ズレる配役 四話

 歩幅一歩分、女は悩んだ。

 そして、二歩目を踏み出し、覚悟を決める。


(後悔はしたくないわ‼ 出来ることをしましょう‼)

 

 もし、なにもなければ笑い話になるだけよ、と自身を鼓舞した。


 

 女は『夢で転落したサラリーマン』の背後を、手がすぐ届く距離を保って歩いている。


(このまま階段まで付いて行って、彼が落ちる前に引っ張り上げるしかないわ‼)


 女より背の高いサラリーマンを支えきれるか不安は残ったが、階段が目の前に迫り、時間のない女が思いついたのは、この方法だけだった。

 

 一歩ずつ階段に近づくたびに、女の口は渇き、手の平から熱が抜けていく。

 支えきれず自分も一緒に階段を転がり落ちる、そんな光景を幻視した。

 支えきれずに手を離し、彼を、大勢を見捨てる、そんな予感が脳裏をかすめた。


 しかし、女はそれらすべてを封じ込めた。


 自分たちのような被害者を生み出したくない、とサラリーマンの背中に、頭の痛みも忘れるほどの集中力を向けている。

 

 

 階段にたどり着いた。

 一度階段を見下ろし、一息入れ、サラリーマンに続いて階段を降りる。

 夕日は沈みきり、薄暗い照明が階段内をぼんやりと照らしていた。

 

 階段を進むたび、成功のイメージを繰り返す。

 

(できる、できる、できる、できる……)

 

 自己暗示のように自身に刷り込んだ。

 


 すでに階段の中腹。

 夢ではここでサラリーマンは階段から転げ落ちた。

 女はいつでもサラリーマンを引っ張り上げられるように身構えた。


 一段、もう一段とサラリーマンが階段を下っていく。

 そのたびに焦らされ、女の集中力を削いでいった。

 女は集中力を戻そうと、一瞬サラリーマンから意識を逸らした。


 自身の失態に気づいたときには、小さな悲鳴がすでに聞こえていた……女の背後から。

 

 女の横を追い越す人影。

 転がるようにバランスを崩し、宙に浮かんでいた。

 一回転するように顔が逆さまになる。

 転がり落ちていく、制服を着た男子学生と、目が合った。

 

 目の奥が、削れたように軋む。

 重ならない、夢と現実。

 そのズレが。

 その歪みが。

 

 女を襲った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る