帝王の指輪

「おはようござ」

「聡子ちゃん! 良かった、無事だったのね!」


 出社するなり食い気味に襲ってきた、千鶴さんの叫び声。

 これが、私が指輪のことに気付いたきっかけだった。

 ちなみに千鶴さんはこの会社の専務にして、社長の奥さん。夫婦で切り盛りしているような小ぢんまりした会社だからか、私がここに転職して以来、何かとお世話を焼いてくれている。ときどきおせっかいに感じるけど悪い人じゃないと思う。確かもう、お孫さんが3人いるはずだ。


「え、ええと……?」

「ついさっき! ニュース! バスの事故! ほらこれ」


 突然のことに困惑する私に、千鶴さんがネットニュースの速報を見せてくれた。小さいと言っても不動産業だ。高齢だからネットに弱い、なんてことはない。

 記事の時刻は15分前。そして載っているのは路線バスの交通事故、なんてレベルじゃなかった。高架橋からの落下。車体はひしゃげ、現時点で既に死者が出ている。安否不明の重傷者も複数。

 ……家を出るのがあと5分早かったら乗っていたはずのバスだ。


「……今日はたまたま、電車で来ましたから」


 私の家の近くには大きな川があり、バス停はその手前、駅はその反対側にある。だからバスが間に合うときはバスを使う。今日はバスに間に合わないタイミングだった。

 だから助かった。

 そう、運が良かったわね。千鶴さんの声を軽く血の気が引いた頭で聞きながら、私は自分の席に戻る。そしてバッグを机の上に置く、と、普段とは違う感覚を覚えた。

 底のところに何か固いものが入っていたかのような感触。

 不思議に思い中を覗き込んでみると、どこかで見た覚えのある指輪があった。エメラルドが嵌ってはいる、けど小さくて、売ってもいくらにもならなそうな、ちゃちな指輪。

 どこかで、見た指輪。どこかで……


 そうだ、確かこれは、タダシが持っていた指輪、だった。



 タダシと付き合っていたのは半年前までのことだ。

 オカルト好きで、いわく付きの品を集める趣味のある男だった。あいつの部屋には、不気味な人形やら、破れかけた本やら、錆びた小刀やら、欠けたこけしやら、普通に見たらおよそ価値がなさそうな骨董品の数々が、所狭しと並べられていた。

 そのコレクションの棚の前に雑に置かれていたのが、エメラルドの指輪だ。


「これ? 偽モンだよ」


 と、タダシは言っていた。タダシによると、指輪には「前の持ち主が願った通りの呪いを生み出す」という言い伝えがあるらしい。

 願いを叶える指輪、だけど、願った本人じゃなくて、次の持ち主の下で叶う。


「なんでそれが『呪い』なの?」

「あーそれな、なんか、願いのために犠牲にするものも決めなきゃならないらしい」

「ふーん」


 悪知恵の働くタダシは、その呪いを自分で決めて自分が使う方法を思いついたそうだ。やり方は簡単。協力者を作って先に指輪を所持してもらい、自分が決めた願いをその指輪に込めてもらえばいい。

 後はその指輪を譲り受ければ、「前の持ち主の願い」の条件を満たせる。

 でも、タダシが友人に協力してもらってその方法を使ったところ、指輪は何の力も発揮しなかった。だから偽物。タダシはそう考えていた。


「まあいいけどな。元々、安く買い叩いたやつだし」


 何を願ったのは言ってくれなかった。その代わり浮かべていたのは、嫌らしい笑み。

 多分、タダシはろくでもない方法でこの指輪を手に入れたのだろう。自分の得のためなら他人を蹴落としたっていい。そういう信条を持つ男で、しかもそれを実行する男だった。

 同じ信条を持ち、でも実際に行動にできなかった私には、タダシのそういうところが「強さ」に見えて付き合い始めた。そして嫌になって別れた。今の会社に転職した後のことだ。


 別れるとき、タダシの部屋から持ち出した私の荷物の中に、タダシの持ち物もいくつか紛れ込んでいた。

 どれも大して価値のある物じゃなかったし、もう会いたくなかったから、気付いた端から捨てていた。

 だけど……



 この指輪は、そのとき紛れ込んで、私が気付かない何かの隙間に入り込んでいたのだろう。

 ……返しに行く、のは、必要ない。タダシだって半年間何も言ってこなかったんだ。向こうも多分、どうでもいいと思ってる。

 それがどうして今さらバッグの底から出てきたのかは分からない、けど、後で捨てて、おけ、ば……?


――ドクン。


 ……あれ?

 何故だろう。何故か急に、この指輪は捨てちゃいけないもののような気がしてきた。私の中で、急に指輪の存在が大きくなる。

 再びバッグを覗き込んだ。指輪があるのは底。照明は当たらない。だから光を反射するはずはないのに、一瞬、光ったように見えて……


――ドクン。


 突然、頭の中に映像が浮かんだ。無残に潰れたバスの姿と、地面に横たわる大勢の死傷者。

 そして一瞬で消える。

 今のは、バスの事故現場……? 私が今朝、偶然助かった事故の……?


――これ? 偽モンだよ。


 そう疑問に思っていると、今度はタダシの声が浮かんだ。

 偽物。タダシはそう言っていた。

 ……本当にそう、なのだろうか。今見えた事故現場。私が助かったことと、この指輪、無関係とは思えない。

 でも、もし関係があるとしたら、この指輪にはやっぱりいわく付きの力があって、それで……


「……子ちゃん……聡子ちゃん?!」


 突然聞こえてきた、千鶴さんの声。

 私はどうやら、立ったまま呆然としていたらしい。

 やっぱりショックだったんじゃない? 今日はもう休む? いえ大丈夫です。そんなやり取りの後、私はバッグを閉じて頭を切り替える。

 ……そうだ。呪いなんてあるわけがない。大体、これが呪いなら前の持ち主はタダシだ。交通事故から助かる……のは凄いことだけど、あいつはそういう種類のことを願うような人間じゃない。

 だから私が助かったのは、ただの偶然。指輪は関係ない。


 そう切り替えた私は、この日、仕事に集中して過ごすことになった。

 幸い、すぐに大口の案件が入ってきて会社は大騒ぎになったことと、休憩時間に調べたら密かに買っていた株が高騰していたことがあって、その日は指輪のことを完全に忘れて過ごすことができた。



 あれから2か月が経った。

 仕事は順調だった。大口の契約が次々に決まって、ノルマはもう1年分を達成。昇給は確実で、ボーナスも相当貰えるはずだ。そして株も、増益分で買った株がまた上がって、資産が何倍にもなっている。

 怖いくらいに順調だった。


 怖い、と言えば、ニュースで私の住んでいる地域が取り上げられることが、多くなった。

 事件や事故で。

 あのバスのように、私と何らかの関りがあるところで、死傷者が次々に出ている。大抵、あの指輪の存在を強く感じたときに。

 私に幸運が舞い込んでくるのは、いつも、そんなとき。


 ……そして、一週間前。

 タダシが私の前に現れた。会社から帰る途中の、駅を出たところで。

 あの指輪、お前が持ってるんだろう、返せよ。そう言って、例の嫌らしい笑みを浮かべて近寄ってきた。殺される。そう思って逃げると、タダシも追ってきた。

 足の速さで私があいつに敵うはずがない。すぐに追いつかれる。それでも必死に走った。

 すると。

 タダシが死んだ。信号無視の車に撥ねられ、縁石に頭を打ち付けて。

 即死だった。

 警察からは、私は、元恋人にストーキングされていた被害者として扱われた。そして気遣うような事情聴取を受けた後、解放されて、家に帰った。その翌日からの数日間、私が持っている複数の会社の株が、軒並み、連日でストップ高を出すようになった。


 もう、指輪に呪いの力がない、とは言えなくなった。

 タダシは確かに、指輪に力を与えていた。金を儲けたいという、分かりやすい願いで。

 その願いのための犠牲は、自分の近くにいる人々の命。自分が得をできるならば、そのために他人が何人死んでも構わない。

 あいつらしい願いだった。



 私の資産はどんどん膨れ上がり、その分、人が死んでいく。死ぬのは多くの場合、見ず知らずの人。

 ニュースにならなければ犠牲者が出ていることすら分からない。だからもう何人死んだのかも分からない。自分は返すことのできない負債を重ね続けている。

 そう感じていた、ある日のこと。


 雨が、降った。土砂降りの大雨だった。

 会社は休日で、洪水警報も出されていた。普通ならば、一日家から出ないで過ごす日だ。

 けれど。

 洪水警報。テレビに何度も出てくるその文字を見て、私は出かける準備をした。行き先は、家の近くの川に架かる、橋。


 外は、歩いている人はおろか、車さえも走っていないほどの豪雨だった。雨合羽に打ち付ける雨の音で、何も聞こえない。川にたどり着くと、河川敷にいくつも並んでいるはずのグラウンドがすっかり濁流に覆われていた。おあつらえ向きだった。

 橋に上り、中央へ向けて歩き出す。弾丸のような雨粒は、私が足を踏み出す何倍もの速さで、私の身体を打ち付けていた。

 何十分も歩いたように感じた。

 もう、この辺りでいい。そう判断した私は、橋の欄干に手をかけた。

 ドクン。指輪の音が聞こえた気がした。でも、合羽にぶつかる雨の音のほうが、ずっと大きかった。私はその音だけを聞きながら、指輪を端から投げ捨てた。

 指輪は光ることもなく、濁流に吸い込まれていった。

 

 そしてまた再び、体感で何十分と経った後。

 家に戻り、玄関で合羽を脱いだ私は、しばらくその場に座り込んでいた。これでようやく終わった、と思った。

 やがて気持ちが落ち着き、濡れた服を着替えてリビングに向かった。自分を労いたい気分だった。そしてリビングの扉を開けると……

 テーブルの上に、捨てたはずの指輪が置かれていた。一枚の紙きれ、買ったはずのない宝くじと一緒に。


 翌日。

 テレビでは、この豪雨によって洪水が起きたことと、その洪水による被害が報じられていた。洪水による死者は、4名。

 千鶴さんと社長、そして彼女たちの息子夫婦だった。



 十年後。


「石黒社長、あと5分で到着します」


 運転手がそう告げる。

 私は、膨れ上がった資産を元手に事業を起こしていた。大成功の経営手腕、と世間では評されている。

 全ては、指輪の力なのだけれど。


 洪水の日、リビングに置かれていた宝くじは、案の定、高額で当選していた。その宝くじを私は換金し、賞金をそのまま手に入れていた。

 千鶴さんと社長が亡くなって、会社が倒産した後で。

 夫妻のお孫さん、3人きょうだい。この3人はあの洪水で祖父母と両親を失い、身寄りのない身となってしまった。社長一家とはいえ小さな会社だったから、子供だけで生きていけるほどの資産もない。

 そこで私が引き取ることにした。宝くじのお金はそのためのものだ。


 なぜ貴方が。周りからはそう言われたけれど、他に引き取り手もない中、私に貯金があることを見せると、多くの人が納得してくれた。

 そして私が今経営している会社は、3人と、指輪の力で犠牲になってしまった人の遺族に少しでも報いるために立てた。雇用を作り出して、遺族の方々が生計を立てられるようにするために。実際に探し当てることのできた遺族はごく僅かだけど、その中の何人かは、この会社で働いてもらっている。

 罪滅ぼし、の、つもりだった。

 でも、会社の経営は指輪の力だより。人の死の上に成り立っている。私は、指輪の犠牲者を探しては遺族に報い、探しては遺族に報い、を繰り返す。指輪の事情を知らない遺族から、受けるべきでない感謝を受けながら。

 堂々、巡り。会社が続けば続くほどに犠牲は増える。それでももう、止まることはできない。止まれば、犠牲者の遺族がまた路頭に迷ってしまう。


 ……以前。3人のお孫さんを引き取ったとき。私は願った。他の何が犠牲になっても良いから、この3人は幸せになって欲しい、と。

 願って、しまった。

 指輪はその願いに応えた。ドクン、と、私に存在を訴えて。小さなエメラルドを光らせて。

 だから、もし指輪が私の手を離れることがあれば、その願いが「前の持ち主の願い」になってしまう。他の何が犠牲になっても良い、という条件とともに。この条件で呪いが発動すれば、3人は、他人の犠牲で幸福になる悪魔になってしまう。

 けれど3人が天寿を全うすれば、指輪が願いを叶える機会はなくなる。だから私はその時まで、指輪の持ち主であり続けなければならない。


 金のために人の命を奪う人生は続く。

 ドクン。

 指輪から響いてくるいつもの音が、私には、地獄にいるタダシの笑い声のように聞こえていた。

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ホラー短編集「三界皆苦」 小戸エビス @odoebis

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