終章

 僕が中学三年生の時の卒業式。

 四ツ谷は僕の中学卒業を泣きながら送り出してくれた――なんて事はなかったけれど「これ、よければ使ってください。高校の勉強、頑張ってくださいね」と言ってオシャレなペンケースとシャーペン、消しゴム、ボールペン、蛍光ペン、付箋などの筆記具セットを贈ってくれた。

 図書委員の仕事を通して、先輩として四ツ谷から慕われるようになった感慨に耽ったものだ。

 その時の四ツ谷の表情が、まるで出来の悪い息子を送り出す母親のように心配そうな顔だったのは、僕の気のせいだろう。

 貰った筆記具を使うたびに、本の好きな後輩の事を思い出す一年間。

 そして僕が二年生になった時。登校中に後ろから声をかけられた。

「お久しぶりです、先輩」

 そこに立っていたのは、東秦衣高校のブレザーに身を包んだ少女。肩より下まで伸びるふわふわとしたロングヘアと大きな瞳は、卒業式の時に僕を送り出した時と変わらない。四ツ谷萌だった。

 また四ツ谷と一緒に、本に囲まれた空間で放課後を過ごす事になると思い、僕の胸は高鳴った。


       ◯


 僕は学校の中庭のベンチに座って購買のパンを食べていた。

 別に四ツ谷に言われた事を気にしていたわけじゃあない。

 あんなすごい体験をした後の余韻が未だ引かず、放心状態に近いだけだ。授業を受けてもクラスメイトと話していても、あの冒険を思い出して心ここに在らずあずのような状態になってしまう。

 だから一人になりたかったのだ。

「先輩」

 頭上から声をかけられる。

 顔を上げると、僕と同じ体験をした後輩が立っていた。

「隣、いいですか?」

「うん」

 隣にちょこんと座り、膝の上に小さな弁当箱を乗せて少しずつ箸を口に運ぶ。

 僕たちは黙々と口を動かして昼食を片付ける。

 食べ終わった後でも、僕も四ツ谷も、ベンチを立つことはなかった。

 彼女も僕と同じで、あの出来事の余韻に浸っているのかもしれない。

「ねえ四ツ谷」

「何ですか、先輩」

「本の中の世界。あそこで僕は、作者が何を思ってあんなトリックの物語を書いたのか理由がわからないって言ったけど、今ならわかる気がするんだ」

 春の風が中庭の間を駆け抜ける。

 四ツ谷の髪が、風になびく。

「その作者は、きっと物語の登場人物に憧れるミューズの心を見抜いてたんだ。だから、かつて物語の世界で一緒に冒険したミューズの願いを叶えるために、あの物語を書いたんだよ」

「そう……かもしれませんね。もしかしたらあの物語は、ミューズに対する長いラブレターだったのかもしれません」

 あれはミューズの為だけに書かれた物語だ。ラブレターという四ツ谷の例えはロマンチックだけれど、そう的を外していないだろう。

「ラブレターだなんて言うと、なんだかミューズが恋の女神みたいだね」

「ええ、本当に恋の女神なんじゃないかと思えるくらい、余計な事を口走っていました」

 何やらぶつぶつと呪詛を呟いている。

 空を見上げる。その空はあの世界のものと遜色ない。

 現実世界と違わないあの世界を作り出したミューズ。今更だけれど途方もない力だ。

 肩に重みを感じる。

 四ツ谷が、僕に寄りかかって体重を預けていた。

「先輩。先輩と一緒のあの冒険、楽しかったですよ。私の相棒が先輩で良かったです」

「うん。僕も楽しかった。四ツ谷の探偵姿、カッコよかったよ」

 本当に、この後輩はよく頑張った。

 急に変な世界に放り込まれたにも関わらず、その中で探偵としての責務をしっかり果たしたのだから。

 ふわふわとした髪ごと頭を撫でてやると、えへへ。と顔を綻ばせる。

「普段からミステリ小説を読んで推理力を鍛えた賜物です」

 ミステリ小説、か。

「あの物語のタイトルは、なんだったのかな」

「そういえば聞いてませんでしたね。タイトルは初めから用意されていないのか、タイトルから物語の内容をメタ読みされるのを防ぐ為なのかわかりませんけれど」

 上目遣いで僕を見上げる。

「先輩はあの本の筆記者として選ばれたんですし、いっその事、先輩がタイトルをつけてみたらどうですか?」

「タイトルかあ」

 あれはミューズの為に書かれた本。

 タイトルをつけるなら。

 

「『Grimore for Muse』なんてどうかな」


 終 

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魔女屋敷の殺人 Grimore for Muse 九条英時 @jackola040

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