昨日の友は…

晁衡

1話完結のエッセイ 

 みなさん、今、パリオリンピックが開催されていますが、フランスが柔道大国になった理由はご存じでしょうか


 第二次大戦前は、ベトナム、カンボジア、ラオスは「フランス領インドシナ」というフランスの植民地でした。

 ヨーロッパでドイツがフランスに宣戦布告し、フランスに侵攻するとフランスはドイツに占領されます。

 後にフランス大統領になる、シャルル・ド・ゴールはロンドンに逃れ、自由フランスという亡命政権としてナチスドイツに抵抗します。

 フランス本土は、ヴィシーにペタン元帥を首班とするヴィシー政権が成立します。これは戦後は無効となります。


 ドイツと同盟関係にある日本は、フランス領インドシナに対して、ヴィシー政権であるとして、進駐します。

 これを仏印進駐といいます。

 フランス領インドシナは、日本にとってペタン元帥の同盟関係であり、仏印の植民地政権は、その選択をしました。

 仏印がヴィシー政権であること無効であるので、歴史の教科書に詳しく書いてありません。


 フランス領インドシナに進駐した日本軍と、現地のフランス植民地軍には交流が生まれました。

 柔道はその時の交流により、フランス軍でも積極的に取り入れられ、本国に戻っても教育が盛んになりました。

 フランスで柔道が盛んになったのはそれが一番の理由です。


 新潟県新発田市に本拠地を置いていた、歩兵第16連隊は終戦を、フランス領インドシナのサイゴン(現在のホーチミン市)で迎えます。新潟県聖籠町の長谷川栄作元町長は新発田連隊の人事担当者でした。新発田市の元市長の近寅彦元市長は新発田連隊の軍医でした。

 サイゴンで終戦を迎えた、聖籠町の長谷川元町長は人事課らしく詳細な記録を残していました。

 1945年8月15日、日本は降伏することになりました。

 フランス本国はすでに解放され、ドイツは降伏しています。

 日本の終戦とともに、フランス領インドシナは自由フランスへの帰属が明確になりました。

 日本の終戦まで、フランス領インドシナは友好国から、敵対関係にかわりました。

 現地、駐留の日本軍はすぐにフランス軍から武装解除を命じられ、支配下に置かれます。


 昨日の友は今日の敵になりました。またサイゴンではフランスの再植民地化に反対するホーチミンの呼びかけで、蜂起も始まりました。

 降伏するはずの新発田連隊兵士からは、ホーチミンの元に行き、独立戦争に参加する者も続出したとの記録があります。

 つい先日まで、一緒に柔道の練習をしていたフランス軍との戦闘も始まったそうです。

 それが第一次インドシナ戦争です

 参加した日本兵はベトナム名を名乗り、ベトナムが共産主義国家になったため、現地残留日本兵の実態は、インドネシアほど解明されておらず、行方不明者も多数いるそうです。ジュネーブ協定で帰還した兵士もいますが、ベトナムには「日本兵士の墓らしい」ものが実態解明されずたくさんあるようです。


 第二次大戦では、フランスとはほとんど戦火を交えていません。

 フランスの柔道は「歴史的になかったことになっている友好関係」の交流の賜物です。


※一部訂正

フランス本国解放時点で、仏印駐留フランス軍と武力武装解除で衝突が起きている例があるとのこと。

サイゴンでは、ほぼ戦闘なくフランス駐留軍は武装解除されたとのことです。

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昨日の友は… 晁衡 @monzaeshi

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