相合傘

@satosaiuchi

相合傘

 天気予報、ぜんぜんあたらへんやん。

 シャッターの閉まった定食屋の軒下から、そっと空を仰ぎ見た。もしこのお店がなかったら、とんでもないことになっていた。

 スマホを取り出し、天気予報アプリを開く。雲の移動予想図は、今朝確認したときと、まったく変わっていた。

「こんなんサギやろ」

 思わずつぶやいた。あとでアプリストアのレビューに、星一つつけといたろ。

 アプリを閉じ、SNSを開いた。友達のタイムラインに、傘を忘れたことをグチる投稿はない。

「みんな、傘持ってたんかなあ」

 ここ数年、異常気象のせいで天気はしょっちゅう急変する。折りたたみ傘は必需品だ。わたしだっていつもなら、スクールバッグに、晴雨兼用の折りたたみ傘を入れている。でも昨日、突然の雨で傘が濡れてしまい乾かしていたせいで、スクールバッグに戻すのを忘れてしまった。

 どないしよ、お母さんに迎えにきてもらおか。でも、木曜日は五時半までパートやったっけ。

 今の時刻は三時半。あと二時間以上は、この軒下から身動きが取れない。

 汗をぬぐい、スクールバッグから水筒を取り出した。軽く振ってみる。何の音もしない。中身は空だ。思わずため息が出た。季節は七月になったばかり。まだ夏本番とは言えないが、SNSでは『観測史上最高』とか『熱中症多発』といったワードがトレンドとしてあがっていた。

 汗を吸った制服が体にくっつき、湿度を含んだ熱気で息が苦しく感じる。ノートを取り出し顔をあおいだ。生ぬるい風だったが、ないよりはましだ。

藤井ふじいさん? なにしてるん?」

 声のした方に顔を向けると、同じクラスの遠藤えんどう君が立っていた。普段ほとんど交流のない男子だ。ネイビーブルーの傘をさしている。

「ああ、遠藤君やん。見ての通り。傘、忘れてもうてん」

 わたしは苦笑いを浮かべる。

「まじか……、大変やな。誰か迎えにきてくれそうなん?」

「これから、お母さん呼ぼうとしてるとこ」

 そのお母さんがいつ来るかわからないことは黙っておいた。変に気を使わせるのも悪いし。

「そうなんや、じゃあ大丈夫そうやな」

 小さくうなずく。そう、大丈夫。最悪、夜まで待てばここから出られる。

 しかし遠藤君は、一向にわたしの前から動こうとしなかった。

「あのさ、もしイヤやなかったらなんやけど」

 遠藤君はわずかに声を上ずらせる。表情が硬い。

「よかったら、傘入らへん? ずっとここで立ったままなんも、しんどいやろうし」

 めちゃくちゃ早口だったけど、その言葉は確かに聞き取れた。

「それはありがたいけど……ええの? 遠藤君って家、どこなん?」

大井町おおいちょうやけど」

「そうなんや。わたしは栗谷町くりだにちょうやからけっこう近いね。でも傘入れてもらったら、遠藤君、ちょっとだけ遠回りなるんちゃう?」

「ええよ、ええよ、そんなん」

 遠藤君はぶんぶんとすごいスピードで首を振った。思わずちょっとだけ笑ってしまった。

「じゃあ、入れてもらおかな」

 軒下から遠藤君の傘の下にうつった。一瞬だけ、わたしの影が道に映し出され、傘の影に吸い込まれていく。

「なんか今日、いつも以上に影濃くない? 気のせいかなあ?」

「そうかもしれん。だってこの日差しやもん」

 遠藤君は少しだけ傘を傾け空を見上げる。わたしもそれにならった。世界を真っ白にしてしまうほど強い光を、太陽は発し続けている。道の先に見える信号機が陽炎で揺れている。こんな中を、日傘もささずに半袖で歩いていたら、あっという間に火傷してしまう。

 ここ十年ほどで、世界の平均気温はさらに上がり、地上に降り注ぐ紫外線の量も格段に増えた。夏の晴れた日の日傘は必需品となり、天気予報アプリは去年から夏の間だけ、雨雲レーダーとは別に遮光雲しゃこううんレーダーというサービスを始めた。この雲の厚さによって、日傘の必要度がわかる。

 しかし、この遮光雲レーダーは雨雲レーダーと比べると、精度はまだ高くない。わたしが今朝騙されてしまったのも、このサービスだった。

「遠藤君、今日部活なかったん? たしか陸上部やろ?」

「え? ああ、この天気やろ。だから外での練習は中止になってん。今日はトレーニング室で軽く体動かして解散したんや」

 そこで一瞬間が空いた。

「でも、よかったわ。こうやって藤井さん助け出せたんやから」

 そっと遠藤君の顔を盗み見る。彼はまっすぐ前を向いていて、表情は影でよく見えなかった。今気づいたけど、彼はわたしより少しだけ背が高い。

「あのさ、もしよかったらなんやけど」

 遠藤君は相変わらずこちらを見ることなく、話を続ける。

「夏休みにクラスの連中、何人かでお祭り行こか、って話になってるんやけど。藤井さんもよかったらうへん?」

 わたしの体の熱が急に上がった気がする。なんでやろ。傘はさしてもらってるのに。

「……うん、ええよ」

 気がつくとそう返事をしていた。

「え……、ホンマに?」

 遠藤君の顔がこちらに向けられる。その瞬間傘が揺れ、遠藤君の右腕が日傘の外に出た。

「熱っ!」

 慌てて傘が元の位置に戻される。

「ちょっと危ないって。そんなんやったらお祭り行かれへんよ」

 わたしの言葉に遠藤君はにっこりとほほ笑んだ。

 「大丈夫、夏祭りは夜からや」

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