の耳に、クーアのそんな声が入ってきた。


 どうしても私でなければいけない理由は、それか。私は店の窓から見える庭の様子を思い出した。


 夢喰屋を営むバクは、人から見える場所にネムノキを植えている。ネムノキの用途は様々だが、店先からすぐ見える場所に木を植えている理由は、至極単純。ネムノキがどれだけ立派で元気かという状態で、客がその店のバクについて実力や経歴を推し量る判断材料にするのだ。バクは住処とする場所にネムノキを植えるが、それが無事丈夫に育つかというのは、そのバクの暮らしぶりにもよる。


 私の家はイリュリアで長いこと夢喰屋を営んでいたから、表通りから見えるネムノキも見事な枝ぶりだ。鳥の羽根のような形状の葉も青々としていて、生気に溢れている。それだけ私の一族が夢喰屋として信頼され、この土地で生きてきたという証だ。家の名誉を看板に掲げ、私は夢喰屋として商売をしている。


 そんな私は、悪夢を全て喰らうバクとして少しは有名な部類だった。


「根の深い悪夢をどうにかして欲しいと簡単に言うが、根こそぎ夢を食べるという行為が何を指すか、きみは理解しているかい?」

「記憶の喪失」


 私の問いに、クーアは淀みなく答えた。意外だ。こんながさつそうな子が、夢喰いという繊細な行為を理解しているだなんて。私はゆっくり両目を開けた。


「あたし、夢屋のクーア。あたしの依頼人に夢を入れたいんだけど、根深い悪夢がぱんぱんに詰まってるせいで、夢を入れる隙間がないの。だからお願い。悪夢を食べて。ひとかけらも残さず、全部」


 ロッキングチェアの脚から、クーアがそっと足をどける。ゆらゆらと椅子に揺られる私の目前で、彼女は頭を下げてみせた。何があってもフードは脱げないが、彼女なりに誠意を示しているつもりらしい。


 なるほど、夢屋。それならば旅をしていても珍しくはなかった。連れの男と共に、私の噂を聞いてあのトラキア山脈を越えてきたのだ。そのへんのバクではどうしようもないレベルで悩んだ結果、この行動に至ったのだろう。


 記憶の消去を望むからには、クーアが連れてきた男の悪夢は相当なものだと考えられる。だが悪夢は、記憶の遺産でもあるのだ。もちろん根差す場所は、魂。そんなものを全て喰らうというのは、夢主の精神に大きな穴を空けるような危険な行為だ。ほとんどの夢喰屋は、そんなリスクの高い行為を嫌がる。


 夢屋はたしかに夢を取り出せるが、同じ理由から夢を全て取り出しはしない。それにクーアは、自分では夢が取り出せなかったようだ。夢屋としてはまだ歴が浅いのだろう。無理に手を出さないだけ、いい判断だと思えた。

 いくら悪夢だからと手荒に取り出してしまえば、魂にいらぬ傷を作る。それは下手をしたら、夢主が精神崩壊を起こす危険に繋がる。


 しかし私は、家の名誉を掲げて商売をする夢喰屋だ。積み重ねられたバクとしての経験には自信があるからこそ、私は夢主さえ望むのならば悪夢を欠片も残さず喰らってきた。


「その肝心の夢主は、本当にその悪夢を失いたがっているのか? 夢主と話をさせてくれ」


 そういう事情なら、仕方ない。ここで断っては、私の評判にも傷がつく。私に喰らえない悪夢などないのだから。


 私は立ち上がると、店の入り口で所在なさげにしている男へと向き直った。私の視線を受けて、男がびくりと肩を震わせる。まだなにもしていないのに、そんなに怯えなくてもいいではないか。


「相当な悪夢を抱えてお困りのようだが、本当に全て喰らってしまっていいのかい? 悪夢といえども、それはあなたという存在を構成する大切な経験値。記憶の遺産だ。魂に傷が入りかねない危険な行為だから、新しい夢を入れられる程度に一部分だけ抜く方が安全だ」

「……いえ、全て、食べてください」


 血色の悪い男は、呻くようにして口を開いた。


「僕の名前は、アーサーといいます。トラキア山脈の向こう側にある、エルセン地方のとある村で教師をしていました。でも、ある事情で村ではもうまともに授業ができなくなってしまって……。新しい夢を手に入れて、このイリュリアで、人生を再スタートさせたいんです。その為には、どうしてもこの悪夢を失いたくて……」

「念の為確認するが、それは犯罪行為とは無関係なのだな?」

「も、もちろんです! 僕は犯罪行為なんてしていません! 本当になにもしていないんです!」


 どの客にも確認するごく普通の事項に、アーサーは過剰な反応を見せた。察するに、教師をしていたというその村で、よほど嫌な出来事に巻き込まれたようだ。


 視線が交差した拍子に、アーサーの目から魂の状態がちらりと見えた。怯えた瞳の奥にある魂は悪夢の浸食でうっすら濁り、大きな黒いもやもやとした悪夢が覆い尽くそうとしている。


 店内に巡らせている嘘探知の魔術は、何の反応も示さない。アーサーは事実を語っている。それならばあとは、金の話だ。


「全額前払いで、六千オーレル。それであなたの悪夢を残さず食べよう」

「ろっ……」


 アーサーとクーアの声が重なった。

 当然だ。普通のコッペパンひとつ、平均で一オーレル。六千オーレルあれば、三ヶ月くらいは働かずにのんびり暮らせる。だが私とて、冗談のつもりでこの値段を提示したわけではない。むしろ大真面目だ。


「私は悪夢を全て喰らうだけの力を持っている。しかし新しい夢が入らないほどの悪夢を全て喰らうとなれば、危険もつきまとう。まず、夢主であるアーサーさんの命の危険。そんなに憔悴するほどの悪夢を何の配慮もなく取り出したら、アーサーさんはどうなると思う? まあ間違いなく廃人だ。最悪の場合、死ぬ可能性だってある。魂に深く食い込んだ悪夢を取り去るんだ。当たり前だろう?」


 私は再びクーアへと振り向いた。


「次に、悪夢を全て喰らう私への危険。新しい夢が入る隙間もないほど成長した悪夢を喰らい、消化するんだ。私とて無傷では済まない。悪夢に引っ張られて死ぬかもしれない。死ぬだけならまだいい。悪夢に囚われて、一生抜け出せなくなる可能性もある。終わらない悪夢の苦しみは、アーサーさんの憔悴ぶりを見ていたら理解できるだろう?」


 この世は、不思議と等価交換で成り立っている。あらゆる不思議が繰り広げられる世界には、様々な可能性が存在している。しかし可能性とは希望的なものばかりではなく、必要に応じて、残酷な牙を剥いて襲い掛かってくるものだ。


 今この店内で、私はそんな危険に飛び込んで欲しいと頼まれていた。世に様々な可能性はあれども、危険区域へ能天気に突っ込んで、皆無傷で絶対安全に乗り切れるなんてうまい話は、残念ながらない。なにかを成すには、犠牲になる対価が求められる。


「アーサーさんの魂の安全を確保した上で、無事に悪夢だけを全て取り出して喰らって欲しい。そんなむちゃくちゃな注文をしているのだから、高くて当然だ。善意だけで危険な仕事を請け負うほど、私は世間知らずではない」

「それにしたって、六千オーレルって……」

「払います」


 クーアの言葉を遮ったのは、他でもないアーサーだった。頭だけ動かして視線を向けて見れば、彼の目がしっかり私を捉えている。そんなアーサーに、クーアがぱたぱたと駆け寄った。


「でもアーサーさん、今持ってるお金は新しい生活の為に貯めたお金なんでしょ? 六千オーレルも使っちゃったら、これからどうするの?」

「いいんです。たしかに僕は六千オーレル払ったら、ほとんどすっからかんになります。でも、それでまた前に踏み出せるようになるなら、それでいいんです。その為に、ここまできたんですから」


 心配するクーアに、アーサーが答える。その言葉は、まるで彼が自分自身に言い聞かせているようでもあった。


 夢主が希望したのであれば、もう私が語るべき話はなにもない。アーサーから間違いなく六千オーレルを受け取ると、私は先ほどまで自分が座っていたロッキングチェアを勧めた。


「さあこちらへどうぞ、お客様。あなたの悪夢、全て喰らいましょう」


 貰うものを貰ったからには、きっちり仕事をする。それが私の流儀だ。ロッキングチェアに座ったアーサーに、背もたれに体を預け、目を閉じるように言う。彼がその姿勢に入ると、私は彼の胸元へと片手をかざした。


 あとは悪夢を取り出して、喰らうだけだ。


「喰らって欲しい悪夢を、思い出して。ゆっくり、ひとつずつ、明確に」


 ロッキングチェアに抱かれたアーサー。その胸元で、片手を反時計周りにくるくると撫でるように回す。やがてアーサーから、どす黒い煙がもうもうとたちのぼった。

 これはまた、随分と濃厚な悪夢だ。

 煙を全て出し切るまで、私はその作業を続けた。

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