夏の彼方、窓辺の星

ぬりや是々

夏の彼方、窓辺の星

 僕は学校の教室にいて、窓際の席から空を見上げていた。数年前に卒業した先輩をちゃんと見送りたくて、亜麻色や栗皮色や黄褐色の縞々空を見上げていた。空の端っこに夜の一部が覗いていて、いつか下校のときに見た宵の明星みたいな蒼白い光に僕は手を振った。


 ── この思い出を共有しますか?

 ── はい いいえ



 「消しゴム忘れちゃった。貸して?」


 セーラー服の半袖から伸びた白い手を先輩が僕に向ける。先輩の手にはノート。僕らは教室の窓際の席で向かい合って一緒に勉強をしている。カーテンが生温い風にあおられて、開いた隙間から夏の青空が覗いていた。

 忘れ物の多い先輩にちょっと呆れ顔な僕は消しゴムコードを入力した。


 ── この思い出を消去しますか?

 ── はい いいえ


 「はいはい♪」と先輩が声を出してはいを押す。先輩のノートと連動して、僕のノートと教室に誰かが忘れたノートからの小さな音が共鳴する。

 被さるようにノートから下校のチャイムが鳴り響いて僕らは帰り支度を始めた。窓から見える校門に送迎バスが接続された。


「先輩、忘れ物ないですか?」

「帰りの挨拶忘れてる」


 先生さようなら。


 ──はい、さようなら。


 僕らのノートがそう言ってシャットダウンすると、窓ガラスに投影されていた夏の空が縞々模様に置き換わる。

 校門に接続された送迎バスに乗り込んで、僕は僕らや先輩らと一緒に学校と同じ木星の衛星軌道上にある家に帰る。車窓から宇宙を見上げた時に、ちょうど先輩を乗せたロケットが木星を掠めて宇宙の彼方へ旅立つところだった。同じ顔の「僕」たちはそれに手を振って、同じ顔の「先輩」たちは少し寂しそうな顔をする。


「先輩も、もうすぐ卒業ですね」

「会えなくなるの寂しい?」

「どうでしょう。ここにはいっぱい先輩たちがいるし、どうせ僕たちは先輩たちを追いかけるし」

「でもはひとりずつしかいないよ?」


 バスの隣の席でちょっと変わり種の先輩が首を傾げて僕の顔を覗き込んだ。その向こうに宵の明星地球が青く輝いていた。


 

 人類が木星の衛星軌道上に建造物を発見したのはもう数百年前。さらに時間がかかってやっと人類が木星に辿り着くと、そこには学校としか呼べない物があった。白い校舎、リノリウムの廊下、教室に並んだ机、窓の外の夏の空。人類がそこで勉強した未知のテクノロジーで僕たちや先輩たちは生み出され、また僕たちも先輩たちもこの学校で一緒に勉強し、青春を送り、外宇宙へ卒業していく。


 ── 教科「歴史」をダウンロードしますか?

 ── はい いいえ



 「どうして学校で、どうして高校生なんでしょうね」


 その日、僕たちは放課後の教室で夏の空を見上げていた。変わり種の先輩と学校生活を送る内に僕もいくらか影響を受け、こんな疑問が湧いてきた。


中学卒業幼年期の終わりってことじゃない?」


 先輩が頬をついたままドヤ顔をし、僕はちょっと感心してノートを開いた。


 ── この思い出を共有しますか?

 ── はい いいえ


 はい、を選ぶと先輩の言葉がすべての僕たちに共有される。そうやって僕は先輩とのたくさんの思い出をかつての僕らから受け取り、これからの僕らに残すのだ。


「キミは勉強熱心だなぁ」

「後輩のためです」

「先輩のためにちょっとサボって青春しようよ」


 まだ下校前にも関わらず先輩がノートに先生さようなら、と言う。夏の空が窓の外いっぱいの木星に切り替わる。ちょうどその時木星の大斑点にまばゆい閃光がひとつ、またひとつと瞬いた。目に映っているのは木星で、爆発しているのは彗星の欠片で、でもどうしてかそれは見たこともない夏の夜空の花火みたいだった。


 僕はこの思い出を共有しようとノートを手に取った。そんな僕の手にセーラー服の半袖から伸びた先輩の白い手が重なる。


「この前、衝突軌道にあった彗星を見つけたんだ。でも記録は消しておいたの。キミとだけ見たくて」

「僕とだけ」

「卒業して何百万光年遠くに行っても、この思い出を持ってるキミだけを待ってるよ」


 そう言って先輩は花火みたいに満開の笑顔を咲かせた。


 ── この思い出を共有しますか?

 ── はい いいえ



 それから少しして先輩は学校を卒業した。ぐるっと太陽系を回って数年後に一度木星に戻ってくる。そこで木星の重力を利用して外宇宙に飛び出していくのだ。

 

 僕たちは天体重力推進スイングバイして旅立つ先輩たちを手を振って見送スイングバイる。

 

 何年かして卒業する僕らは、先に旅立った先輩を追いかけて、何処かの星で再会する。そこで新しく人類の歴史を始めるのだ。再会できるかは分からない。再会するのがどの先輩とどの僕かも分からない。とんだボーイミーツガールだ。


 

 僕は学校の教室にいて、窓際の席から空を見上げていた。数年前に卒業した先輩をちゃんと見送りたくて、亜麻色や栗皮色や黄褐色の縞々空を見上げていた。空の端っこに夜の一部が覗いていて、いつか下校のときに見た宵の明星みたいな蒼白い光に僕は手を振った。


 夏の彼方でいつかもう一度再会する、窓辺の星の何処かに向う僕だけの先輩に。

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夏の彼方、窓辺の星 ぬりや是々 @nuriyazeze

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