第2話

 港町イリュリア。背後を巨大なトラキア山脈に守られたこの町は、漁業と貿易で成り立っている。バクである私の家は、代々夢喰屋としてこのイリュリアで生活してきた。


 母方の祖母と、両親。かつては共に暮らしていた家族だが、皆とうに亡くなっている。この広い家には、私しか住んでいない。表通りに面した立地のいい場所ではあるが、私は空き部屋を誰かに貸そうとは思わなかった。バクは騒音を好まない。家の中ががらんとしていても、私は一向に気にならなかった。


 夢喰屋を訪れる者は、様々だ。毎晩同じ時間に泣き出してなかなか寝てくれない幼子から、たまたま夢見が悪かったという老人まで、老若男女、様々な種族が訪れる。


 そう、様々な種族だ。人間にとっては悪夢を喰らう夢喰屋として重宝されるバク以外にも、ここには魔物が住んでいる。皆人間と同じように暮らし、税を納めている正当な住民だ。イリュリアが特別なわけではない。国中どこもそうなのだ。


 両者に違いがあるとすれば、まず人間は魔法が使えないこと。

 そして魔物は、人間の定めたルールに従って暮らさなければいけないこと。

 この二つくらいだろうか。


 もっとも、人間は魔法が使えなくても困らない。魔術師として働いている魔物の力を借りれば済む話だ。しかし私たち魔物には、望んでも得られない権利というものがある。天秤にかけると重さは全く違うものではあるが、世間では同じ程度の制約として扱われていた。


 まあ、特に気にはならない。バクは一度ネムノキを植えた場所からは、よほどのことがないかぎりは離れない。ネムノキがそこにあるかぎり、それがそのバクの住処なのだ。バクという種族は、大きな変化を好まない。私のように、だいたいのバクがのんびりしている。


 ちなみに、バクは悪夢だけを食べるわけではない。どんな夢でも食べられる。しかしわざわざいい夢を対価を支払ってまで失うメリットはそんなにないので、夢喰屋には悪夢で困っている者ばかりが訪れる。


 いい夢はどこに行くのか? それは、夢屋だ。夢屋に行けば、買い取ってくれる。そして夢屋は、買い取った夢を幸せな気持ちになりたい者に売る。占い師が「これはいい夢の兆候だ」といえども寝覚めの悪い類の夢も、夢屋が買い取る。いい意味を持つ悪夢は、夢喰い屋ではなく夢屋に流れることが多い。自分にもラッキーが舞い込まないかと願う者がいるからだ。


 夢は記憶の遺産なので、人里ではこういった商売が成立していた。


 夢屋は、私にとっても大切な存在だ。夢を採取して売る夢屋がいなければ、私は子供の頃からのお気に入りである猫の悪夢が手に入らない。今朝のように自分で探しに行くのは正直面倒なので、様々な夢を採取して売る夢屋がいるのは、ありがたかった。


 そんな夢屋から、待ちに待った猫の悪夢の瓶詰が届いた。全部で三つ。どれもジャムが入っているような掌に収まる小瓶だが、中には虹色をした猫の悪夢がみっちり詰まっている。もちろん、届けてくれた夢屋に再注文するのも忘れない。猫の悪夢はいつでもどれだけでも買い取るという約束をしている店だから、注文を断られたりなどしなかった。


 三瓶も届いたから、また暫くは朝の特別な一杯には困らずに済む。


 ご機嫌で昼食を作っていたとき、店舗の方からドアベルが鳴る音が聞えてきた。家と店に張り巡らせている感知魔術のおかげで、来訪者がいればすぐに分かる。防犯の為に用意している魔法ではあるが、こういった役立ち方もしてくれた。


 表通りに面している店のドアには『休憩中』の看板を提げているのに、誰だ。エプロンをつけたまま確認しに向かうと、そこには二人の人物がいた。


「この店のバクって、あなた?」


 二人組のうち、背の低い人物が口を開いた。若い女性……というか、女の子といった表現が正しいような、瑞々しい声だ。人間に換算すると、多分十代からいってても二十代前半くらいかと考えられる。少しぼろいフードつきのマントを羽織り、しかもそのフードはかなり目深に被っているときた。これでは顔が全然分からない。それでもマントから覗く服装の色合いは澄んだ水色を基調としていたので、どの種族だとしても若いと思う。


 私は彼女に対し、そんな推測を立てた。人間とさほど寿命の変わらない私は今年で二十五歳だが、彼女は年下と見ていい気がする。


「今は休憩中だ。表に看板が出ていただろう」

「じゃあ、休憩が終わるまでここにいさせて。お客さんを連れてきたの」

「お客さん?」

「そう、私があなたにお客さんを紹介しに来たの」


 女の子が、隣にいた男性を指す。こちらも若い。それでも女の子よりは年上に見える。人間っぽいな。すっきりと整えた茶髪の青年はどこにでも良そうな風貌だったが、その旅装束姿から女の子と同様に旅をしてきた様子がうかがえた。それに加えて、顔色の悪さと、なにかに怯えているような様子が、彼を老け込ませている。たぶん私と同じで人間換算なら二十代前半くらいか、もしかしたら三十代に足を突っ込んでいるかもしれない。委縮した姿から察するに、相当な大きさの悪夢をお持ちのようだ。


「来てくれたところ悪いが、さっきも言ったように休憩中だ。また後で来てくれ」

「……分かった。でもその前に確認させて」


 ああ、お腹が空いた。早く昼食にしたい。あとは盛りつけたら食べられるのに。脳裏に出来立ての昼食がちらついて仕方ない私に、女の子は食い下がってくる。


「悪夢を全部食べるバクの『エル』って、あなたで間違いない?」


 その物言いに、私はかちんときた。


「見境のないバクのような扱いをしないでくれ。あくまでも全部喰らうのは、夢主に強く希望されたときだけだ」

「そう、それならよかった。じゃあ、また午後二時に」

「待て」


 空腹をこらえてでも、私は女の子を呼び止める必要があった。


「こちらは休憩中の店に勝手に踏み込まれた上に、見境のないバク扱いをされたんだ。それに対して謝罪のひとつもないのは、どういうわけだ? そもそも人の愛称をいきなり気軽に呼び捨てておいて、自分は名乗らないとは、おかしくないか?」


 私にそんな指摘をされたのが意外だったのか、ドアノブに手をかけたままのポーズで女の子は動きを止めた。おどおどした血色の悪い男が、女の子と私をせわしなく交互に見ている。


「そうね。それについては悪かったわ」


 無遠慮な物言いのわりに、女の子はあっさりと自分の非を認めた。少し常識に欠けるが、悪気があるわけではないらしい。


「あたしの名前はクーア。また二時に来るわ。ちゃんと予約したからね」


 そう言い捨てて、クーアは男を従えて店を出ていった。


 うちは予約制ではない。勝手に予約を取られても困る。だがまあ、女の子もといクーアが勝手に決めただけなのだから、それを守る義理は私にはない。見知らぬ者に客を紹介されるほど、経営に困っているわけでもない。そもそもここは私の店だ。私がルールであるからには、いつもとなにも変わらず、私は私のやりたいようにやる。


 それよりも今は、昼食だ。

 闖入者の撃退に成功したのを確認したかのように、腹の虫が大きな鳴き声を上げた。

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