ズレる配役 五話

 神経を削られる痛みで、女の意識は浮上した。

 

 まぶたを開ける。

 視界は白黒に明暗し、瞳はなにも映さない。


 耳を澄ませる。

 頭蓋に血流音が響き渡り、鼓膜に音が届かない。


 口を開く。

 空気は喉を素通りし、声帯は助けを伝えられない。


 もがき苦しみ、女の意識は再び底へと沈んでいった。


 


 次に女が目を覚ましたのは、消毒液の匂いに包まれた静かなベットの上だった。

 女の左腕には点滴が刺さっている。

 点滴を打たれた動かしづらい体で、女はナースコールを押した。

 

 すぐに看護師がやってきて、女の個室は騒がしくなっていく。

 医者も現れ、その時初めてこの病院が、女がひき逃げ事故に遭ってから通院している病院だとわかった。



 問診が始まり、担当医の質問にかすれた声で答えていく。

 その中で、女は自分が階段転落事故に巻き込まれたわけではないと知った。

 女は事故現場で気を失っており、念の為病院に運ばれたそうだ。


 外傷はなく、すぐに目を覚ますと思われたが、今日で三日経った、と担当医から教えられた。


 原因不明の頭痛で検査に来て、その帰りに倒れ、目を覚まさない女。

 追加の検査をしても、異常は見つからない。

 女の家族に、心の準備が必要かもしれないと、知らせたようだ。


「目覚めて良かった」と担当医は微笑を浮かべる。

 しかし、すぐに表情を引き締め「念の為、しばらく入院をしてもらい様子を見る」と女に伝えた。

 

 女が目覚めたことは、すでに女の家族に連絡済みで、今、入院の準備をして病院に向かっているそうだ。

 

 一通りの問診も終わり、担当医や看護師たちも一度退室する。

 女は個室に一人になった。

 点滴も変わらず左腕に刺さったままで、身動きが取れない。

 大人しく、家族が到着するまで物思いにふけることにした。



 女が考えていたのは、階段から落ちた二人の男について。


 一人は夢の中で落ちたサラリーマン。

 もう一人は現実で落ちた男子学生。

 どちらも同じタイミングで、階段から転落した。


(つまり、夢で見た階段転落事故は、被害者を変えて、現実に起こった、と言うことかしら)


 夢で見た『出来事』は変わらず、被害者『役』が変わった。

 

(そういえば、大学で旅行の話を切り出したのも、夢と現実で違う人だったわ)

 

 旅行の話題を出したのが、夢では『隣にいた』友人で、現実では『前にいた』友人だった。

 ちょっとした『ズレ』だったので、女は今になるまで気にしていなかった。


(そうなると……『夢の世界』は現実と『少しだけ人の役割がズレた世界』なのかもしれないわね)


 大きくは違わない。

 夢の出来事は実際に起こった。

 しかし、少しだけ配役がズレている。

 

 そこまで考え、ふと女に疑問が生まれた。

 

(私が夢で見ていた光景は、本当に私の視点なのかしら?)


 生まれた疑問が女の足元に広がっていく。


(それとも、夢の世界で私の『役』をしている『誰か』の視点?)


 もしそうなら……とゆっくりと疑問の沼に浸かっていく。


「夢の世界で私は、どんな役割を与えられているの?」


 答えの出せない疑問の沼に、女は沈んでいった。


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