足を引っ張る 二話


 男はベンチ裏に隠れるように地面に座り、一緒に隠れる小さな石碑を眺めながら体を休めていた。

 

 男が初めてこの場所で目覚めた時は、小鳥のさえずりが美しく響き、野良猫が何匹も集まった。

 当時の男は体を動かせるまで、小鳥の合唱を聞き、猫と戯れ、癒やされていた。

 しかし、男が何度もこの場所で目覚める度、小鳥の鳴き声が聞こえなくなり、猫も一匹また一匹と数を減らし、今では鳥も猫も見当たらない。

 

 それからは、体を休めている間、小さな石碑を眺めるようになっていた。

 変わらず居続けるこの小さな石碑は、いつも男に少しの安心を与えてくれた。


『求めるものを

  赤く染め

  黒に至れば

  闇に溶け込め

  次の扉が開かれる』


 石碑に書かれた短い文。

 この場所で何度もこの文章を目にしてきた。

 男が一人でいる時に、無意識に口ずさんでしまうほど、男に馴染んだ言葉になっている。



 二十歳の誕生日から、男の生活は一変した。

 毎晩飲みに出かけ、浴びるようにアルコールを取り続ける毎日。

 

 過去の後悔も、現状の不満も、将来の心配も。

 それらすべてを見えなくしてくれた。

 それらすべてを見ないために、自分を壊し続けた。

 

 誕生日に居酒屋へ一緒に行った友人とも、何度も二人で飲みに行った。

 最初は友人も、泥酔し前後不覚になった男のことを介抱してくれた。

 しかしそれが、三度続き、七度続き、両手で数えられないほど続いた時。

 友人から絶交を告げられた。


「お前の面倒は見きれない! こんなやつだとは思っても見なかった!」


 最後に友人からいわれた言葉。

 迷惑をかけたのは自分、その認識は持っている。

 しかし、男は友人の言葉で傷つき、未だに痛みを抱えていた。

 



「もう、飲むつもりはなかったんだけどな……」

 

 動ける程度に回復した男は、ベンチかの影から、のっそりと立ち上がる。

 

 今日は平日。

 通勤や通学の学生で、駅前は人通りが増えてきた。

 

 携帯電話で時間を確認する。

 

「八時前か……」


 今の男は全身からアルコール臭を匂い立たせ、夏の寝汗と野宿のせいで薄汚れている。

 そんな姿で人混みを歩く図太さを、男は持ち合わせてはいなかった。


 重く感じる体を引きずり、人通りの少ない道を選んで、隠れるように家路についた。

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