足を引っ張る 五話

 男は今まで経験したことのない、肌を刺す鋭い冷気によって目が覚めた。

 体にまとわりつく空気は重く澱んで、生臭い。

 肺が受け入れを拒否しているのか、うまく息を吸うことができず、呼吸が浅くなる。

 

 なにが起きているのか、服の裾で口を覆い、男は四つん這いになりながら周囲を見回した。


 男の視界は黒一色。

 光のない漆黒の空間に、男はいた。

 


 男は暗闇に平衡感覚を狂わされながら、ゆっくりと立ち上がる。


(ここは何処だ……また、意識のないうちに移動したのか?)

 

 口元を押さえる服の裾、手触りから高校時代の体操服だとわかる。

 

(理由はわからないけど意識を失っていても、外に出るときはいつも着替えていた)


 ならなぜ、と自問していると。

 

 男は体に、震えがないことに気がついた。

 あれほど自身を狂わせていた、『アルコールへの欲求』を今はまるで感じない。

 最初から『そんなもの』を持っていなかったと思うほど、今の男は精神が安定していた。

 

 もし、『なにか』が男の『アルコールへの欲求』を消し去ったのなら。

 その『なにか』は男に『アルコールへの欲求』を植え付けたのではないか、と気がついた。

 

 そもそも、自分の体はアルコールに弱く、誕生日の二日酔いがトラウマになっている。

 そんな自分が『なにか』に操られるように、アルコールで精神を溶かし、意識を失っていた。

 そして、意識がない間に『なにを』したのか。

 いや、『なにを』させられたのか。

 


 男の中で想像が繋がっていく。

 操られるように意識を失い『なにか』をさせられていた自分。

 目覚めるのはいつも、小さな石碑の前。

 消えた小鳥のさえずり。

 数を減らしていく猫。

 親睦会の翌日、発見された変死体。

 周囲から目立たぬように、部屋着から私服への着替え。


 考え込む男を、言葉にできない不快感が、包みこんでいく。

 


 男の背後、暗闇の先から物音と小さな唸り声が、男の耳に届いた。

 

 口元を覆うのも忘れ、飛び上がり、男も物音を立てる。

 その音に警戒したのか、唸り声は聞こえなくなった。


(なにか……いる) 

 

 ズボンのポケットに手をいれる。

 指に当たるのは柔らかい布地の感触と、携帯電話。

 普段通りの硬質的な手触りに、少しの安心を覚えた。

 そのまま携帯電話を取り出し、電源をつけ、物音のした方に光を向けた。


 携帯電話の薄い光に照らされて、男のいる空間がぼんやりと輪郭を見せる。

 

 広さは学校の教室ほどで窓や扉は見当たらない。

 天井は高く、届きそうにない。

 男がいるのは密閉された部屋のようだった。


 目を凝らし、物音のした方を見る。


 部屋の隅になにかが積まれ、見上げるほどの山がそこにはあった。

 物音は積まれたなにかが、崩れた音のようだ。


 他になにかないか、男は周囲をぐるりと僅かな光源で照らして確認した。

 

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